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『第2回:滑稽噺とは「汎用性の高い噺」である、の巻(寸志滑稽噺百席ができるまで 後編)』


前回までのあらすじ:2015年4月に前座から二ツ目に昇進した立川寸志。持ちネタの珍しさなどもあり、ごく一部の落語ファンには知られる存在になっておりました。その寸志に「若いおじさんの会」などの落語会を依頼していた杉江松恋は、そうした寸志の活動を見ながら、あることを思いついたのですが。

杉江松恋(以下、杉江) 二ツ目の2年目に入ったあたりで、寸志さんはそれまでの方向性にちょっと限界を感じ始めていた、というところが前回まででした。
立川寸志(以下、寸志) 珍しい噺とかやっていても、お客様にも楽屋にもウケはよろしくないな、と。そう気づき始めた、と。
杉江 そのころの話です。僕は何かの会で寸志さんを聴いた帰りだと思うんだけど、「どこでもかけられるような滑稽噺をたくさん持っているというのが必要なんじゃないの」とパッと思ったんですよ。「どこでも営業に行ける感じの強さっていうのは、けっきょく滑稽噺じゃないの」って。
寸志 なるほど。
杉江 また、大きなお世話かもしれないけど、寸志さんがこれから真打に昇進するまでの期間で何をやるかという課題の一つとして滑稽噺を増やすというのはいいんじゃないか、ということをtwitterか何かで書いたんじゃなかったかな。それで寸志さんが僕に連絡してきたんですよ。そこでのやりとりはもう憶えてないですけど、「それはいいと思います」みたいなことを確かにおっしゃられた記憶はあります。直接、話して言われたのか、メールかはわかんないですけど、「じゃあ、やりませんか」って言って。
寸志 やっぱり自分の中でも、もっとフツーに素直に、気楽に笑ってもらうことを目指して、という気持ちがあったのかもしれないですね。
杉江 いっぱいネタはあるんだけど、二回は掛けない噺ばかり、みたいな。自分の会のトリじゃないとかけられないような噺ばっかしになっちゃっても、というのも確か、僕の頭の片隅にはあったと思いますよ。「汎用性の高いネタが絶対いりますよ」と。
寸志 「汎用性の高いネタ」、それですね。だからこの会(立川寸志滑稽噺百席)で滑稽噺って言った場合の定義って、第一に「汎用性の高い噺」っていうことなんですよね。内容的にも長さ的にも。どこ行っても通じる、どんな種類のお客さんでも堂々とできる。で、それなりの成果、「笑ってもらえる」という成果を得られる。そういう意味で言えば汎用性の高さってすごい滑稽噺のポイントですよね。楽屋内と言うか、番組内での「汎用性」っていう面も大事ですしね。二ツ目向きというか、周囲が困らないというか。汎用性ないですよね、「開帳の雪隠」は。
杉江 どっちかっていうと「勘定板」と同じグループですからね。女性に嫌がられるかもしれないタイプの噺。それだったら「崇徳院」とかやったほうがいい(笑)。
寸志 そりゃあウケるわ(笑)。もっと罪のない噺でいいわけだし。「堀の内」とか。
杉江 そうそう。それで、そういうふうに相談がまとまって、たぶん2016年のうちにその話をしてるから、「年が改まったら隔月でやりましょう」という話をした。その日、寸志さんはね、「短いほうがいいです」って言ってましたよ。
寸志 なにを?
杉江 会の長さ。「1時間半以内で終わりましょう」って言ってた。
寸志 うそじゃん。全く守ってないじゃん(笑)。
杉江 うん、守ってない(笑)。
寸志 でも、そもそも1時間半以内っていう志が間違ってますよね。3席なんだから。「汎用性が高い、寄席でもどこでもできる長さ」というところから言えば1時間で十分でしょう」ってなるわけでしょう? 普通の人だったら。なんでそこで90分必要としたんだろうね、その人は(笑)。いや、今でも短くしたいんですよ。
杉江 あと、「勤め帰りに来られるようにするために、午後8時に始めましょう」って。
寸志 それ、僕の提案?
杉江 そうですよ。なんか、「よそで言われた」って言ってました。
寸志 確かに「あまり早いのは行きにくい」みたいな声はいただいていたんですよ。また、最初の会場だった電撃座については打ち上げもやるということだったんで、「遅い時間に始めて、サクッと終わって、サクッと飲んで帰りましょう」というコンセプトになった。
杉江 ……そうならなかったですけどね。
寸志 ならなかったですけどね(笑)。こうやって話してみると、全部杉江さんのお膳立てに乗ったつもりでいたんですけど、そうでもないですね。割と僕が言い出したことがある。
杉江 うん。基本のところは最初に相談しているんです。で、第一回を2017年2月、毎回偶数月にやるということになった。これは初演の会「寸志ねたおろし」と違う月にするということで。

