シュネルギア・ライトニングレムリアン人が誰かと理想的な協力関係を結ぶというのは、存外難しいことである。
それが仕事であれ、婚姻であれ、互いの欠損部分を完璧に補い合えるパートナーと出逢えることなど、むしろ奇蹟に近いであろう。
例えるとそれは、複雑に割れた皿の片割れを、夥しい数の皿の破片の中から探し出すようなものだ。
しかしこの世界には、実際にそういう理想のパートナーシップを築いている人々が多く存在し、 他人の羨望を受ける。
なぜなら彼らは、一様に一人では決して成し得ないであろう大きな仕事を軽々とやってのけ、なおかつ美しく颯爽と生きているからである。
人間は複雑な生き物であるにも関わらず、なぜその様な、複雑に割れた皿を合わせるように、ピタリとマッチする相手に遭遇できるのであろうか。
それは、人間の持つ最も古い機能の一つに関係している。
いうなれば、引力のような力である。
人がそれぞれの片割れを求める心は強く、シンプルで、荒野に響く獣の遠吠えのように、遥か遠くまで響き渡る波動を持っている。
だが現代人はこの力を失いつつあるのかもしれない。
確かに欠けた皿でもそれなりには味があり、用途によっては使えぬこともない。
人もまた、自分を取り繕い、飾り立て、別のもので自らを補おうとする。
あたかも完璧な皿であるかのごとく、あえて一人、いばらの道を歩もうとするのだ。
しかしあなた方も、自分の周囲を見ればすぐに分かる。
自らの欠点をさらすことや、それを認めることを恐れる者は常に孤独となり、 孤独であることを認めたくないあまり、さらに孤独になるという悪循環を辿る。
周囲にそういう人間の一人や二人、誰しも心当たりがあるはずだ。
人間は、他人の欠けにはやたら厳しいが、自分の欠けには甘い見方をする。
だがそれでは到底求める相手に届かない。
自分の欠けを見つめよ。
そして相手に求めるものをもっと明確にすることだ。
この石は、あなたの心の叫びを明確にし、大きな波動に変換する。
ゆめゆめ勘違いしてはならない。
人は皆、真半分に割れた皿だ。
自分はほんの少し欠けただけの皿であるなどと思うから、孤独になるのである。
たとえ孤独でないにしろ、心に穴があるように、常にどこか塞がれないものを感じるのなら、 その弱さ、脆さ、刺々しさを、すべておおらかに包み込んでくれる協力者を呼び続けることだ。