住まいの常識を覆すーもし理想の家を限りなくゼロ円に近い費用で建てられたら
この連載は、「ポスト資本主義の住まいをつくる」と題し、BIOTOPE佐宗邦威とVUILD秋吉浩気がオムニバス連載の形で全6回で綴り、問いかけていくものです。
各回の内容は、以下の通りです。
第1回:内省編(佐宗)、第2回:経済編(佐宗)、第3回:運動編(秋吉)、第4回:実践編(秋吉)、第5回:教育編(佐宗)、第6回:提案編(秋吉)
今回はその4回目「実戦編」。VUILD秋吉が、ポスト資本主義の時代へ提案したい新しい「住まいの常識」について執筆します。
1. 我々は住まわされているのではない
富山県五箇山の限界集落に建つ「まれびとの家」(写真 太田拓実)
電力、水、食物、衣服… 都市に暮らす僕たちは、生きるために必要なものをすべて、外部から調達することで生きている。つまり、誰かが生み出した流通品を、当たり前のように消費し続ける暮らしをしているのだ。今では、僕たちが生きる地球環境すら消費してしまっている状態だ。
暮らしを営む器としての家も例外ではなく、区割りされた無個性な土地の上に、LDKを基準として規格化された設計のもと、どこででも手に入る無機質な建材によって建てられている。
そんな普通の住まいを手に入れるために、僕たちは住宅ローンを組んで購入し、その支払いをするために「資本主義の歯車として」満員電車で通勤する日常を送っている。
これが今の住まいの常識だ。しかし、このように規格化された無個性で無機質な家が、今や家を建てる人たちにとって、人生最大の重しになっている。本来、暮らしを実現する手段であった「家を建てる」という行為が、都市への従属を強いられる、いわば「重たい契約」になってしまっていると言えるのではないだろうか。
買うのではなく借りる場合は、既に完成された住まいを選んで暮らすことになる。そこには、住まいを作っていくプロセスにコミットし、実感と満足度をもって家づくりをする楽しみはない。借りることで「家を持つ重さ」からは逃れられた一方、生活することで「自分らしさ」を再確認できるような居としての家の本質はそこにはない。新築であれ賃貸であれ、住まいを積極的に生み出していくための余白や「関わりしろ」は限られており、身動きの取れない状態に陥っているように見える。
こうした家に関する課題を俯瞰してみると、僕らは積極的に「住んでいる」のではなく、むしろ誰かに強制的に「住まわされている」ようにも思えてくる。
家に「住まう」とは、自分がここに居てよいという自己肯定感と、新たな自分を生み出すための自己充足感を与えてくれる場を、自らの頭と手を使って産み出すことである。そんな風に、自分だけの巣をつくるようにして、主体的に住まいを作り続けていくことこそが、真に住まうこと・生きることなのではないだろうか。
前回の記事ではパンデミックを契機に生まれた「住まいの運動体」を紹介したが、コロナ以降の僕たちが起こしたいのは、そんな主体的な住まいの担い手をつくる運動体である。単に都市を出よという単純な話ではない。
自分だけの巣をつくるには、ものすごい資金と時間が必要なのではないかと思われるだろう。しかし、僕たちは現代のテクノロジーの力と地方の魅力を最大限に活用すれば、限りなく低いコストで理想の住まいをつくることができると考えている。
その理由を順を追って説明していきたいと思う。
2. 動物の巣のようにエコでローコストな家をつくるには
「まれびとの家」の内部空間 (写真 黒部駿人)
もし動物の巣のように、近場の豊富な資源を用いて自分たちの力で家が作れたら、限りなくゼロ円に近い費用で理想の家が作れるかもしれない。なぜなら、作るまでの過程と、それが使用者に届くまでの過程に、時間と労力がかかればかかるほど、コストは高くなるからだ。スタートアップ企業が、入り口の価値提供者と出口の価値享受者を直接つないでしまうことによって、イノベーションを起こしているのと同じ発想だ。
また質に関してもメリットがあるだろう。野菜や果物を採取し、その場で取れたての新鮮な状態で食べれば旨くて安いように、家の材料となる木材を産地で収穫し自分たちで建てれば、その土地の気候風土に合った家が最小限の流通経路で建てられるはずだ。
実は、今では博物館化してしまっている日本の伝統的な民家は、動物の巣に近い作られ方をしていた。家に木を用いることで森を元気にし、森を元気にすることで集落の環境を改善するといった、相互補完的な共生関係すら築かれていた。また、木の性質を読み解くことで、適材適所で木を活用するような家づくりの叡智も醸成されていた。さらには、お金を介さずに皆で家を支えあって建てて、共に維持管理していく相互扶助という仕組みも存在した。
