人生いろいろ指導教員もいろいろ
成績優秀で高学歴で社会的に責任ある地位についた人が人の気持ちを尊重できなかったり、物事の本質がわからなかったりする事例を大学院生活10年の間に目にしてきた。
でもそれってある意味当たり前のことかもしれない。子供の頃から人のことを気遣ったり他人に関心を示す意識がある者は、人間関係の煩わしさに消耗して勉学に専念することも難しいだろう。自分以外のことに関心を持たないから自分に集中して勉学に励むことができ結果的に成績が良くなるということもあり得る。
ただ高学歴で成績が優秀なだけのリーダーには手に負えないような出来事がいろいろ発生するのが現実世界である。
大学院で院生指導をするとき、院生とのコミュニケーションの取り方によっては、教員と院生の関係が残念なことになりかねない。
院生だって大学から進学してくる者ばかりではない。人生経験をある程度積んで若者とは別次元の覚悟と決意を持って大学院に入学する者もいる。教員は院生の多様性を理解して指導をしなければならないと思う。しかし、そんなことを考えている教員は少数派だとこの10年で悟った。ほとんどの教員は、自分のことで精一杯である。もっと言うと自分の気持ち、感情でいっぱいいっぱいである。とにかく、プライド、プライド、プライドが大事だという雰囲気である。さすが「土の時代」の成功者である。プライドがあるのもある意味大事だが、そのプライドが仇となり院生の芽をもぎ取るようなことになっている場合も見受けられる。
院生の考えやアイデアに耳を傾けて背中を押してあげられる教員もいれば、院生の言うことは聞く価値がないといった態度で思考を制限する教員もいる。院生放置系教員の噂も聞いたことがある。
どんな教員がいてもいいとは思うが、自分はどんな教員になりたいかだけははっきりさせておきたいと思う。