第二十回「とても落語らしい「普段の袴」は心清らかにやらないとね、の巻(寸志滑稽噺百席其の十九)
杉江松恋(以下、杉江) では次、其の十八ですか。「普段の袴」、「幇間腹」、「四宿の屁」。問題作、「四宿の屁」ですね。
立川寸志(以下、寸志) 問題作なんですか、これ。いつも、話してて「あの噺のあそこどうだったっけ」って思ったんで、今日は、不安なやつは台本持ってきました。「四宿の屁」はもちろん持ってきました。じゃあ、「四宿の屁」から行きますか。
■「四宿の屁」
寸志 自分で言うのもなんですが、「四宿の屁」は本当に、この其の十八でトリでやったんですか? 何かの間違いじゃないですか。
杉江 やりましたよ。私は事前に聞いていたから、「なるほど、『四宿の屁』をやろうとしてるな」と思って見ていたけど、お客さんには明らかに不安な感じが漂っていたんですよ。「寸志さんは何をしようとしてるんだろう」みたいな感じが。だって、「四宿の屁」を聴いたことがない人はあの中、たぶん半分以上いたもん。
寸志 すいません。僕も生では聴いたことない。音源でしか聴いたことないですよ。だからこれは、すいません、勝手にやってます。誰かに教わりに行くような噺でもない気もしますし。「○○師匠、稽古をお願いしたんですが」「そうかい、ネタは何だい、あんちゃん」「ええ…『四宿の屁』を」って――周りで見てたら笑いますでしょ、このシーン。
杉江 寸志さんも音源のみですか。だから、お客さんには何が起きてるかわからないわけです。
寸志 でも、マクラで「『四宿の屁』やりますよ」って言いましたけどね。「近頃、お客様のほうであれこれ噺家にクレームがつくらしい、『持参金』とか『猿後家』なんかはできない時代になった。でも、落語ってそういうもんじゃないでしょう。儒教的道徳や社会の同調圧力といったものに感じるもやもやを顕在化して笑いの中で相対化してみせる。これが噺家のやってることですよ」みたいなことを最初に偉そうに言って。それから「今日はそんなクレームが一切こない、もう本当にくだらない、どうでもいい。あってもなくってもいいどころか、なくってもなくってもいい。そんな噺をします。『四宿の屁』です」って始めたんです。
杉江 でも「シシュクノヘ」って聞いても何が起きるかはわからなかったでしょうね。小噺の集合体みたいな噺だってことも。
寸志 そっか。「四宿の屁」の何たるかすら伝わらない。そもそも「四宿」がよくわからないですよね。
杉江 そうそう。「おならのように他愛ない噺」というところが伝わったかどうか。
寸志 初めに川柳とかで入っていくじゃないですか。「川越しの肩暖かき春の風」とかね。そこからお客さんは、いつ「四宿の屁」なる噺に入るのかな、とずっと待っていたと思うんですよ。で、私は最初「吉原の屁」の小噺を入れたんです。花魁がおならをして、「すいません。あなたが私のことを本当に好いてくれるか、情けのあるかたかどうか、確かめたんです」「大丈夫だよ、お前に惚れているのは変わらないよ」って男が言ったら、また花魁がプー、で男が「お前は疑り深えなあ」。この小噺大好きなんですけど、本来の「四宿の屁」には入ってないんです。それをあえて入れてから、次に品川の噺に行くんですね。僕の台本では「四宿」って言葉を一切入れていません。ずっと流れていって、最後に「四宿の屁でございます」とお開きにする。
杉江 それ、品川、板橋、千住、内藤新宿で江戸の四宿だというのがわからないと、お客さんが置いてけぼりになるのでは。アンケートの結果はどうなのかな。
寸志 あら、4.5ですよ。「おもしろかったです。くだらないのもよい」、「こんなときだから、より良かったかもしれません」、「オムニバス形式めずらしい」という、こんなときというのは。
杉江 2021年2月、そろそろコロナによる世情不安が言われ出したころだからですね。
寸志 そうか、この次は一回だけあった無観客の回ですもんね。
