知り合いがわんさといたって、友達はひとりもいない
数日前、程よい距離感で心地よく付き合える友人と「友達とは?」という話をしていました。←私たちは「友達なんだろうか?」と言いつつ(笑)
人が好きなのですぐに誰とでも仲良くなる私ですが……
実はそうそう簡単には、友達まして親友になんかなりません。
人との関係は丁寧に大切に少しずつ積み上げ、お互いの信頼関係をキチンと作っていくことを大事にしています。
スナフキンが
って言ってるけど本当にそうだなぁと思う。
ちょっとSNSで繋がった、セミナーやイベント、コミュニティで出会った、誰かに紹介してもらった……というだけで、縁を深める、信頼を積み重ねることもせず「友達」だと思ったり、自分が得しそうだから、なんか著名な人と繋がってて紹介してもらえそうだからと、近寄ってくる人のことは、信頼しない。
信頼できるわけないよね?
数は少なくても、ちゃんとお互いを大切にしながら、信頼を積み重ねていかれる人との縁を大事にしたいと思って生きています。
「上っ面だけの生き方ってどこかでバレちゃうものだと思う。だから誠実に生きたいよね」
これはいつも高校時代からの親友と言い合っている言葉。
信頼し合える関係とはどういう関係なのか……
仲がいい、気が合うといった一緒にいて居心地がいいというのは、信頼し合っているからこそ。
でもそれだけでは本当の「信頼し合える関係」とは違う。
仲は良いのだけれど嫌われたくないからと、言いたいことを我慢してしまったり、相手がどうみても間違ったことをしているのに、そのことを伝えたら気分を害するだろうな、嫌われるかもと遠慮して伝えられない。
こういう関係は、本当の信頼関係が築けていないんだと思う。
それを考えると、「信頼関係」というのは、
「お互いに相手のことを思い、自由に表現したりコミュニケーションがとれる関係」
のことをいうのかなと。
ちなみに「信用」と「信頼」の違いはなにかというと、
担保が必要なのが「信用」。担保がいらないのが「信頼」なんだそうです。
本当の意味での信頼関係とは、無条件にお互いを信じあえる関係とも言えます。
信頼し合える関係性は、一朝一夕にできるものじゃないよね。
「信頼関係の築き方」みたいなハウツーもいろいろあるけど、本当の信頼関係はハウツーからは生まれない気がする。
お互いの距離を測りながら、心を開きつつ、ゆっくり丁寧にコミュニケーションをとっていく。
相手のことを思い、考え、そしてより相手を理解しようと努力することで、
相手がこの関係性を気持ち良く感じる。また同じように相手もこちらに対して考えたり、理解してくれようとしたりすることで、こちらも心地よく感じる。
そうやって双方が努力しながら「信頼関係」を作り上げていくものなんだと思う。
友達もどき、友達ごっこは、好きじゃない。
きちんと丁寧に人との関係を育める人と友達になりたいし、ひとつひとつの積み重ね方が誠実な人との縁を大切にしたい。インスタントな関係、利用し合う関係は、無理だなぁ。
私は、知り合いがわんさかいても、信頼し合える友が一人もいない人生は耐えられない。
ただつながっているだけの知人がいっぱいいるよりも、お互いを信頼し合えてなんでも話が出来る友達が数人でもいるほうが、よっぽど幸せだと思うんだよね。
と考えると、
先日「友達」について本音で語り合えた友人は、やっぱり信頼できる「友達」ということになるんだろうなぁ。