■立川寸志の「武器」とは何か?

寸志 「百席やろう」っていうのは杉江さんのアイデアですよね?
杉江 そう。なんで百席なのかは忘れました。「真打になるまで6~7年ぐらいかかるから」みたいなことじゃなかったかなあ。
寸志 ちょうど終わるころに真打になる。
杉江 あ、もう一個ある。立川流だからですよ、百席は。「真打百席」って条件が昔あったじゃない。
寸志 そうだ。今はもうビミョーですね。
杉江 「二ツ目は五十席、真打昇進は百席持っている」っていう条件を家元(立川談志)時代に決めていたんですよね。その条件があるとしたら、「滑稽噺だけで百席はある」と言えたらかっこいいじゃん、って。それも言ったかもしれない。
寸志 そうだ、それは憶えてる。立川流だから百席なんだ。真打昇進の基準としての百席。百席は持ってる、っていうことになるから、真打昇進への一つの足がかりにもなるだろう、と。いいなと思ったのはカウントダウンだということですね。それは真打うんぬんとはまたちょっと別で、やり切る目標ですね。例えば滑稽噺の会を毎回「こういう風にやります」っていうよりは百席と決めて、ちゃんと終わる。そこの「終わる」ところが大切なだと思っていて。「終えて、次の段階に行く」っていうイメージがあるわけですよ。だから、大事だなと思っていて。
杉江 あと、ちゃんと終わる数ですからね。アラビアンナイトじゃないんだから千とかにしちゃうと、寸志さんいつまで経っても真打になれない(笑)。四十路過ぎて入門したから、下手したら死んじゃう。キャラクターの話になるんですけど、寸志さん二ツ目になって間もない時期というのは、どういう風な落語家像を目指しているか、なんてお話をしたことはなかったと思うんです。ただ、滑稽噺の提案をしたとき、「これはまあ、そんなに寸志さんのキャラクターに外れないな」という確信みたいなものはあった。寸志さんがたとえば「俺は新作一本でいくよ」みたいに言っていたら、そんな提案はしなかったしね。僕も「二ツ目としてこれから一本立ちしていくときに、変な色つけちゃ悪いな」とは思っていたわけですし。その辺は、寸志さんは二ツ目なりたてのときってどんな風に考えてたんですか。      寸志 キャラクターということで言えば、自分の特性は「トントンとした調子のよさ」だと思っていたんです。リズムよくメロディよく話すことができる口調。前座時代からやってたネタでいえば「野ざらし」とか「幇間腹」とか「鮫講釈」だとか、パーッとしゃべる。これは技術的な面での話。もう一つは「一眼国」「和歌三神」「将軍の賽」だとか、そういう変わったネタ、珍品みたいなものが一つの売りになるんじゃないか、と思っていましたね。杉江 やっぱり、他の人と比べてどうか、って考えるんですか。落語家みたいなピンの芸人さんは、どうやって一個の商品として自分を売っていくようになるんだろう、っていうのが単純に興味があるんです。
寸志 立川流にいると、望むべき噺家像って、「独演会ができる人」じゃないですか。協会にいたら、もちろん独演会もみんなやりますけど、寄席でトリを取って、大にぎわいで客もいっぱい来て満足もさせる人が、一番かっこいい。
杉江 そうか。寄席で主任興行が打てる人ですね。
寸志 そう。これはお金が儲かる、儲からないの基準ではなくて、どういう風な噺家かということですね。立川流の場合は何と言っても基準は談志師匠であり、次の世代で言えば、志の輔師匠、談春師匠、志らく師匠。その3人だとすれば、独演会で「まずはワッと笑わし、ちょっとオッと思わせるネタをやって、中入り明けガツンと人情噺やって、満足させて帰る」だとかね。そういう、会の構成含めた自分の芸の幅というかな、持ちネタの幅みたいなのを考えるわけですよ。そうなると基本的にみんな、大ネタ志向にはなりますよね。
杉江 まあ、だって自分の会ですからね。
寸志 トリを取れるネタを早いうちからがんばる。たとえば志の輔一門は、前座から二ツ目に昇進するときの課題曲みたいなもんで「宿屋の仇討」を二ツ目の初の独演会でやる人が多いんです。志の輔一門の昇進基準は難易度高い大ネタと言える。とにかく大ネタっていうのが必須なんですよね、立川流の場合は。私ももちろん、うちの師匠の指導のもと、そういうの増やしていった面もあります。一方で、ここからは落語マニアの自分、「中学生から落語が好きで、大学も落研で、落語のことを好きですよ、落語好き過ぎてサラリーマン辞めました」みたいなところを一つの売りにして、「ああ、こんな珍しい噺を掘り起こすんだ」というところを、一つの価値にできるかなとは思ったんですけどね。

