100年後の『春と修羅』
”わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです”
今から100年前の、1924年4月20日。
一冊の詩集が東京の関根書店より自費出版された。
それが心象スケッチ『春と修羅』である。
著者は宮澤賢治。
当時、ほとんど見向きもされなかった。
神田の古書店で特価本として、二束三文で叩き売りされた本だ。
そのとき、多くの人は気づかなかった。
この本には、文学の未来がつまっていることに。
明治以降の近代文学史において最大の功績は、宮澤賢治という天賦の才能が東北の片隅で埋もれることなく、弟清六さんや幾人かの文人の情熱によって中央文壇まで押し上げられたことであろう。
それにより、いま私たちは彼の作品のほとんどを読むことができている。
高校の教員だった賢治は、『春と修羅』を出版した1ヶ月後、生徒を引率し北海道の地に立った。
”四月の気層のひかりの底を
唾つばきし はぎしりゆききする
おれはひとりの修羅なのだ”
表向きは明るくふるまう高校教師として、しかしその内面には修羅が確かに存在していた。
ひとりの修羅が、北の地と共鳴した作品群。
37歳でこの世を去った賢治だが、彼の言葉は、100年の時を経てもなお、ここ北海道に生きている。
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北海道と宮澤賢治。
来道100年という節目に、同じ高校教員として賢治さんの作品を伝える大役を任されました。
卒業生の有志団体「猫の事務所札幌支部」と、在校生の宮沢賢治プロジェクトチームによる展示会。
100年前に賢治さんが生徒と札幌市を訪れた5月20、21日の同日に、札幌市役所にて開催します。
花巻市の宮沢賢治記念館、林風舎から貴重な資料提供を受け、今までで最大の展示数となります。
前回展示した「修学旅行復命書」に加え、今回は旅行中に書かれた作品すべての直筆複写原稿を展示します。
初公開となる複写原稿もあります。
また前回に続き、佐藤国男氏の『銀河鉄道の夜』版画作品も展示する他、今回はさらに絵本作家あべ弘士氏が描く心象スケッチ「札幌市」のイラストも初公開の予定です。
100年前の、賢治さんの描いた心象空間が再現されます。
平日2日間の開催ですが、ぜひひとりでも多くの人に観に来てほしい。
お待ちしております。
また私個人としては、
5月18日(土)に苫小牧市の妙見寺で企画される苫小牧来訪100年記念イベント
そして6月1日(土)に苫小牧市美術博物館の大学講座にて
いずれも講師として登壇し、賢治さんと北海道について話をします。
こちらも機会があれば、ぜひお願いします。
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