杉江 そうです。世間がざわざわしてる感じだから、「逆にくだらなくて、他愛もないもので安心した」みたいな意見があったんだと思うんです。
寸志 やっぱり屁はいいですね。屁は平和ですよ。僕の好きな「四宿の屁」の音源は六代目(三遊亭)圓生師匠なんです。バカバカしくておもしろいですよね。ああいう謹厳な雰囲気のある師匠がこういう噺を一生懸命やると、本当におもしろいですよ。「なに、地震?」「そう」「地震……屁の前か後か。『四宿の屁』というお笑いでございます」という。この「屁の前か後か」もよくできた小噺です。さっきの「疑りぶけえなあ」とで屁の小噺の両巨頭ですよ。
杉江 この会は寸志さんがやりたいことをやる会なんですけど、なんで「四宿の屁」をやろうと思ったのか聞いてもいいですか。
寸志 あの、本当に申し訳ない話なんですけど……これも恐らく、前回の「本膳」と一緒で、準備不足の結果だと思います。
杉江 いい話になるかと思ったら違った(笑)。
寸志 だけど、言い訳じゃないけど「四宿の屁」って結構難しいんですよ。
杉江 そうですね。オムニバスだから四つパートがあって、それぞれを独立した噺としてやらなきゃいけないわけだし、逆に大変だったろうなと思います。
寸志 ですね。百席の本来の趣旨である「寄席でできるもの」という中に、逃げ噺(時間調整や難客対策などで途中で切ったり逆に長くしたりでき、適当に笑いも取れる伸縮自在な噺)の典型としての「四宿の屁」があるとしたら、それを身につけましたよ、という言い訳が成り立つ気もします。まあ、いくつかの小噺に分割して使っちゃえるネタでもあるわけですが。
杉江 この回のネタおろしは。
寸志 「四宿の屁」です。「『四宿の屁』なんかネタおろしとか言って威張ってんじゃねえ」って叱られそうですけど、堂々と言います。「四宿の屁」を初演しました!
■「普段の袴」
寸志 僕の中ではこれ、落語中の落語なんですよ。だって、とっても落語っぽいじゃないですか。今まで聴いた中で一番おもしろかったのは、(柳亭)市馬師匠なんですよね。市馬師匠にまたバッチリ合ってるんですよ。THE柳家な感じで。八公なのかな、この間抜けな町人に侍、大家さん。それぞれが本当によくって、おおらかで悪い人が出てこない。道具屋の主も町人を「なんだろうな、この人」とか思いながらも受け止めてるわけじゃないですか。そういう落語の世界の、本当に心穏やかに聴ける部分を市馬師匠は体現されていたんです。それをやりたかったんです。でもダメだね、やっぱり人間ができてない。
杉江 市馬さんと比べるのもどうかと思いますが。
寸志 今から剣道やったほうがいいかもしれないですよ、本当に(杉江注:柳亭市馬は剣道経験者。柳家の総帥であった五代目小さんも剣道の有段者で、弟子入りの際にはそこが気に入られたというエピソードがあります。剣道は落語家の精神修練にも役立つ、のかも)(寸志注:実は私も小学校4年から中1まで剣道やっていましたが、まぁ精神修練のうちには入らぬ適当さでした)。
杉江 市馬さんは大人の観がありますよ。そういう方なんでしょうね、普段から。表も裏もなくて、人柄が自然にすっと出る。そういう大人感が「普段の袴」には出ているということでしょうか。
寸志 そうです。そのスケール感ですね。大家の包容力もそうだし、八公の人の良さみたいなもの。「ああ、侍ってえのはなかなかいいもんじゃねえか。ちょいと真似してみようか」みたいな、無邪気なところ。そういう悪意の一切ない世界なんです。うん、立川流にはできない。
杉江 流派の問題になってきた。
寸志 人間の悪意というか邪気というか、そういう後ろめたいところをほじくり出さないと済まないような、立川流の落語とは違うんだなと。だから、僕も憧れてるけどうまくいってないと思うんですよ、きっと。アンケートを見るといちおう褒めてはくれていますけども、グダグダだったと思います。やっぱり難しいです。たとえば侍の言葉のところね。それに対する道具屋の主人の応対も。