■落語ファンの中核を撃ち抜くには

寸志 思い出したんですけど、前座の終わりくらいのときに、落語協会のさる真打目前の兄さんとどっかの楽屋で二人きりになったときに「君はどういう噺家を目指してんの?」って聞かれたんですよ。それで結構考えちゃった末に「何か珍しいネタとかをできるようになりたいです」みたいな風に言ったら「ああ。うちの兄弟子にもそういう人いるけどねー」みたいな感じで。その兄さんからすれば、たぶん興味のない答えだったんでしょうね。
杉江 ああ。「どうやって売れていく」みたいな感じじゃないから。
寸志 そうそう。「『笑点』目指してます」とかじゃないから。メディアにのるのらないのような売れる売れないではなくて、そういうことが売りになると思っていたんですよね。それでさっきも言ったように「和歌三神」をやったり、「開帳の雪隠」なんかもそうですし、「一眼国」、「庭蟹」もそうだな。「庭蟹」を初めてやったのは前座時代ですから。前座時代は勉強会で「強飯の女郎買い」とかやってますね。
杉江 前座が「強飯の女郎買い」やったんですか(笑)。
寸志 大好きなんですよ。だからね、そういうのもあるんだ。僕は、自分が中学時代に聞いて熱狂したそれをやりたい、っていうだけなんですよ。「強飯の女郎買い」は八代目(三笑亭)可楽ですよ。「屑ぃお払いをござい」っていうとこだとか、そういうことなんですよ。だから……そりゃあ鼻持ちならねえや。
杉江 扱いづらそうな前座だこと(笑)。
寸志 二ツ目になってからですけど、一時期バレ噺に凝ってましたね。バレの小噺を一席にしようと。
杉江 いっときの露の五郎(後の二代目露の五郎兵衛)さんみたいになりたかったんですか。
寸志 なれればなりたいですけど、まだ早いでしょ(笑)。とにかく珍しいネタをやろうやろうと思ってた。でも、それは行き詰まるんですよね、すぐに。「そんなにニーズねえな」っていうことよ。
杉江 まあ、元バレの小噺を四十分にしても、イイノホールで独演会できないですよね(笑)。
寸志 (笑)。だから、なんと言ったらいいのかな。独演会やったときに「芝浜」でたとえばトリをとるとして、ですよ。一席目はもうちょっとわかりやすくて明るい、「だくだく」とかそういうのやって。二席目はもうちょっと変わったもの、(桂)米朝師匠の言う「今日はちょっとお珍しい噺を」みたいやつをね。だからそこにバレ噺っていう考えもあったんですよ。「合図の太鼓」っていう小噺から一席作ったり、百席でも掛けた「嫁の力」もやって。そういうのが「自己満足にすぎないな」という風に思っていた矢先なんじゃないですか、この百席のお話をいただいたのは。そこを杉江さんも見てて、今「どういうキャラになるのかな」っておっしゃっていただいたのは、つまり、「寸志、迷走してるな」と。
杉江 「どっちに行くのかな」というのは思っていた。ちょっと興味を持っていたんですよ。寸志さん、会で自分のネタ一覧とか配ってた時期があったでしょ。そういうの見て、すごいなあ、とか思っていたからね。僕らも昔『東京かわら版』で露の五郎が珍しい噺やるって予告してる、って行ったりしてたからさ。寸志さんの一覧を見ると、ネタ出しされたら喜んで行くような噺がいっぱいあるわけですよ。
寸志 「紀州飛脚」とかね。
杉江 うん。ネタ出しで今見たら絶対行く(笑)。ただ、それって「東京に何百人いるかわからない、『東京かわら版』買う人がファンになる落語家」の感じじゃないですか。

