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『第6回:オウム返しの芸談とおじさんの苦労再び、の巻(寸志滑稽噺百席其の四)』


寸志滑稽噺百席とは:珍しいネタを増やすのもいいが、立川寸志はどこでもできる、絶対にウケる、汎用性の高い滑稽噺を二ツ目のうちに増やすべきではないか。それが杉江松恋の提案でした。年6回、三席ずつを積み上げて真打になるまでに百席を積み上げる会がこうして始まったのですが。

杉江松恋(以下、杉江) 次の第4回いきましょうか。2017年8月20日の開催で、席の10、11、12は「看板のピン」「ぞろぞろ」「鰻の幇間」でした。

■「ぞろぞろ」

【噺のあらすじ】
出雲で開かれる寄合に出た神様がなかなか帰らず、門前の店はみな寂れてしまう。ひさしぶりに期間した神様はお神酒をくれた娘のため、ひさしぶりにご利益をやることにするが。

立川寸志(以下、寸志) このときのネタおろしは「ぞろぞろ」です。これはうちの師匠(立川談四楼)もやります。家元(立川)談志師匠がおじいさんおばあさんのやりとりじゃなくて、おとっつぁんと娘に変えて、良い感じになりましたよね。おじいさんおばあさんの話っていうのは何かこう、じじむさい感じがする。
杉江 昔話臭はしますよね。翁と媼ですからね。娘が出ることでちょっと色っぽくというか、艶っぽくもなり。
寸志 そうなんですよね。世代間の宗教観の違いみたいなことにもなるじゃないですか。「おとっつぁん、そうじゃないよ」っていう、あの家元の言いかたなんかもかわいい。あと、神様がいいんですよね。他の人は神様あんまり生々しくは描かないですけど、家元のは本当にダメ神様で、巫女さんと同棲して「出てってよ」って言われる神様ですからね(笑)。社の中から「いいね。娘十八、かわいいね。きれいだね」「はいはい、うん。前向きに善処します」みたいなね、あそこらへんもおもしろい。あの神様像がやりたいですね。家元のサゲの言いかたも「後から新しいヒゲがぞろぞろ、ってね」って言うんですよね。その「ってね」がかわいいし、かっこいい。「後から新しいヒゲがぞろぞろっ!」なんて堂々と、というか、胸張ってサゲるのは、ちょっとかっこ悪いから「ぞろぞろ、ってね」っていう、そのテレの良さってあるなあ。個人的には10月にやる噺という認識なんですよ、「こちらでは神無月、出雲では神在月なんてことを申しまして」って。家元の音源で「年にいっぺんだけ集まる。たまに集まる。いづも集まらない…どうでえ、このアドリブの冴え」っていうのがあるんですけど、これもいい。それ、僕もや入れますけどね。


■「鰻の幇間」

【噺のあらすじ】
街を流して上客を見つけようとする野幇間の一八。初対面のような気もするが羽振りのいい客を見つけて鰻屋に連れ込むことに成功する。二階に上がり、これでご祝儀とほくそ笑む。

杉江 二席のうち、「鰻」をやってるのは8月だからですかね。土用だから?
寸志 そうですね。そうなると、「ぞろぞろ」がおかしいですね。なんで10月でもないのに「ぞろぞろ」やるんですかね。今言ってることと大違いですね。「鰻の幇間」まあストレートに夏だからでしょうね。
杉江 アンケートに「ちょっと怖かった」とあるんです。たぶん一八が鰻屋にすごんでるところだと思う。すごむっていうか文句言ってるところじゃないかな。怒ってるように聞こえたってことかなと思いますね。
寸志 そうね。やっぱり、まだまだ、一本調子なんでしょうね。「喜劇は悲しく、悲劇はおかしく演じなさい」みたいなのあるじゃないですか。で、やっぱりこの幇間の悲劇みたいなものを表すときに、一本調子で怒鳴りすぎてるから「怖い」という風な印象になったんでしょうね。もうちょっと強弱なきゃいけないと思うんです。もっと悲しそうにしたりだとかでもいいんでしょうけど、ずーっと怒鳴ってる感じになったんでしょうね。今はもうちょっとうまくできていると思うな。コメントに「自分の中では幇間はどハマりです」とあるのは、コメントしてくれた人が「いいな」と思ったという意味でどハマりなのか、寸志に幇間というキャラクターはどハマりなのか、ちょっとわからないですが、自分向きの噺ですよ。だから年一、イヤ夏に2~3回ぐらいはやりますしね。サイズ的にはちょっと滑稽噺というには大きいですが、これは楽しくやってます。

