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会いたい、どくだみ、電車の床
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
ゆうりは運ばれている。毎朝、運ばれている。
証券会社勤務。25歳。こうして毎朝、運ばれている。
最初の頃こそ、こうした資本主義経済のルールの一部になり、
半期ごとに成長を確認され、さらなる成長を考えるように促されることへの抵抗感、徒労感、脆弱さ、不憫さをこそ抱えながら適応に失敗したこともあった。
しかし、見事に適応に成功した暁には飲み会や、同僚との雑談も、パターンが決まっていった。結婚、合コン、全体最適。PDCA。人生計画。10年後何してたい?SDGs、課題解決、システム思考やらやらやら。
ゆうりは築40年はくだらないだろうマンションにて、築40年はくだらないだろうマンションにまさに伝うだろうどくだみのツタに感情移入をしていた。家にいる時はすぐさまエアコンをつけ、買っておいた納豆、コールスロー、ご飯を食べて、「あぁ栄養を摂ったぜ」という幻想を見る。そうして思うのはエアコンをつけなくとも快適に過ごせていた地元の夏である。
テレビは見ないし、SNSもまっぴらごめんだ。コミュニケーションまで資本主義の好きにさせてたまるか。ゆうりはあえて家にいる間だけは、静かに抵抗をする。そのためゆうりを飲み会に誘うのであれば帰宅前に行うのがセオリーであったが、そうした社会的リスクを冒す必要のない社会の中でゆうりに対して仕掛けてくる野郎など、もうこの現代日本には存在しないのではないかとすら思えるほどに、みんな資本主義の奴隷であるのだとゆうりは思っていた。
こうして静かなる抵抗のうちにコクリと眠るゆうりは次の日も起きて定時通りに出社すべく、きちんと電車に乗る。満員電車に揺られ、今日もきちんと身体を運搬するのである。静かなる抵抗をしていると言っても翌朝にはきちんと電車に乗って上り、働き、下ってくるのだから、権力からすればなんて都合のいい労働資本だろうか。きちんと働くために栄養を摂って、きちんと働くために無害な抵抗を続けるのだから、どうぞ抵抗を続けてくださいと思うだろうなと思いながらゆうりはきちんと満員電車に揺られるのであった。
ゆうりはよく下を向く。電車の床は白地に黒い斑模様。牛さんのようだが、牛は牛でも牧歌的でユートピアンな風景は決して望めない。黒い斑模様は男性原理社会の軍服だからである。もっとも、満員電車の中ではほとんど真っ黒な牛しか顔を覗かせないのであるが。だが、ゆうりはこの牛のことを忘れてはならないと強く思っている。ゆうりは自分がこの牛を生み出している1人なのだと思うたび、無性にイガイガした感情のざわめきが花を咲かせる。このイガイガこそが、この社会で生き延びるための目覚まし時計なのだ。そうなのだ。
ピコン。
ゆうりのスマートフォンに連絡が入った。
このクソ朝早くから私に連絡を入れてくる資本主義経済の奴隷は何奴だ、そうしてお前はクソ朝早くに連絡を入れることに何の批判性を持ち合わせていないのか?大学で習わなかったか?卒業研究の単位を取ってるのか?高等教育とは所詮クソ朝早くに連絡をよこすような主体を育成する機関なのか?お?、とゆうりは思った。ゆうりの朝は低血圧だ。
「今日の夜、「風の谷のナウシカ」観に行きませんか?」
ガタンゴトン、ガタンゴトン、ガタンゴトン。
ゆうりは会いたいと思った。ナウシカに。