つまり、建築資材を自前で生産し、それを無駄なく扱うテクノロジーも自分たちで持ち、その上でお互いのスキルをシェアしあうことで、限りなくゼロ円に近い費用で家を建ててきたのである。
ではなぜ、このような考え方で家がつくれなくなったのだろうか。また、なぜ林業は衰退し大工は減少したのだろうか。少し長くなるが、その背景を紹介したい。
3. 中央集約化がもたらした地場産業の衰退と地域性の喪失
「まれびとの家」では村内の木を伐採し用いた (写真 ナントライフ)
戦後の焼け野原の中から始まった高度経済成長期、日本では都市人口が急増し住宅がたくさん必要になっていた。国策としても住宅ローンが推進され、その潤滑油として「住宅の仕様書」が普及し、その仕様書を基に生産された規格化住宅が大量に建てられていったのだ。とにかく量が必要だったため、標準化を推し進めることで、大量生産大量消費の論理で、同じものをたくさん作って売ってきた。このような「量の時代」にあって普及したのが、仕様書に合致した「規格材」と「プレカット」だ。
「105角」など、木造住宅で採用されている規格材の出現によって、どれだけ太く良く育てた木であってもその規格に合った細かい材にすることが強いられた。つまり、大トロであろうが中トロであろうが、マグロというだけで均質に評価され、漬けマグロやネギトロにされてしまうのと同じようなことが行われるようになったのだ。
この座組の中では、質はとにかく大量に植えて、細い材の状態で山を丸ごと伐採し、収穫する大規模林業は、小さな利幅であっても「量の論理」で収益を得られる。一方で、良質で太った木材を作れるようにと、長期間かけて木を丁寧に育ててきた林業家は利幅の小さい規格材を生産するのでは儲けが少なく、事業として持続性に欠けるようになってしまった。地方で林業が衰退していく背景には、このような力学が働いているのだ。
「規格材」と並んで普及した「プレカット」とは、機械によって接合部の加工を施すことである。木材を規格化しているからこそ、工場のラインを整備すれば同じ加工を大量に行うことが可能になった。つまり、工場のラインを作ることができる資本を持った企業の一人勝ち状態になり、ラインを持たず丁寧に手加工を行ってきた地場の工務店が割を食うことになったのだ。
このようにして、生産拠点が中央集約化されることによって、地場産業も吸い上げられるようにして衰退していくことになった。その結果、適材適所木で組んでいく質の時代の伝統建築の世界はないがしろにされ、地域で活用されてきた自然素材と真逆の工業製品によって僕たちの住まいは覆われることで、街並みから地域性が失われてしまったのだ。
4. デジファブが変える住宅産業のパラダイム
約500万円で導入可能な木工デジタルファブリケーション機器「Shopbot」
しかし経済成長も頭打ちになった今、住宅需要は減少しただけでなく、むしろ空き家を多く抱える時代に突入している。また、コロナ以降多くの人が気づいたように、今やインターネットさえあればどこにいても働くことができる可能性が生まれた。さらに、分散型発電システムやオフグリッドテクノロジーの台頭によって、集約を前提とした既存のインフラに依存せずに、どこででも暮らすことが可能になりつつある。つまり、これまでは様々なものを集約化し標準化することで量に応えてきたが、これからはそれらを分散化し、再び地域の文化や風土と再接続することが可能になりつつあるのだ。
その際カギとなるのは、デジタルファブリケーションというテクノロジーだ。デジタルファブリケーション(以下デジファブ)とは、3Dプリンタに代表されるコンピューター数値制御の製造技術である。デジファブを使えば、これまで実現不可能とされていたような複雑な形状のものを、比較的安価な金額で、専門知識のない素人が加工可能になる。このような技術の登場によって、標準化によって失われてしまった地域性や人間の個性といった、複雑できめ細かな「質」に応えることが可能となる。
つまり、これまでの標準的な人間をベースに供給されてきた戦後住宅のレガシーを脱し、現代の多様化した価値観やライフスタイルに応じた個別解を、デジファブによって導くことが容易くなったのだ。
また、これまでの住宅産業では工場のラインに乗せて箱を作る「小品種大量生産型」のプレファブが主流であったが、デジファブでは「多品種適量生産型」であり、必要な時に必要な分だけその場で作れば良くなる。
このような生産手段のOSアップデートをすることによる一番の変化は、在庫を持たなくて良くなることである。つまり、資本主義のエンジンである「余剰を蓄積する必要」という概念がそこでは不要になるのだ。在庫リスクがないだけでなく、初期投資コストもデジファブなら数百万で抑えられるので、導入ハードルが低く、誰でも住宅メーカーになれる可能性がある。
