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パンチラ理論

皆さん「パンチラ理論」ってご存知ですか?
え?知らない?
それはそうでしょう。何故ならさっきタバコ吸ってる時に私が勝手に思いついたことなので。
ただ、これを自分の思考に留めるのではなく優良な情報として皆さんに共有したいと思うので、只今より「パンチラ理論」の講義を開講したいと思います。

パンチラとはなんぞや
衝動で思いついたので、私もあまりわかりません。すみません。書きながらまとめていきます。
えーっと、まずパンチラの定義からですかね。パンチラが起きる時とはどんな時か。想定の視界にはもちろんスカートを履いた女性が目の前にいることですよね。そこに突然な現象として転けるやら風が吹くやらスカートが何かが引っかかるやらが出来事のエッセンスとして加わり、スカートが捲れ上がりある一部分の色彩が変わると。そこでそれが「パンツである」と認識した時に、初めてこれが『パンチラが起こった』となるわけですね。

書きながらまとめてます。ついてきてください。

パンチラから呼び起こされる心情
で、パンチラが起こったと確認した目撃者はすぐさま「ドキッ」とするわけです。これは多分男女問わずとりあえず「ドキッ」とすると思います。しないよと言う人もいるかもしれません。その人は対象者を増やしてみたり距離感を変えてみたりなんたりして、自分の「ドキドキ焦点」を見つけてみてください。

ここで私が注目したいのは、何故、「ドキッ」なのか、という点です。「パンチラ」という現象は意図的に用意できるものではありません。もしかしたらバラエティーとか見ていると、パンチラドッキリを仕掛けてターゲットの反応をモニタリングするなんていう「意図的パンチラ」略して「イトパン」なんかもあるかもしれませんが、被験者の立場からするとそれは平凡な日常の中で偶然に起きた出来事として消化されることには変わりないわけです。つまり、どんなパンチラであってもパンチラと定義されるものは、少なからず目撃者側からの立場からすると偶然性の高いものであるということが言いたいのです。意図していないという点がパンチラにおいて重要なんですね。

しかし、意図してない偶然な出来事なんてこの世にはいっぱいあるはずです。そんな出来事の中から何故わざわざパンチラを取り上げたのか?そりゃもちろんこの「ドキッ」に意味があるわけです。もっと解像度高く言うと「ドキッ💓」です。「ドキッ‼️」や「ドキッ💦」ではないのです。「ドキッ💓」が引き起こされるのがポイントなんです。

この「ドキッ💓」っていう心情?リアクション?非常に特殊だなぁと思って。多分これって、"まぁパンツって見たいとは思ってるのかもしれないけど別に常に考えていることではないから日常的な意識の中には存在しないのだけれども、いざ目の前にパンチラが起きると突拍子のない現象による衝撃とは別に何かずっと待ち遠しかったものがついにやってきた感じというか嬉しい感情が引き起こされる"ということだと思うんですよ、「ドキッ💓」って。つまり、内心どこかで期待しているものではあるものの頭の中の意識には存在していないが、いざその出来事が起こるととてつもない優越感を感じ期待に応えられた感じがする、ということです。

拝啓、僕。言いたいこと合ってますかこれ。

「ドキッ💓」はパンチラだけではない
このノートで特出させたいのは「ドキッ💓」という"心情"の方です。パンツではありません。あくまでもそれが引き起こる代表的かつ刺激的な一例としてパンチラを挙げさせていただいただけです。

で、この「ドキッ💓」っていうのはどーゆー時に起きるかなって。多分一番わかりやすのは「ツンデレ」かもしれないですね。ツンデレ気質なパートナーが仮にあなたにいたとしましょう。あ、はい、私も今からいたとします。相手はツンデレなので、日常的には冷たかったり、威嚇的だったり、挑発的だったり、な態度を取るわけです。勿論そんなの嫌ですよね。せっかく付き合っているのにそんな態度とってほしくないですよね。ただ、この「ツン」の要素が時間が経つにつれそれは日常であり当たり前なことであるとなるわけです。恋人としてのラブラブチュッチュッは内心期待はしているものの、もう頭の中にはないわけで、「ツン」に対応したそれ相応の接し方をするわけです。だがここでぇ‼️ですね、時折「デレ」の方が顔を出すわけですね。この「デレ」の方が出た瞬間、「ドキッ💓」ですよねこれは完全に。これですこれなんです。