■令和の落語ファンはどこにいるのか

寸志 その「東京かわら版」を買う人だったり「落語を聞く」っていうお客さんが、僕が二ツ目になる直前ぐらいからグイーンって変わり始めたんですよ。さっき言ったイケメン落語家だったり「成金」だったり、そこから端を発した若手ブーム、プチ席亭ブームっていう流れがあるわけじゃないですか。落語ファンの中心が「東京の何百人」じゃなくなるという流れが。
杉江 ああ、その流れね。
寸志 東大の落研みたいな研究したり、勉強したり、というところのファンじゃないんです。「この噺の(三遊亭)小圓朝の演出は…」、とか、そういうのじゃないんですよ。お客さんがそうじゃないものを求めているのに、こちらはマニアックに、この噺のポイントはここで、だから過去のこういう名演を参考に、こういう視点を補って――みたいなことをやったりしていたわけ。それは今でも自分の売りの一つだと思うから後悔はないんですけど、「いいでしょう? これでこの噺の矛盾が一つ解決」とか、あるいは「どうです、このメロディー、この口調、このフレーズ」というノスタルジーみたいなところだけでやってたら、「どうなんだろうね」っていう風になっちゃうんじゃないですかね。
杉江 うーん。
寸志 自分のキャラづけっていう話ですけど、当然お客さんだけじゃなくて、同業の、自分と横並びの落語家たちも、もちろんそれは見ますよね。そこで自分の市場価値をどこに見出すか、という話でもあると思うんです。一応、キャリア的に近いところにいる人たちとの商品力の違いは考えるわけですよ。僕は新作はめったにやらないですけど、たとえば「古典落語を大胆に改作していく」っていう意味で言えば立川流にはそういう先輩後輩がたくさんいる。同じところで勝負はできないなと思います。なんというのか、もうちょっと、落語としての気持ちよさ、みたいなものを自分は打ち出していったほうがいい。後は、元の落語にどこまで手を入れるのが自分の美学みたいなところが正直あります。僕自身は噺の世界観が変わるほど手を入れるのは、自分ではやらないし、やれないんですよ。お話をこしらえるセンスはさほどないんですよね。
杉江 落語家としての資質とか方向性の問題はあると思いますよ。
寸志 そう、自分の程度として「変えていい範囲、そうでもない範囲」みたいなものがあるんです。美学っちゃあ美学だけども、骨絡みで守らざるをえないルールということですね。昭和三十年代の落語黄金期への思い入れが強すぎるんです。生まれてないけど(笑)。それでも、間近にいる人たちとの「商品としての見栄えの違い」は出そう、というのはもちろん思ってました。
杉江 それで二ツ目としての方向性も決まってくると。それはそうですよね。同業者もいるわけだから。
寸志 その試行錯誤の結果として、珍しい噺とかね、そういうところに行ったわけです。それで、行き過ぎそうになっていて、「うーん、大して結果出ねえな」みたいなところだったんじゃないかなと、今から思うと推測しますね。
杉江 なるほど。おもしろいところで僕は声をかけたわけですね。(つづく)

(写真:川口宗道。構成:杉江松恋。編集協力:加藤敦太)

※「寸志滑稽噺百席 其の二十七」は6月24日午後8時より、地下鉄東西線神楽坂駅至近のレンタルスペース香音里にて開催予定です。詳細はこちらから。前回の模様は以下のYouTubeでダイジェストをご覧になれます。



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