また、デジタルデータによって製造されるため、1つ1つ全く違うものを作れるだけでなく、住宅のデータを編集することができるので、素人でも二次創作的に家をつくることができる。さらに、設計データは世界中のデジファブ工房にシェアが可能になるので、物質を輸送する必要がなくなる。例えば、海外で日本の伝統木造を建てたいとなったとき、これまでは日本で加工した部材を輸送する必要があったが、これからは現地のデジファブ機械にデータを送付し出力すれば良い。このように、現地に近い場所で出力すれば、生産流通のプロセスは最短になり、上述したような動物の巣のような家づくりが可能になるかもしれない。
このように、住宅を生産する手段をプレファブからデジファブというOSにアップデートすることで、住宅の供給方法にパラダイムチェンジを起こすことができるだろう。
5. 住まいづくりのコストを劇的に下げる方法とは
木材の伐採から加工、組み立てまでを半径10km圏内で完結
さて、いよいよ本題に入っていこう。
住まいづくりのコストは、ざっくりと①土地、②基礎、③材料、④躯体、⑤建具・断熱、⑥仕上げ、⑦設備の7つの領域に分類することができる。これらに対して、それぞれを限りなくゼロに近づける方法を考察していきたいと思う。
①土地
都心部だと土地を大枚をはたいて買う必要があるのだが、中心部を離れた都市郊外や地方であれば空き家や空き地ばかりであり、土地代をゼロ円に近づけることができる。こういったエリアは、景観が美しいというメリットがある。また、特に都市計画がなされていない領域であれば建築法規も緩く、デジファブによる建築など比較的挑戦的な家づくりも実験することができる。
一方で、インフラが来ていない場合もあるが、後述するようにオフグリッドテクノロジーを用いれば問題ないのではないかと考えている。都市部との距離感も課題ではあるが、自動運転が実装されればより移動のハードルが下がるのではないだろうか。
②基礎
既存住宅の基礎はベタ基礎か布基礎といって、コンクリートの塊を打設することで基礎を作り、その上に木材を結びつけることでできている。そのため、平らで標準的な土地を基にできたシステムであり、傾斜地では造成といって土地を一度平らにすることが求められる。
一方で、伝統建築の世界では、石場建てといって石の上に木を置いただけの状態であった。清水寺のように、どんな急こう配の土地でも斜面の高さに沿って軽やかに足を下ろすことで、建築を行ってきたのだ。
このようにアプローチの違う2つの方法論だが、基礎のコストという点で単純比較するとコンクリート量の少ない後者に軍配があがる。既存の建築法規の中でこのような基礎を実現するのはやや難易度は高いが、建築法規の緩い土地を選び、一度基礎の常識から外れてみることは、限りなくゼロ円に近づけて基礎をつくることへの近道になるかもしれない。
③材料
国土の3分の2以上が森林に囲まれる日本では、どこにいっても建築資材としての木材を近場で調達できる。しかしこの豊富な森林資源も、林業の担い手が減ってしまったため、手つかずで管理されていない領域がほとんどである。
土地と同じく、このように遊休資源化した材木を用いれば、限りなく材料代をゼロ円に近づけられるのではないだろうか。売り先がない木材を安値で買うというのも手であるが、森の手入れをする代わりに木を所有者から譲り受けるという契約もできるかもしれない。
④躯体
工事費の約3割-4割を占めるのが、大工などの専門家による家の骨組みを作る過程だ。建設費用を落とすにはどうすれば、この領域をどれだけ落とせるかがカギである。最近では、素人でもDIYで室内をリノベーションをする動きも出てきているが、家そのものの躯体をセルフビルドでつくるのはハードルが高い。しかし、デジファブを用いて素人でも簡単に家の躯体がつくれる方法が発明されたなら、そのハードルを乗り越え、限りなくゼロ円に近い費用で躯体もつくれる。
その際、華奢な人でも持つことできる軽い部材で作れば、重い角材ではないため屈強な職人に依頼する必要もなくなる。ただし、いくら軽いとはいえ、部品を組み立てて作っていくには時には数人で協力する必要のある部分も出てくるので、誰かの手を借りる必要があるだろう。その場合は、先述した相互扶助の仕組みのように、リソースをシェアし合うソーシャルビルドを行えばよい。
⑤建具・断熱
建具の世界も奥が深く、いまではメーカーが生産したアルミ製のものを取り付けることが当たり前になっている。しかし、デジファブで木材を活用してつくることが出来たら、より断熱性能の高い木製建具も製作可能になるかもしれない。また、断熱に関しても木粉でできた断熱材等、地域材を用いたエコな素材も増えてきており、地域の素材を活かしきれるかもしれない。
⑥仕上げ
