【読書メモ】捨て本
「モノの量は思考の密度を奪う」
多くのモノで溢れる現代。実物としてのモノだけでなく、情報や人間関係、執着など、本来必要のないものまで大事に抱え込んでしまうと、やりたいことに取り組む時間が失われてしまいます。
モノを捨てる”断捨離”や、モノを減らし豊かな人生を目指す"ミニマリスト"のように、モノを取捨選択することは生きていくうえで大事なスキルなのではないかと感じます。
今年(2019)の7月に次の本が出版されました。著者は本などの文章だけでなくYouTubeでも情報発信をされているので著者の考え方を取り入れたい人にはYouTubeが特におすすめです。
捨て本 著:堀江貴文
モノに囲まれた偽の充足より、それを大胆に捨てて、軽やかに走り出す爽快感を選んでほしいのだ。
モノの量は、思考の密度を奪う。
モノを減らすと余分な選択肢が消えてなくなるので、自分の最もしたいことにリソースを割けます。モノを減らし、整理できるとモノを探しまわる時間のロスもなくなりますし、脳に入る無駄な情報も減らせるので、時間も思考も節約でき、その分自分の本当にやりたいことに注げるようになりますね。
他人のせいにすること。それは自身のなさのあらわれだ。
まず、「他人のせいにする」クセを捨ててしまおう。
他人は、何の責任もとってくれないのだ。だから、どんな苦境も自分のせいにするべきだ。
何があっても他人は責任をとってくれません。どれだけひどい目にあわされても過去の出来事は変わりません。結局のところ、自分で自分の未来を創っていくしかないので、今から建設的な手段を以って行動することが望まれます。
ただ、「どんな苦境も自分のせいにする」のには個人的には前提条件を設定したほうが良いと感じました。例えばカウンセリングでは、幼少期の親子関係などを分析的に見て、クライアントの問題点を整理していきます。「自分のせいにする」とか、「人のせいにしてはいけない」と思考停止して受け入れてしまうと人間関係や自分の問題点を冷静に分析できなくなるかもしれません(残念ですが私はそれで長年苦しみました)。そのため私は、「人間関係や自分自身の問題点を冷静に分析したうえで、自分の現状を受け入れ、どんな苦境も自分のせいにする」と言葉を加えて解釈しました。
「捨てる」ことに寂しさはついて回る。
まとわりついたものを切り捨て、堂々と「見送られる側」の人生を行こう。
いい年になっても、まだ田舎の家族など古い人間関係に悩んでいる人を見たりすると、心から気の毒だなと思う。
家の制度にとらわれ、不幸になっている人たちのために、「戸籍なんてなくてもいいんだよ」「あなたの社会的存在を証明する手段は、ほかにいくらでもあります」と、ぼくは言ってあげたい。
捨てること、特に人間関係においては寂しさがついて回るのは確かにそうだなと思います。寂しさを理由に人間関係を続けて、自分のやりたいことを犠牲にするのも違うよなぁと感じました。
信用していたはずの相手でも、裏切るときは裏切る。それは善悪の問題ではなく、人間だから、当然なのだ。
信用は絶対ではないし、人は必ずうそをつく。その嘘つきの本質を前提に付き合っていくしかないと著者は言います。
やりたいことに全力を尽くせていないから、思い出などに思考が奪われる。過去を慈しむ――これほど無駄な時間はないし、生産性もない。
その思い出に浸っている時間は、もっと面白くて幸せな時間を作り出す社会を目減りさせている。
本を読んでいる最中に思い出の品を確認し、いくつか写真をとって処分しました。思い出に浸る時間よりも新しいことにチャレンジする時間を増やしたいと思いましたので。
・まとめ
モノを減らすのは実施しやすいので本を読んでる最中にいくつも捨てられました。この本からは特に人間関係を減らす考えについて学べたのが一番大きかったと思います。捨てることに寂しさはついて回るけどやりたいことに力を注ぐことを優先。信用は絶対ではないので、人はうそをつくことを前提に付き合っていくしかない。
以前モノを減らすことに関する記事を書いていたので興味がありましたらご覧になってください。