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アジア人に対するコロナ差別問題 ~人種差別における発言することの重要性~

こんにちは。KWです。

本日、3/23(月)は本来ならば、卒業式に参加するはずでしたが、新型コロナウィルスの影響で、残念ながら卒業式は中止に。。。

世界中で大変な状況ですし、一卒業式の事などでボヤいている場合ではありません。個人的には大学側は良い判断をしたと思っております。

新型コロナウィルスの影響で各方面で苦労されてる方々いらっしゃると思います。辛い時ですが、国民みんなで乗り切っていきたいと日々願っております。

個人的なところで言えば、卒業旅行で訪れようと思ってたフィジーの便がキャンセル(お金が戻ってくるのでまだ良かったです)、1番好きなバスケットボールのアメリカプロリーグNBAの試合の中止(3ヶ月ほど)など、残念な出来事は当たり前ですがあります。とは言っても、一時的なことですし、無事終息してから楽しみを増やしていけばいいと前向きに考えております。


とまあ、前置きが多くなってしまいました。普段から話すと止まらなくなるもので、悪い癖がでてしまいました。いよいよ本題です。

皆様は<差別>を経験したことがありますでしょうか?

どんな差別でも構いません。必ずあると思います。人種差別、男女差別を筆頭に差別は生きている以上、必ずどこかで目にすると思います。家族間、友達間でも、小さな差別は存在しているのです。

私は今年の2月頭から3週間ほど、南アメリカ大陸で卒業旅行をしておりました。私はそこでいわゆる[アジア人のコロナ差別]を経験しました。その時の話を少しシェアさせて頂きたいと思います。

私たちは旅の終盤を迎え、いよいよ帰国まで4日ほどという時にその事件は起こりました。その日はかの有名な世界遺産である<マチュピチュ>に向かう日でした。

<2020年2月、筆者撮影>

南米に来て、1番行きたいところはどこか?と尋ねられれば、三本の指に入るのがここマチュピチュなのではないでしょうか?

私達も前日から胸を高鳴らせていました。ようやく出発する日の朝になりました。すると、友達の1人がお腹の調子が良くなさそうで少し苦しそうでした。一向に良くなる感じがせず、正直私達は焦りました。というのも、ここまで来て南米メインのマチュピチュに行けないってことはどうなんだ!?という気持ちが働いていたからです。正直今思い返してみれば、ここでしっかり病院に行き、対処すべきでした。私達の中の欲求がその行動を邪魔したのです。

そして、私達はマチュピチュ村に向かうべく、鉄道の駅まで向かうバスに乗ることにしました。鉄道とバスはセットになっていて、< PERU RAIL >と呼ばれる鉄道会社を通して予約しました。友達が苦しい様子ながらも、普通にお腹痛いだけで、バスに乗ってるうちに治るだろうという安易な考えでいました。

バスに乗るとマチュピチュに向かおうとする西洋人と数人のアジア系の方々がいました。その後バスは定刻通りに出発。鉄道の駅があるオリャタイタンポに向かうことになりました。その道中、やはり痛みに耐えきれない友達がバスの前の方で苦しそうにしていると、何人かの欧米人が急にマスクをつけだしました。何人かに至ってはパーカーの紐を引っ張り、目しか出ないくらいの状態になり、嫌悪感を示しながら臨戦態勢に入るかの如くでした。

当時はコロナウィルスの患者は中国を筆頭に、日本が2番目、他のアジア諸国のみということもあり、コロナウィルスに対する正確な知識を知るものも少なかったこと、アジア人差別が露骨に欧米諸国で広がっている時期でした。正直なところ、私が欧米人ならその時同じ対応を取ったかもしれません。アジア人が苦しそうにしている=コロナウィルスと捉えたかもしれません。ですので、彼らの態度を見て、正直イラつきましたが、仕方ないのかな。。。くらいに思っていました。

しばらくバスが走った後、友達がどうしても苦しそうだったので、バスを降りるか降りないかの話になりました。その時、友達の1人は欧米人の取った過剰ともいえる差別的行為に泣いてしまい、その場の環境に耐えられない様子でした。全員で降りることが最善策だったのですが、私はマチュピチュに行きたいという欲に苛まれ、二手にわかれるという決断を取ることにしました。正直苦しんでいた友達、その友達について行った涙をこぼしていた友達には申し訳ない気持ちでいっぱいですし、自分はなんて傲慢な人間だろうとすら思いました。

その贖罪から来た行動だったのかもしれません。私はその時決心しました。その時すでに南米に来て3週間が経っており、コロナウィルスの感染の可能性が低いということも理由の1つでした。私は席を離れ、バスの1番前に立ちました。

