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新郎からのご挨拶
皆さん、この度はご多忙の中私たちの結婚式にご参加いただきまして、誠にありがとうございます。簡単にではございますが、私よりご挨拶をさせていただきます。
少し遠回りになりますが、私が、かなえと交際をはじめたところから話を始めたいと思います。
私たちの交際はかなえが私に告白をしてくれたことから始まりました。人生で告白を受けたのは人生で2度目の出来事でした。この世界に生きていて、異性から告白を受ける確率は無に等しいものと経験してきた私にとってはとても驚きでした。
驚きはもう1段階ありました、これがかなえの告白にYESと答えた理由であります。それは、かなえから「あなたのことが好きです、付き合ってください」と言われた時に私は自動的にこのように思いました。
「私を選ぶとは、なんてセンスのある人なんだろうか」
かねてより私は自己肯定感の低い人間であるという自覚をしていました。ところがかなえからの告白を聞いた瞬間に私の心に浮かんだのは呆れかえるほどの自己肯定感の高さでした。
自分が知らぬ自分と引き合わせてくれる。これが他者の特権であるならば、かなえは私にとって他者であった。そして、かなえと共にいれば自分の知らない自分に次々と出会うことができるのではないか、そのある種エゴイスティックな期待が私にかなえとの交際を決断させたのでした。
その期待はある意味で裏切られていくことになりました。皆さまもよくご存知のように私はサービス精神に満ち溢れた人間です。必要のない時であっても、誰であっても楽しませよう、笑わせてやろうとつい意気込んでしまう性格の持ち主です。それは近しいパートナーであっても例外ではありませんでした。楽しませられない、笑わせられないということは私にとっては絶望の種でした。
しかし、かなえに対しては少し勝手が違いました。
かなえといることは私にとってあまりに労のないことでした。楽をしているわけではありません。努力が容易なのです。かなえのためであれば私は容易に努力ができる。踏ん張らずに、張り切らずに、力みすぎないで努力ができる。これは新鮮な体験でした。かなえの喜ぶことであれば何にだってなれる。どんなことだってやれる。そうした自己効力感にみなぎる存在、それがかなえだったのです。
婚姻関係を築くというのは財産分与の意志決定を容易にする社会制度です。家同士のハブとして、多大なる責任と重圧がのしかかってまいります。たとえ人々の価値観が柔和になっていると言ってもこの社会システムが責任と重圧の生成装置であり続ける限り、この圧力からはどうしたって逃れられません。この圧力を受けながら平然とした顔で生きていくには努力が必要です。そのため私の両親並びにかなえのご両親には頭の下がる思いです。
かなえは私一人ではどうしょうもなくできなかった努力を可能にする力があります。そして、振り返れば、私はそのような人々に囲まれてきたのだとここにきて痛感しています。今回、私たちの式にご列席いただいている皆様方は、私の努力の源でありました。そして、これからは私とかなえ、夫婦共々お世話になり、二人だけではできない努力を多く払っていく所存です。
まだまだ未熟な二人ではありますが、どうか引き続き、お付き合いください。