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■「看板のピン」

【噺のあらすじ】
元は博徒の親分が若い者がさいころで遊んでいるところにやってくる。せがまれてひさしぶりに胴を取ることになった親分、振ったのはいいが肝腎のさいころが壺から出ている。

杉江 次は「看板のピン」。
寸志 これが難しいんですよね。
杉江 「看板のピン」は難しいって他の演者さんも言いますね。
寸志 「看板のピン」をちゃんとできる人をものすごい腕があると思うんですよ。「看板のピン」がかっこいいのは(立川)談修師匠。きちっとやる。フリがきちっとしてて、オウム返しのほうもきちっとできる。僕なんかよく順番、「これが先だ」とか「あれが先だ」とかとっ散らかっちゃって「ああ、抜かした」とか、そういう風になっちゃうんですよ。あれは全部、隠居の親分が言ったことを言った順に言った通りを踏まえた間違いを繰り返さないとつまんない。そこがフニャフニャになっちゃうんです、僕だと。「看板のピン」できる人はすごいうまいと思う。談修師匠はうまい。
杉江 そういうことなんですね。親分との対比みたいなところで。
寸志 ちゃんとオウム返しできるか、ということです。オウム返しって、きちっと繰り返せないから失敗するというパターンですけど、噺家の台詞のレベルではきちっと繰り返さないと笑いは起こらない。それが私は、まだまだできてない。苦手なんですよね。しっかりテキストをおなかに入れてやるというより、調子と勢いでやっちゃってるから、そういうことになる。「看板のピン」苦手だわ。猛省だわ。
杉江 (コメントを見て)「親分の年季と口調の軽妙さに伸びしろあり」。伸びしろあり、ってことは。
寸志 ということは、「まだ物足りない」ということよね。本当そう思いますよ。
杉江 コメントのこの…「悪いキノコ」ってなんですか。
寸志 ああ、挟んだくすぐりのことですね。オウム返しするやつが何か変なこと言うから、「悪いキノコでも食ったんじゃねえか」っていう。何かたぶん事件か何かあったんじゃないですか。マジックマッシュルーム的な。
杉江 ああ、「芸能人が変なもんやっちゃいましたよ」みたいな。当時の時事ネタなんですかね。
寸志 うん、ちょっと憶えてる。
杉江 あとになるとわからなくなるものですね。まあ、二度とやらないクスグリなんでしょう。
寸志 でも、アンケートでコメントいただいたということは印象に残ったってことでしょうから、よしとします。これが「いけないクスリ」だとナマすぎていけない。「悪いキノコ」、採用!
杉江 あとになるとわからなくなる、でつなげるのも無茶なんですが、この対談を収録しているのは、立川志らく一門のらく朝さんが亡くなったという報道があった翌日でした(2021年5月12日。らく朝さんは5月2日に亡くなった由。享年67)。らく朝さんは現役の医師でしたが、落語への思い捨てられずに志らくさんに入門したという変わり種でした。同じく四十路過ぎての入門ということでしたが、たぶん家元が存命中の弟子ということで、寸志さんとはまた別のご苦労もあったでしょうね。
寸志 らく朝兄さんのご苦労については側聞するだけでした。そこはオトナだから、全部呑み込んできたんでしょう。つくづく早すぎたな、と思います。後から入って先に死んじゃうなんてね。さぞ悔しかったろうと。うん――やっぱり、歳取って入るというのは、いろんな意味で大変です。歳取っていていいことは決してない。ただ、僕にとっては一般の会社員を20年やったというのは必要な時間でしたけどね。僕はたぶん、大学卒業してすぐ噺家になったら、「ああ、こんな世界くだらない」とか「噺家なんてバカばっかだ」みたいな風に考えてすぐ辞めちゃったと思います。イヤ絶対続かなかった、辞めたと思う。会社員を20年やってから入ると、そこで辞めない。もう後ないでしょ。何かあっても「バカだ」とも思わなかったし、「こういう世界なんだな、よしよし」みたいに納得する方向に持って来られた。僕にとってはこの20年の社会人生活は落語家になるために必要なものだったんです。
杉江 お。かっこいい。
寸志 いや本当に、切実にそう思います。逆に、四十過ぎて入ってきても誰でも大丈夫、とは僕は言えない。それは人それぞれ。
杉江 そもそも四十過ぎたおじさんおばさんが怒られてしょんぼりしてるのって切ないですよね。端で見てても。若い他の前座さんから見ても、自分より二回りぐらい上の人がね、叱られてちっちゃくなってるのを見るのは辛かったと思うんですよ。
寸志 痛々しいでしょうね。それはしょうがない。できるだけ怒られないようにするしかない。僕も叱られてしょんぼりしてたと思いますけど、前座ってそういうものですから。叱られて平然としていたらもっとまずいと思うし。
杉江 いわゆる鈍感力で乗り切ったりしてね。
寸志 それは若くても歳取っていても危険かなあ。気働きが大事な世界ですから、鈍感は疎んじられます。歳を取っている場合、とにかく何があっても年齢のせいにされるんです。うまくいったら「トシくってんだから当り前だろ」、しくじったら「トシのくせにそんなこともできねえ」。まぁ面白半分ですけどね。年齢じゃなくて年期、入門順だとすなおに信じて入りましたが、どっこいそうはいかない。入門前、僕と師匠は作家と担当編集者の間柄だったのも逆風ですよね。

