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これまでの人生に意味があったとしたら


過去をマイナスに捉えるのも、プラスに捉えてみるのも、それは自分次第。

ぼくは昔っから、あるコンプレックスがあった。部活でテニスをやっていたときも、学校で勉強をがんばっていたときも、いつもぼくには勝てない人がいて、ナンバーワンになることができなかった。

レギュラーは取れても2番手だったり、良い点をとってもトップはスバ抜けた点数を出していたり、それに、後天的に身につけてきたコミュニケーション能力よりも、本来はひとりで何かに没頭するほうが好きだったり、人とは違う方を好んで選ぶような子どもだった。


でもだからといって、人に語れるような大きな挫折も今までひとつもない。

特別変わった経験があるわけでもないし、何か人とは違う能力があるわけでもない。


常識や普通がキライだったぼくは、いつの間にか常識に縛られ、普通の人になっていた。

そんな自分が起業に一歩を踏み出したのは、自分でも大きな博打に出たなと感じている。
一発逆転を狙ったようなある意味、賭けだった。


そんな大勝負に出たつもりだったのに、気づけばまた、「知識がない」「専門性がない」と、他人と自分を比較し、常識や普通に自分を当てはめようとしていた。

きっとぼくは、ほんとうの意味で、自分と向き合ってこなかったんだ。ないものばかりに気を取られ、その自分をまた自覚することが怖かったのだろう。


そんなぼくがあるとき「足りるを知る」という言葉に出会った。
「ないのではなく、すでにあるのだ」と、その言葉の意味をすぐに理解した。

ぼくの今までの人生に、足りてるものはあったのかな?


考えてみると、足りてるものだらけだった。
家族がいて、友達がいて、仕事があって、健康な体があって、若さがあって、自分の時間があって、自分で考えられる頭があって、自分の思いを表現できるツールがあって、住む家も、着る服も、食べるものも、娯楽も本もあった。


でも、そのときに一番あることに気づいたのは、自分の人生には価値があるということだった。
そして、これからの人生にも価値があるということだった。


足りないと思っていたところに、自分の強みがあること。普通だと思っているところに、個性があること。だから思うんです。

人は自分を変えなくても、今になにかを足さなくても、見方を変えれば人生が変わるんだということを。

そして、それを伝えていくことが、やりたいことだということも。


今日のタイトル「これまでの人生に意味があったとしたら」というのは、まさに今のあなたに投げかけたい問いです。

自分のこれまでの人生に、意味があったとしたら、その意味は何のためにあるのでしょうか?

これまでの人生が「手段」だとしたら、その「目的」は何なのか?を考えてみると見つかりやすいかもしれません。

それも、あなたの見方を変えるための質問です。ぜひ考えてみてください。


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アウトプットディレクター/やながわこうき
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