#40 城跡

春休みの終わりに、私は孫のしょうととりこを連れて近くの城跡に行った。案内の標識にそって駐車場まで行った。神社の鳥居を通り抜けると、城跡へと続く上り坂になっていた。坂道には、ロープの手すりがあった。山の整備で伐採した木の枝で、階段を作ってあった。木の根も階段の段差になるように工夫されていた。急な坂道には、鉄パイプ製の手すりがあった。

急な坂道を500mほど上ると頂上についた。城跡にあった木々は、大人が座れるくらいの高さに切られ整備されていた。案内板もあった。さらに、尾根伝いに進むと小さな城跡についた。この城跡の木々も、座れるくらいに切られていた。その先をさらに、300メートルほどすすむと、見晴らし台があった。視界が開け、遠くの景色が一望できるところだった。見晴らし台からは、攻め上る敵の武者の動きが手に取るようによくわかり、上で守る武士が大きな石や矢を投げ、火縄銃を使い戦ったと思われた。

見晴らし台から、小さな城跡にもどり小休止した。ゼリー飲料を飲むとしょうともりこも元気を取り戻し動き回った。その後、大きな城跡へと帰路についた。元気になった孫たちは、アップダウンのある尾根道を走って到着した。子どもたちは、相変わらず、追いかけっこをしていた。

私は案内板をみた。山すそで住んでいた土豪の一族等が、いくさの時に立てこもることができるように作られていた山城だった。城跡の周囲は土塁によって小高くなっていた。私は小高くなった30メートル×20メートルほどの長方形状の土塁に沿ってゆっくりと一回りをした。地面に今日の風で散った桜や木蓮の花びらがあった。土塁の右の端と左の端からは、ちがう村落の景色が見えた。ここは、県境の尾根につくられた城だった。左のむらは、桜が咲いたのどかな景色が広がっていた。右の村の田からは、田植えが近いことが感じられた。

私は、この城の歴史や中世の郷土の戦乱等を伝えようと思い、子どもたちを案内板のところに呼び寄せ話をしようとした。その時、「おじいちゃん、話はあとで聞くわ」と妹と追いかけっこを再開した。私は、「やっぱりあかんかった。まだ無理やった。」と、ため息をついた。




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