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TureDure 9 : 「終わりの見えない即興」に疲れた人へ(Keith Johnstone. “Impro for Storytellers”の「Introduction」 全訳に向けたイントロダクション)

  ほりこーきが想いのままに特に配慮もなく何やらと綴るパルプ随想録「TureDure」。第9回のこんかいは、Keith Johnstoneの著作 “Impro for Storytellers”の「イントロダクション」の全訳している中で生じた私のパルプ「イントロダクション」です。

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  すでに日常語となりはじめている「自粛要請」という居心地のよくない言葉にみられるように、私たちは「自発的な行いを人から頼まれて行う(ということになっている)」というよく分からない状況にあります。言葉というのは私たちが感じている以上に大きな影響を与えています。ふと溢れた言葉がかたくなに閉じていた閂を溶かしてしまったり、正義の台詞が多くの人を傷つける論拠となってしまうこともある。

  「自粛要請」のような言葉は私たちにわずかながらも決まりの悪さを感じさせることでしょう。その決まりの悪さを言葉でもって説明できないながらも、私たちは「何かがおかしい」と感じます。あるいは反対に証明をすっ飛ばして「その通りだ」と感じたりする。まるで私たちの身体がタイムトラベル装置を持っているかのように。びゅーん。

  もしかしたら私たちは非常によく教育されているので、言葉の1つ1つにいちいち疑問を持ったり批判的なまなざしを向けたりとしないかもしれない。むしろどのようにこの状況を楽しむかを考えるかもしれない。前を向いて歩こう、下を向いてばかりじゃいられない。。。。。。。。でもやはり下を向きたい時もある。誰もが辛く、苦しい状況にある時に、自分だけへこたれてしまっては他の頑張っている人たちに水をさすことになる。だから、下を向いちゃいけない、みんなだって頑張ってるんだ。前を向こう。また歩みを進めようじゃないか。

  昨今の日本中では様々なことが急激なスピードで変化をしている。それは今まで議論こそされてきたものの、あまり踏み切らずに放置されてきたことも多い。それが今フルスロットルで加速して急激に変化をしている。おそらくナマケモノだったら急ぎすぎて絶命してしまうほどには閾値ギリギリのスピードでの変化を経験している人も少なくはないと思う。かのいう私もその1人だ。私は研修としてコミュニケーションやら創造性やらチームビルディングやらを扱う仕事をしている。その内容は人と人とがリアルに、直接関わり合う中で交換されている膨大な情報を互いに多く受け止め合って、交換し合うことを何よりも重要視している。それが出来なくなるっていうのは、想像を超える不全感を突きつける。帰宅中に気付いたら京王線の「高尾山口駅」にいる。程度は違えど分かりやすく言えばそんな気分だ。

   どのくらいこの状況が続くのかわからない、そんな不安の中で次次と巻き起こるトラブルに対処するべく即興で動き回る。この世界で最も恐ろしいことの1つである。毎日のようにそうした合ってるのか分からない決断を、勇気を持って下しているあらゆるリーダー(1人を除いて)に敬意を示しつつ、私は「即興」という分野に関わる人間として、非効率的な生活を営むことをしたいと思う。前を向かず、後ろを、はるか後ろを眺めながらぼんやりする。進みたくなったら進む。そうした無責任な時間を過ごしたいと思った。

  言葉をもって生きていく/死んでいくために、私は過去にすがりたい。深い眠りにつくように、明日のことではなく、昨日のこと、半年前のこと、あるいは20年前のこと、1000年前のこと、2500年前の言葉と飲み交わしたい。そうして言葉を食べながら、なにもできない私は多くの悲しみを弔いたい。

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  がんばらず、普通でいる。独創的でないまま、平凡なことを。
  注意散漫に。5000回やってみる。

  誰かからの要請ではなく、自分からの要請に従うために。

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