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冨木乗有宛十月十九日付光琳書状(國華1548号要旨)
仲町啓子
紙本墨書 1通 縦15.5㎝ 横62.1㎝
尾形光琳(1658-1716)が冨木乗有(生没年不詳)に宛てた書状で、光琳はこの手紙で、2枚の屏風を冨木から借りて描き写したことと、追伸として、宗達筆の作品を見つけたら知らせてほしいと書き添えている。光琳が宗達の作品を熱心に探していたことを示している。
署名の筆跡から考えると、この書状は1712年か1713年頃のものである可能性がある。その頃、光琳は江戸での生活を切り上げ、正徳元年(1711年)に二条城の近くで画室のある別宅の新築に取りかかり、制作に意欲を燃やしつつあった。この時期、光琳は大名向けの作品の制作に注力しており、彼が二条城近くを選んだのは、このあたりに大名の京都屋敷が多く点在していたからだ。
宗達と比べて光琳に大名家旧蔵作品が多いのは、光琳の江戸滞在の成果といえる。京へ戻った光琳は、岩絵の具を駆使した宗達風の金屏風の制作を求められる。この書状は創作活動に精力的に取り組んだ晩年の光琳を垣間見させている。
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