どうでもよいこと少し
Googleがもたらした検索文化が、人類から、「驚き」を減らしてしまった!と思っている。
検索行為は、便利だけど、
検索ばかりで生きていると、
「驚き」の総量が少なくなると思う。
どういうことかというと・・・
オレ達のようなマガジン文化で育った者たちは、新刊の雑誌を手に取り、さあ何が飛び出してくるのかな?とドキドキしたものだった。
自分の想像を超える「驚き」が、ページから飛び出してくるのが、愉しみだったのだよ。
検索行為は、アクティブな行為で、自身の脳が設定するキーワードからしか世界が開かれない。
一方、自分として何も設定しないで読むマガジンは、とてもパッシブな行為である。
昭和の時代は、パッシブなモノしかなかった。
テレビ、雑誌、新聞、ラジオ、イベント…
オレは、ティーンエイジャー時代以降、こうしたパッシブな行為から享受する「驚き」に毎日のようにドキドキしていたのである。
時は経ち、2020年代。
何が出るかな? 何が出るかな?
みたいなドキドキ的な行為よりも、失敗しない合理的な検索行為が前にきて、スマートな生活になってしまっているように感じる。自分自身も含めて。
それと、もうひとつ。
ここ10年以上続く何でもハラスメントにするムーヴメントが、「驚き」の総量を減らしていると思う。
パワハラ感満載の先輩が、「いいから付き合え!」とか言って、連れていかれる所が、いかに「驚き」に満ちた場所だったか・・・。
「軍歌しか歌えないスナック」とか、「誰一人日本語が通じないバー」とか、「社長と呼ばれ続けるフィリピンパブ」とか、「レズの皆さんしかいない店」とか。「センズリ臭ぁーい」しか言わないゲイバーとか。
物凄い「驚き」を頂けた。
脳が揺さぶられた。
こうした店は、自分から検索して行く筈のない場所で、先輩のパワハラ的な飲み歩きでしか行けない場所だった。
人は、インプットの量や質で、出てくるアウトプットが決まってくる。
とにかく「驚き」のインプットを増やさないと、ダメだと思うけどなぁ、と。