地平線を越えた先に見えたものは・・・
あれは確か2004年の夏・・・だったと思う。
ぼくは、手に汗を握りながら6畳間の部屋に置かれたブラウン管に釘付けになっていた。
hellfest 2003。
そのライブは、ぼくの想像を遥かに超えるものだった。
まだ、Youtubeがなかった時代だ。
海外のバンドは音源での情報しかなく、彼らのライブはまさに未知の世界だった。
どんな容姿で、どんなスタイルで、どんなライブをするのか。
いつも音源を聴きながら、想像してワクワクしていたことを覚えている。
当時、アメリカではハードコア界隈がメジャーフィールドへ押し上げられ、フェスの規模も年々拡大していた。
その様子が収められ、VHS(ビデオ)となり、DVDとなり、断片的ではあるが、ぼくの元へ届くようになった。
モッシュ、ダイブの嵐。
人波の上を、人が走っていく(笑)異常な光景。
いつか、絶対にこのバンドたちと同じステージに立ってやる。
そう、心に決めた。
そして、ノートにこう記した。
shai hulud
taken
hopesfall
evylock
と。
あれから約20年。
夢は、2020年に完結するはずだった。
しかし、新型コロナウィルスが世界中で蔓延し、予定されたhopesfall/takenのジャパンツアーが延期になった。
2021年、延期。
2022年、延期。
そして、2023年。
遂にその時が来た。
3月5日、新宿アンチノックでのツアーファイナル。
チケットはソールドアウト。
長い間、見続けた夢が現実になった。
1日の渋谷公演、4日の横浜公演と、hopesfallとtakenの演奏を観てきた。
コロナ禍を経て、2019年ぶりに会うtakenのメンバーとの再会(今回Bassで帯同したMartinは、2009年のIn Aviate /MIKOTO /evylockのUSツアー以来)は、さすがに感慨深かった。
動乱の世で生き別れた兄弟たちと、再び会えたような、そんな固く強いハグを交わした。
初めて会うhopesfallの面々は、昔からの友だちのような不思議な感覚があった。
自己紹介をすると、takenのRayが事前にぼくの事を紹介してくれていたようで、
「おぉ、お前がKokiか!Rayから聞いてるよ」
とリアクションをしてくれた。
待ち焦がれたhopesfallの演奏は、もっと感傷深くなるかと思った。
ずっと、生で聴きたかった演奏を聴けたのだから、涙が溢れてくるものだと思っていた。
だけど、そうはいかなかった。
Club Asiaのステージには大きなスクリーンがある。
hopesfallの演奏が始まっても投影されないスクリーン。
名曲「Open Hands To the Wind」の演奏がはじまったのに、完全に出力され切れていない出音。
音響と照明スタッフにイライラした。
水を刺された気持ちは煮え切らないまま、彼らの演奏は終わってしまった。
20年以上楽しみに待っていた瞬間を、台無しにされた感覚だった。
仕切り直して4日の横浜公演は、老舗の7th Avenue。
この日は、PAさん、照明さんはもちろん、出演バンド、オーディエンス、全てにおいて完璧だった。
takenもhopesfallも、これ以上ない最高のJOJOハードコアショウを見せてくれた。
それはまさしく、ぼくが夢見続けてきた光景そのものだった。
とても美しかった。
その昔、EAT magazineのインタビューで、SHAI HULUDが自分たちの音楽を”brutal”と”beautiful”を掛け合わせて、”brutiful”だと述べていたが、その通りだと思った。
この日嬉しかったことが、もうひとつ。
バックヤードに遊びにきた僕のむすめたちと、両バンドのメンバーが交流したこと。
takenのメンバーは2019年に来日した際、札幌のわが家に宿泊してもらった経緯もあり、顔見知り。
カタコトの英語で、ノートにサインを書いてもらうむすめたち。
それに満面の笑顔で応じるナイスガイたち。
自分が憧れた2バンドのメンバーと、自分の子どもが楽しそうにしゃべっている。
とても不思議な気持ちになった。
そして、ツアーファイナル。
変な感傷はなく、ただ純粋に最高の時間だった。
個人的には、夢が叶った特別な瞬間だったが、それよりも”今”の凄さを感じた。
hopesfallもtakenも、思い出の中にある過去ではなく、紛れもなく”今”を生きるバンドだったのだ。
生まれて初めて、むすめたちが父のライブを見た特別な日にもなった。
ステージ横で嬉しそうに見ている姿が、ライブ中に何度も目に入った。
ぼくも嬉しかった。
bloodaxeのコバくんには、いくら感謝の言葉を述べても足りない。
evylockの「地球の詩」の一節に、こんな歌詞がある。
-What am I to see when I pass the horizon.
(あの地平線を越えたとき、僕には一体何が見えるだろう)
ずっと、その先に何が見えるのか追い求めてきた。
この日、僕は地平線を越えた先を見た。
何を見たかは、僕だけの秘密だ。
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