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2022年 6月号_MIZUNO(中編)

月刊おつゆ、22年6月号はじめます。

前編をまだお読みでない方は先にこちらを↓

URL: https://note.com/koki_0220/n/n099f6970a6dd


後編の下書きを書きながら気付いたのですが、
これまた長くなりそうなので、MIZUNO編は
全3部作になります。


今回は名探偵コナン的に言えば中編です。


大学入学以降のMIZUNOへの道のりを書く上で、
アルバイトでのエピソードは避けられないので
そのあたりも含めて書いていきます。


近畿大学へと進学した僕は新しい交友関係や、
煩わしい履修登録よりも何よりもまず、
MIZUNOへのルートを考えていました。


MIZUNOに入社したあかつきには
シューズの商品企画に携わりたい。


その前にいち消費者、ブランドファンとしての
目線ではない視点からの市場やブランドの
立ち位置を掴むためにも営業職に就きたい。


そして、学生時代のうちにスポーツ用品店で
働くことで自分の得意分野外である
MIZUNO以外の他メーカーの商品知識、
陸上用品以外のスポーツ用品の知識を蓄えたい。


ただ、その当時の僕は人見知りも少々あり、
特にはじめましての人に露骨にそれが出ていました。


スポーツ用品店のアルバイトに応募する前に
人見知りを克服するべく焼肉屋のホールの
アルバイトに応募しました。


入った当初はお客さんに対する緊張云々よりも
僕の少し前から働いていた女子高生のアルバイトに先輩面で喧嘩売られる日々に鬱屈していました。


ただ、持ち前の地道に日々こつこつ精神で
入店から5出勤くらいで一通りのオペレーションを覚えて全てにおいて圧倒することができました。


出勤すると女子高生たち側から率先して
元気な挨拶をされるようになりました。


1年間の焼肉屋アルバイトで
初対面の人への接し方、
嫌がられない程度の距離の詰め方、
年上の後輩アルバイトとの関係性など
想像の少し上の学びと経験を積めました。

↑お客さんとしてバイト先に来た大学の友人と

その後、大学2回生の春先にスポーツ用品店の
アルバイトを探し始めます。


しかし、タイミングが悪く、どこのお店も
求人が出ていませんでした。


ここで諦めてたまるかと思い、履歴書を持って
直接お店に直談判しに行こうと決めます。


当時も今もですが、髪質が天然パーマなので
スポーツ用品店の店員としてふさわしくないのではと当時の僕は真剣に悩みます。


門前払いを食いたくないと思い、
人生初の縮毛矯正にも行きました。


準備万端でお店のレジに行き、スタッフの方に
緊張しながら要件を伝えて履歴書を渡したのを
今でも覚えています。


偶然その日にテレビ撮影がある為に
後日連絡しますとのことで、遠回しにお断りかと
思って半泣きでお店をあとにしました...
が、別日で面接していただけて、
無事に採用となりました。


希望はシューズ部門でしたが、僕が背負っていた
某アウトドアブランドのリュックを見た社員の方の裁量でシーズン部門(夏は登山、冬はウィンタースポーツ)に抜擢されました。

↑某スポーツ量販店で3年間アルバイト。


大学時代の想い出を聞かれると6割くらいは
このスポーツ用品店のアルバイト関連になるほど
夢中で働いていました。


商品知識に上乗せできるトークになればと思って、道具一式を揃えて夏は富士登山をしたり、
冬はスノボやスキーに行ったり。

↑富士登山の前に兵庫・六甲山にも登りました。


また、初フルマラソンに挑戦する際には
MIZUNO協賛の大会に出場しようと思っていましたが有名どころである大阪マラソンはなかなか抽選に当たらず。


接客したお客様におすすめしてもらった大会が
たまたまMIZUNO協賛で迷わずその大会に
応募しました。


ちなみにその大会の開催日が20歳になる年の
1月2週目でして、僕は一切の迷いなく成人式を
欠席してその大会に出場しました。


中学では生徒会長でしたので本来ならば2次会の
幹事をする立場なのでしょう。

当時はそんなことお構いなく大会開催地の
鹿児島に飛びました。


また、同じ部門に有名スポーツメーカーに内定を
もらっていた先輩がおられ、履歴書やESを
見ていただいたりしつつ着々とMIZUNOとの
距離を縮めようと日々奮闘します。


そんなこんなで大学3回生の冬。


2015年卒の就職活動解禁の時期になります。



次回、7月15日更新予定です。


7月号はMIZUNO(後編)をお送りします

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