杉江 この侍はけっこうご大身でしょ。
寸志 さらに「歳の頃はもう五十がらみ」って言いますから、年寄りの描写をしないといけない。
杉江 店だってちゃんとした道具屋ですよね。バッタなものを扱っているわけじゃない。
寸志 そうでしょう。お屋敷に出入りしているわけですから。「お殿様、御用でございましたら、お使いをお出しいただければ伺いましたものを」って言いますしね。
杉江 寸志さんこのとき、江戸の地理の話題をマクラで振りましたね。この道具屋はどこにあるんですか。
寸志 これは下谷広小路です。もともと武具の店が多くあったそうで、道具屋も数軒あったらしい。今でもあのへんに一、二軒残っているはずですね。たしか、どら焼きで有名なうさぎやの側にも、古美術商みたいなお店があったと重います。その名残りなんじゃないですかね。
杉江 ああ、文行堂という古典籍専門の古書店もあります。
寸志 昔の切絵図を見ると、あの道筋は将軍が日光参詣をする御成街道で、五軒町という地名もそれこそ大名屋敷が五軒あったのが由来なんですね。そこから東、今の山手線の向こう側に行くと下級武士の町、御徒町になる。侍を相手にした商売が成り立つ地域だったんでしょうね。私のそういう地名趣味、切絵図趣味みたいな話も反映して話したかもしれません。
杉江 なるほど。
寸志 あのね、「普段の袴」でやりたいところは「こちら、文晁にございます」「文鳥? 違うだろ。こりゃ鶴だよね」というところと、もう一つ、「文鳥」より前になりますけど、「羽織袴貸してくれ」「ああ。祝儀不祝儀か?」「おう。そうそうそう」「いや、だから祝儀か、不祝儀か?」「うん。いやね、まあまあ、そういうことだ」「だから聞いてんだよ。祝儀か不祝儀かって」「いや、そりゃね、向こうからシューギがツーっと機嫌良くやってきたら、こっちからブシューギがウワーってんで走ってきて、俺ぁカドで見てたんだ。そしたら二人が出合い頭にドーンとぶつかってね」みたいな。そういう訳のわからない話をする。あそこがおもしろいんですよ。うん、その二ヶ所で、サゲはたいしておもしろくない。
杉江 まあ、そこまで行けばいいというぐらいのオチですよね。
寸志 もう一回やりたいことはやりたいんですけどね。
杉江 あまりやってないんですか。
寸志 ですねえ。「普段の袴」はやはり市馬一門だなと思うんです。(柳亭)市童兄さんとかむちゃくちゃおもしろい。あの兄さんもスケールが大きくて、人間の善意というのが滲み出てくる人ですから。だからね、「心、邪なる者は去れ」っていう、五代目小さん師匠の教えですよ、結局。立川流はみんな邪ですからね。
杉江 剣道やらないから。
寸志 うん。邪気たっぷりなので、心がきれいになったらやります、もう一回。
■「幇間腹」
杉江 次は「幇間腹」ですね。
寸志 これはもう前座時代からやっている噺で、僕としては安牌です。(立川)笑二兄さんは、ネタ帳で僕が「幇間腹」やってるのを見つけると、「何ラクしてんすか」って言ってくるんです。そういう噺ですね。ただ、このときは久しぶりにやったんだと思うんですよ。というのは、ちょっとやり過ぎていたんです。二ツ目昇進からこっち、ずーっとやってたとこともあって。その上にこんなことがあって、シブラク(渋谷らくご)でやったとき、後で感想のツイートを見てみたら、「血とか無理」って書いている人がいたんですね。「血とか無理、とか言われちゃうとなあ」「嫌いなんだなあ」って。痛みとかそういうことに対しての耐性が少ない人がやっぱり最近は増えてきたんじゃないかなあと。しょせん落語だし、演出としては漫画、しかも僕の場合は、皮つまみの横打ちでススッと抜く、ということまで言ってるんですけど「血とか無理」って言われちゃう。そうなると「無理なのか。じゃあ、もうやんねえよ」みたいになっちゃうんですよね。別にその人のためにやってるわけじゃないですけど。自分が飽きてきていたのもあって、他のネタやったほうがいいか、ということで避けていたんです。このときはたぶん、やるネタが他になかったんでしょうね。