仕上げも同様に専門性が求められる工事領域であるが、こちらもソーシャルビルドで手を取り合って作っていくか、職人に指導してもらいながら作っていけばいい。時間と労力を惜しまず自分でつくる限りにおいては、金額に換算しなければこちらも限りなくゼロ円に近づけることができる。
⑦設備
オフグリッドテクノロジーを導入することで、家単体で水や電気の生産消費のサイクルを小さく完結させればいい。将来、多くの地域でインフラを維持していくのが困難になるのだろう。そうなったときには、オフグリッドで自己完結できる家はメリットだ。消費するだけでなく電力を生産できるなら、マネタイズできる可能性もあり、家はプラスの資産になっていく。
このように、極端な妄想アイデアをいくつか紹介したが、重要なのは今の普通とこの極端さの間を取捨選択できるようになること、だ。躯体は自分でつくるが仕上げは職人に任せたいなど、自分でコミットする領域を決めればいいわけだ。
6. まれびとの家が示す住宅の未来像
部品を小さく軽くつくることで素人でも建築に参加できる
こういった仮説を基に、2019年には実際に「まれびとの家」という住宅を富山県南砺市利賀村に建ててみた。厳密には家というよりは共有型の別荘といった方が正しいのだが、限界集落である利賀村に関係人口をつくるという使命を持った住宅だ。ここでは、上述の仮説のうちの①土地③材料④躯体⑤建具断熱の検証を行った。
まず土地に関しては、空き家が解体された跡地を利用させてもらい、材料は地域の御神木を譲り受けたり、村内の遊休木材を活用することで建築を行った。躯体に関しては、素人でも持ち運べる30㎜程の薄い板で建築できる構法を開発し、地域内にある世界遺産合掌造りのような、三角形の建築物をプロの大工立ち合いのもと関係者が一体となって造りあげた。また、窓や建具もデジファブを用いて枠をつくることで製作を行い、断熱に関しても木材由来の断熱材を躯体に充填し、外装には杉の皮を貼ることで木を丸ごと使いきることに挑戦した。
建築にかかる実働人工を勘定しないのであれば、実費としては製材賃とデジファブ加工賃と輸送費が発生した。もしデジファブ加工機などの生産機械が、公共施設のような共有資産として利用可能になったなら、これらの工賃も抑えられるだろう。
また、まれびとの家は、クラウドファンディングによって研究開発費を含む1000万円近くの費用を調達することによって建てることで、住宅ローンを用いずに資金調達を行った。土地や建築にかかるコストの圧縮だけでなく、コストそのものの調達手段にまで踏み込むことで、これまでの「住宅ローンで家を買う」という住まいの常識を根底から覆すことに成功したのではないかと考えている。
今回のプロトタイプでは、2人が約1か月加工を行い1000以上の部材を切り出し、約10人の協力によって1日で上棟まで行うことができた。今回は、その分の工賃も発生したのだが、今後建て主自らが参加していくことで、外注金額として発生するコストはかなり下がっていくのではないかと思われる。
7. マスプロダクションからソーシャルプロダクションへ
必要な家具や調度品は地域の木材を用いて自分たちでつくる
部分的な実験ではあったが、僕たちはまれびとの家の建築によって、近い将来だれでもどこにいても、限りなくゼロ円に近い費用で理想の家が建てられる時代が来つつあると実感している。僕たちはデジファブを用いて、生き生きとした住環境を自分でつくる人のことを「ヴィルダー」と呼んでいるが、今後ヴィルダーは増えていくと考えている。
本当にそんな世界が訪れるのだろうかと思う人もいるだろう。しかし、今では当たり前のユーチューバーも10年前には存在しなかったし、子供のなりたい職業ランキング上位に入るなんて、誰も想像していなかっただろう。また今では誰もが自由に自分の考えをWEB上で公開するのが当たり前だが、これもインターネットやそれに付随するサービスの登場がなければ実現しえなかったことだ。そして、今や誰もがPCやスマホという高度な演算機械を手にしているが、これも昔であれば大学に1台あったような独占的なものだった。
ITの領域では、独占化されていた技術は常に、技術革新とそれに伴う低価格化によって民主化されていく。この流れで考えると、デジファブもインターネット基盤のように分散配置され、だれでもアクセスできるようになり、それに伴って専門家の中で独占されていた「作ること」も民主化されるかもしれない。
また情報発信は、インターネットの登場によってマスメディアからソーシャルメディアへと変貌し、担い手が個人になっきている。「住まい作り」も、デジファブによってマスプロダクションによる供給を脱し、自分たちの住まいを自分たちの手で作り上げていくことができるようになるかもしれない。
そんな期待に胸躍らせながら、この新しい運動体を興していきたいと思う。