私: 皆様。まずはご心配かけて申し訳ありません。今はコロナウィルスのことがあり、私達のことを見て、感染者なのではないかと思った人もいると思います。しかしながら、私達は感染していません。断言できます。私達はすでに南米に来てから3週間以上経っており、2週間の潜伏期間という条件をクリアしています。まず、そこのところは安心してください。しかしながら、皆さんがあからさまに嫌悪感を示し、マスクをつけ始めた行動に対して、私達は悲しい気持ちになりました。そこのところを理解して欲しいです。
乗客A: まず、そもそも具合悪い奴は公共の乗り物に乗るのおかしくね?そこの配慮しろよ。
それに、俺ら別にマスクつけたのは感染予防のためだから。第一、おれはロサンゼルスから来てるけど、カルフォルニアには1人コロナウィルス感染者いるぜ。
私: 具合悪いというよりも、お腹が痛そうにしていて、時期に治ると思ったから乗せました。そこに関しては確かに配慮が足りなかったかもしれません。しかしながら、あなた方、特にあなたみたいにフードをそこまで絞って過剰な反応を取る必要はありましたか?私は予防のためにやっていることは理解していますし、それに対しては責めていません。それよりも、アジア人だからコロナにかかっているという概念のもとに行動したことに対して、私達アジア人が悲しんでいることを伝えたかっただけです。
乗客A: 別にお前たちがアジア人だからマスクをつけたわけじゃない。あくまで予防だ。
私: 分かりました。ただこういう状況下で苦しんでる人もいることを伝えたかっただけです。
乗客A: 分かった。

そして、私は席に戻りました。その途中、マスクをつけていたヨーロッパ系の人々が話してくれてありがとうと声をかけてきました。彼らも人命に関わることなので、心配からマスクをつけたことは私もわかっているので、ただ、「いえ。」と返答しました。

また、席に戻ると、横に座っていたフランス人の方が、「あなたが取った行動はとても偉いことだわ。スピーチ素晴らしかったわ。」と評価してくれました。私はこのように理解を示してくれる方々がいたことに感動を覚えました。

※ その後友達も病院で診察してもらい、お腹の痛みも回復し、みんなで無事にマチュピチュに行くことができました。

私は海外67カ国旅してきて、多少の人種差別はありましたが、今回みたいなケースを経験したのは初めてでした。もちろん、ウィルスという恐怖があったからこそ生まれたものですが。。

私は今まで、小さい人種差別は目を瞑ってきました。そんなことで怒っても意味がない。相手にする方が無駄だと。しかし、今回意を決して多国籍の人の前で発言することで一つの結論に辿り着きました。

差別はその差別を認めてしまう方にも非があるのではないか。嫌なことがあるなら行動し、発言するべきだ!」 

よく、いじめにおいて、いじめられる方が悪いという人がいますが、それは間違いです。100%いじめる人が悪いです。しかしながら、いじめられていることに対しておかしいと思えなくなってしまっている状態に陥ることも危険です。もちろん、言い返したくても言い返せないんだよ。ふざけんな。って意見もあると思います。それでも、発言、行動は重要なのです。

黒人差別が酷かったアメリカにおいて、黒人差別を無くすべく奮起したマルコム•Xキング牧師、彼らは発言することをやめませんでした。彼らの行動はやがて身を結び、今でも差別はあるものの、数多くの黒人俳優や黒人アスリートがアメリカでは活躍しております。私の大好きなNBAもその一つです。

差別されることに慣れて、反旗を翻すことをしないと、それは差別を認めてしまっていることになります。どんなに辛い状況でもしっかりと自分の意見を言うことこそが解決への糸口の一つなのではないでしょうか。

アジア人は語学の面で言い返せないと言うこともあるでしょう。今回僕が起こせた行動は[両親]が海外生活を経験させてくれたおかげとも言えます。大学生活において、それを活かしつつ、発言するのが苦手な私から発言できる私へと自分自身を変革出来たことが私が大学生活で培えた成果と言えるでしょう。[自分]で勝ち得たのです。

私の大学の精神、「ペンは剣よりも強し」を少しでも学ぶことができたと大学生活を振り返って思います。

卒業式の答辞みたいになりましたが、私の思ったことを正直に伝える場があってよかったです。

皆様は人種差別発言することの重要性、どのように思いましたでしょうか?

4月から新生活を迎える方も多いと思います。手洗いうがいをしながら、新生活に向けて三月の残りを皆さん是非楽しんでください。

KW

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