コーキまかりとおる!

今日は親父の命日、ふと思いこのノートを始める。
前から公にしたい文章があったのだが、ただそれはその方の父親の事を書いた私的な文章であり、公にしても多くの目に留まることはないかと思うが、ただ文章を書いた人物及び、そのSosaiとそのSosaiが師事したMr. Okadaと組織のことである。
ただ私もその組織に属していたためこの文章を入手してから一つの蟠りは解けた。長く疑問としていた事を解く鍵が多く散りばめられていた。
この文章からShibui文章とするが、もし縁がありこのShibui Sosai氏とOkada氏の師弟関係及びその周りで蠢く人間模様から、何処の組織のことを指しているのかが察せられればと思う。
主観になるかと思うが、当方の意見も随所に挿入していくつもりである。
なおタイトルは全く内容とは関係がなく、自分が高校生の時に少年漫画雑誌で今でも頭に残っている漫画のタイトル「コータローまかりとおる!」を拝借させていただいた。

Shibui文章

序章

平成十二年二月

出版にあたって

Y.Shibui

世の中には分からないこと、又謎と思われることが大変に多い、或いはこの世はすべて謎なのかも知れない。しかしこの様なことを言っても現実は始まらない。さてこの世にも前述の様な謎や、分からないことが大変に多い。しかしこの教団の謎は真相を知れば解明できる。
さてこの分からぬことを私が書くに至った動機は、書いて頂くべき人が亡くなったからある。一部の方はご存じであろうが、十数年前に教団正常化という改革が起こり、この間まで新生、再建、護持という名前で闘争が繰り返されていた。
その時に新生側に協力して頂いたProf.Umeharaという宗教評論家の先生が居られ、私は大変昵懇(じっこん)にして頂いた。そしてこの紛争の機会に、長年、気にかけながら果たせなかったこの教団の謎の一部分と、父Sosaiの伝記の執筆を依頼したのである。
そして資料と共に私の識る教団のすべてを先生に語った。私はこれで父の伝記ができ、長年の懸案が解決したとのんびりと安堵感に浸っていたのである。ところが好事魔多しとやら、先生が急逝されたのである。
すべて先生に負んぶしていた私は途方に暮れた。字を書く事は半プロ並みに出来ると自負しているが、文章を書くとなると小学生並かそれ以下である。今日まで文章というものは書いたことがない。手紙とても時候の挨拶の後は続かない。また新たに作家とやらを探すのも、依頼するのもお金もかかり、時間もかかる。多少文章が書けそうな素人と考えても思い当たらず、時間ばかり過ぎ、遂に意を決し、小学生の綴り方の積もりで書いたのがこの一連の原稿である。誠に恥ずかしい次第である。意味が通れば良いと思っているのでご勘弁願いたい。
実はUmehara氏が亡くなった時点で、私はこの謎のこととSosaiの伝記も放棄する積もりでいたのである。残念ながらSosaiの生涯とその事実は歴史の陰に埋もれるのではないかと悟めていた。しかし何も遺さなくては、先達に申し訳ないと思い、前述の様に恥を偲んで書いたのである。幸いにその後、教団内にSosai伝記の話が起こり、Shibui Sosai伝編纂委員会ができ、平成七年にShibui Sosaiの伝記『御用の人』という表題で本が完成した。これですべて終わり、もう書く必要はないと思ったのであるが、残念ながら教団の出版ということは、自ら制約もあり、また取材も十分でなく、思ったことが書ききれない。またSosaiを知る方からも、この本では十分にSosaiを書けてないというご意見もあり、教団を離れSosaiの日常の出来事やら、法難の前後を見たまま、感じた通り書いた積もりである。
それからSosaiの一生はあまりにもMr.M. Okadaと合わせ鏡の様な生涯と思い、あらゆる事を想定し考えた末、結論が一体という処に至った。この事を思った通りに書いた。読まれた方は吃驚されたと思う。Sosaiの生涯の歩みの解釈については、すべて私の解釈であり、教団とは一切関係ないことを改めて述べておきたい。

さてその結果、教団に不都合なことになることも書く様になったため、はたしてこの原稿を一般に公開すべきか迷ったのである。教団の執行部からみた場合、どうであろうか、決して信徒にとって好ましい読みものとは言えないかも知れない。
しかし専従者はその歴史に含まれる真実を知り、もしその信仰に誤りがあれば正す勇気が必要と思うのである。故にこの稿を資料として遺すこととともに、信仰の歴史として読んで頂き、そしてどの様に判断されるかは、それぞれの読者の解釈にまかせたい。


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