注:立川寸志は元編集者。作家・立川談四楼の本も手掛けていて、弟子入りしたときにも某企画を進行させていた。改まった態度でやってきていきなり頭を下げた寸志を見て談四楼は、まさか弟子入りとは思わず「ああ、本の話が流れたな」と考えたという。

杉江 ああ、そこから愛される中年前座までの道のりは相当遠かったんじゃないですか。
寸志 まあ、前座時代の「愛され度」は相当低かったと思いますけどね。そこはもういいや、って割り切って。今の半ちゃん(談四楼門下の前座・半四楼)なんかは東大卒っていうスティグマがあって、それも大変だと思いますけど、彼はどちらかというとボケタイプだから前座らしくていいと思うんですよね。汗っかきだしね。汗かくと「着物が汚れる」とか「無粋だ」とか嫌がる人も多いけど、一生懸命な感じがしていいでしょ。
杉江 額に汗して働く、ということですね。
寸志 そもそも談四楼一門の中年前座のハシリは、長四楼兄さんという方です。47歳で入ったのかな。元食品会社の営業マン。僕は44歳の時に長四楼兄さんの初高座を見て「あ、47で入れるんなら44の年齢で断られることはないぞ」と大きく入門に傾いたわけで。入門の恩人の一人です。
杉江 そうなんだ。僕、何回かしか聴いたことないんですけどね。僕が落語を生で聴いていない時期のお弟子さんで、聴くのを再開したころに廃業しちゃったから。
寸志 「今いてくれてたらな」とは思いますけどね。ごめんなさい。全然関係ない話になっちゃって。
杉江 長四楼さんについてはまた機会があったらお話ししてもらうことにして、とりあえずこれを読んでいる人にはググってもらって。
寸志 師匠談四楼のエッセイ「弟子の〝もの覚え″」(『落語家のもの覚え』ちくま文庫・所収)もご参考くださいませ。以上一門の宣伝でした。(つづく)

 (写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤敦太)

※「寸志滑稽噺百席 其の二十八」は8月26日(木)午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催予定です。詳細はこちらから。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。



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