杉江 そういう理由でしたか。
寸志 うん。逆に言うと、よくここまで「幇間腹」をとっておいた感じがしますよ。五十何席まで。
杉江 そうですね。この時点ではまだ「庭蟹」もやってないですからね。温存してますよ。
寸志 そうなんです。実はまだとっといてあるのがいくつかあります。「子ほめ」とかね。「金明竹」もやってないし。あと、自分でも意外なのは「替り目」やってないんですよね。もう出しちゃったかな、と思ってこのあいだ根多帳を見たらやってなかった。
杉江 そうだ。あれは冬の噺だからやりどころが限られますよ。だって、もう春と夏しかないんだもの。この後は。
寸志 あ、そうだ! 来年の秋とか言ってる場合じゃないのか。ああ…ダメじゃん。まあ、それはそれとして「幇間腹」は、前座のころからやっていて、いろいろな要素を再構成して作ったものをうちの師匠(立川談四楼)にあげてもらっています。実はいろんな演者のニュアンスを込めているんです。(立川)左談次師匠が入ってれば、(春風亭)小朝師匠のも入ってますし。でも中のギャグはほぼほぼオリジナルに変えていってるんで、ほとんど自分独自の噺に作り替えられているとは思いますね。
杉江 寸志さんの「幇間腹」は、一八がお座敷に入ってくるところの息がすごく長いですよね。二階に上がるまでずーっと喋っている。息がよく続くな、と毎回思いますけど、あそこが一つの聴かせどころだと思うんです。
寸志 そうですね。自分もそのつもりでやってましたけど、あそこをやっちゃうと、噺が二十分になっちゃうんです。
杉江 ああ、長くなっちゃうんですか。
寸志 だから、いきなり女将と会話しちゃいます。本当は「幇間の一八、ただいま参上」って、まず板さんに話をして、おきよどんに話をして、「きれいになったよ、本当に」みたいな話。で、猫ほめて、「猫までほめてんじゃないわよ」みたいな感じで女将さんとの会話ってなるんですけど、そこまでを抜いちゃってますね。二分ちょっとぐらいかかっちゃうんで。
杉江 特に笑わせる目的じゃなくてしゃべりを聴かせるところだからですね。
寸志 そうですそうです。幇間ってこういう感じ、みたいに聴かせるところ。でもずっと以前に、大学落研の十年ほど上の先輩に言われたんですけど、「あの幇間は俺のイメージの中ではもっと年寄り」って。つまり、「若旦那にいたぶられる、あわれな年寄りの幇間」だと。
杉江 有島一郎(俳優。故人)がやるみたいな感じですか。
寸志 そんな感じでしょうね。でも、それだとちょっと可哀想すぎる気がするんですよ。
杉江 ペーソスの話になるでしょうね。漫画じゃなくて。
寸志 それこそ「喜劇は悲劇のように。悲劇は喜劇のように」みたいなことなのかもしれないですけど、ちょっと哀れが過ぎるのもどうかと思います。
杉江 寸志さんが爺さんになったらまた違う演出になるのかもしれませんけど。
寸志 そうですね。でも、七十、八十で一生懸命やる噺でもない気もするんです。「幇間腹」ってやっぱり、勢いあるしゃべりができるうちにやるものなのかなと思いますね。
(つづく)
(写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤敦太)
※「寸志滑稽噺百席 其の三十二」は4月21日(木)午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催します。詳細はこちら。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。コロナ対策の意味もあるので、できれば事前にご予約をいただけると幸いですsugiemckoy★gmail.com宛にご連絡くださいませ(★→@に)。