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橋場不動尊

商店街をしばらく歩き、途切れた頃に道の先にマンションが立ち並んでいる。

「ここから河岸が見えたのに」

彼女はそう呟いて先を進み、また一件の寺院の前で立ち止まった。

細い路地を入り、本堂に向かう。小さいが雰囲気のある御堂だ。

境内には大きな銀杏の木が立っていて、この街を何百年と見守っているようだった。

「兄さん」

彼女が吐息交じりに呟いた。良介は彼女の顔を覗き込むと「何か、思い出しましたか?」と声をかけた。それがどのような錯誤の記憶であれ、なんらかのきっかけは欲しかった。

「ええ、少しずつ。でもまだはっきりとは…」

彼女は手を合わせて静かに拝むと、本堂の中を見つめたまま喋り出した。

「仏像って、グロテスクだと思いませんか」

彼女のいきなりの問いに、ぽかんとしながら。

「い、いや、どう言うことだい?」

博物館や美術館に飾られ美の造形物と認識されているのだし、それをグロテスクだと思ったことはない。

「手が膝まであったり、後ろからたくさんの手が出ていたり、頭部にたくさんの顔があったり…。螺髪も顔の長さの半分はある耳たぶも。実際にそれが生物として動いている事をイメージすると、すごくグロテスクだと思うんです」

そこまで想像力を逞しくしたことはないが、それは確かにその通りだと良介も思う。(おそらく通りの向こうから生々しく優雅な動作で近寄ってくる観音像を見つけたら、間違いなく逃げ出すだろうな)良介はぼんやりとそんなことを思った。

「それでも人々はその姿を神々しい、美しいと認識しているんです。何故だかわかりますか」

しばらく考えたが、どうにも思いつかなかった。

「長い時間をかけて定着したから気にならなくなった、とか」

風で少し乱れた髪を気にしながら、彼の方を振り向いて優しい眼差しで見つめる。

「仏典の中に、仏様の様子を表した観相というのがあるんです。それをビジュアライズしたのが仏像なんですけれど、その定義はずっと後になってからの話。それより昔にも人は仏の慈悲にすがるために仏像を作って、それに祈っていたんですけれど、ガンダーラ彫刻の仏の像はもっと人に近いんですよ」

優しげなその笑顔は、春の風に紛れてふわりと彼を包み込むようだった。少し上がった口角は、いつか見た弥勒菩薩のアルカイックスマイルを思い出させた。

「それが、仏一体一体が持っている妙力や神通力、慈悲心などを具現化するためにいまの形に昇華されていった。仏の心にすがりつきたいから、その心の全てを具現化したいという思いが形になったのが、今私たちが見ている仏像だと思うんです」

そういうと彼女は元来た道を戻り出した。

つづく

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