ももももちょっと例を挙げましょう。うーん。嫌いな人やモノの好きな部分が見えた時とか、真面目な子の人間臭いところが見えた時とか、親からありがとうを言われた時とか…こんな感じかな。多分これらは私の中では「パンチラ理論」に部類されるものです。芸能人が目の前に現れた。うーん…これはどちらかというと「ドキッ‼️」かもしれないです。これじゃないな。いや、好きな芸能人とかさ目の前に現れたらそりゃ嬉しいよ。嬉しいけど…なんだかパンチラ理論の嬉しいとは違う気がします。こっちはなんだか高低差による差な気がするんです。「ドキッ💓」の方は温度差による差な感じがあります。なんでしょうね今直感的にそんな感じがしました。トキメキとも違いますね、「ドキッ💓」は。あ、いや違わないのか?うーん…はい、書きながらまとめてます。

なんか「ドキッ💓」の方が人間関係的なものが多いですね。リアルな関係性があるものに「ドキッ💓」が起こりやすいんですかね。え、パンツってリアルな関係を保ってるんですか私と。パンツじゃないな多分。エロですかね。ここにおいてパンチラから代表される要素は多分パンツではなくエロですね。エロティシズムはリアルを保っている。うんうんそう言えます。内心にあるエロの温度差によって引き起こされる。あー。ちょっと納得できてきてるかもしれません。皆さんはそうではないかもしれませんが。

今ちょっと書いてきたことを見返してみましたが、なんですかこの気色の悪い文章は。文章のほとんどがパンツではないか。ごめんなさい文章上の我に帰ることはもうできなくなりました。ここで一旦諦めます。

私のノートって毎回自分の中で完全に腑に落ちる結論を見つけられないまま終わってる気がする。こういう感覚的なものは衝動的にいつも書いてます。言ってることも文章もテーマも無茶苦茶ですが、なんか書いて残すことに意味があると思っていて仕方ないんです。

とりあえず言いたかったのは「ドキッ💓」という心情?感覚?とても特別なものなんですよ、ということです。で、これは一般的な解釈として恋愛上でしか見られない現象であると思われてるかもしれませんが、より感覚に寄り添って考えるとそうとは限らないんですよと言いたいのです。そうだそれが言いたかったのだ多分。で、その感覚とはなんなのかを言葉のまま「感覚」を頼りに考えて行き着いた先にはパンチラが最も刺激的でわかりやすい事例としてあった、ってことなんですかね。最北端にありました、パンチラ。つまり、今回これを書くにあたって先に見つけたのはパンチラではなく「ドキッ💓」の方だったんですね。面白いですよね「ドキッ💓」って。この感覚好きです。

いつかより解像度の高い解釈ができるといいな。感覚を知る。感覚を知るのって習慣や日常について考えるのが大切な気がするんですよね。些細なことでさえも五感を研ぎ澄ませることが重要というか、それが感覚を知ることだと思うんです。その前に大人になってからこの感覚というもの自体が廃れてきてる気がするから、もっと磨き直す必要がありますかね。いやぁね大人になるって。シワが増えるとか仕事しなくちゃいけないとかそんなんじゃないんですよ。感覚が失われていくこの感じが嫌なんです。なんなんでしょうね。Joy Divisionの"Disorder"。鬱の時聞いた時は、鬱によって知見が広がって"魂が磨かれていく"感じはあったがそれとは引き換えに感覚が失われていった、みたいなそんな捉え方してたが、今はその鬱の部分が大人に置き換わった気がする。うーん…後で聴き直してみよう。

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