病院わらし 第6話
母危篤
『タエちゃん』も『山本様』も気になっていましたが、もっとたいへんなことが私の身におこりました。
私の生まれて育ったところは勤務先の病院のある大きな町からとても遠い地方の町です。 私には弟と妹がいます。 妹は私と同じように故郷を出て都会で就職して、そこで知り合った人と結婚をして家庭を作りました。
弟だけが実家からあまり遠くない街で仕事をしながら一人暮らしをしています。
父はずっと前に亡くなったのですが、母は私が育った町で一人で元気に暮らしています。
いいえ、元気に暮らしていると私がかってに思っていただけだったのです。
ある日、弟から母が病気だという知らせがきました。
私はおどろいてすぐに病院に休暇届を出して、ふるさとに帰りました。
私と同じように大きな町に住んでいる妹と少し離れた町に住んでいる弟もやってきました。
母は久しぶりに親子全員がそろったことでとてもうれしそうにしていました。
母は自分のことで子どもたちに心配をかけたくないという一心で病気のことをかくしていたのです。
なんでもっと早く言ってくれなかったのかと怒る私に母は
「ごめんなさい」と言うのです。
病気になってつらいのは母なのに、悪いことをしてしまった時のようにあやまらせてしまったことに気づいた私はそれ以上何も言え ませんでした。
私は看護師をしているので病気の知識があります。
母のかかっているお医者さまから話しを聞いて、母の病気がとても重いことを知りました。
母を地元の病院に入院させて、私は一旦戻りましたが、あらためて母の世話をするために、勤務先の病院をしばらくの間お休みをする届けを出して、またふるさとにもどりました。
母は入院中にいろいろ検査をしました。
そして わかったことは、病気が治る見通しがないと言う絶望的な結果でした。
母も自分の病状はわかっていたようで、『治療は望まない。できれば残された時間は自宅で過ごしたい』という希望でした。
私は自分が看護師ですから母を退院させて自分が生まれた家で母の世話をすることにしました。
私は母のお世話をすることができて看護師でよかったと心から思いましたが、同時に看護師である悲しさも感じていました。
病気の知識があることで母の今の病状や次にどんなことになるのかがわかってしまうのです。
私は毎日母の様子をおそれながら観察していました。職業柄つい看護師目線になってしまうのです。
母は日々おとろえていきました。 でも、そんななかでも、私が何かしてあげると、
「ありがとうね」とか
「ごめんね」とかかならず言うのです。
そして、家庭や仕事のある弟と妹が家族を連れてやって来ると、大勢で過ごす時間が本当にうれしそうでした。
「こうやってみんなが来てくれるのだから、たまに病気も悪く無いわね」などと笑って言いました。
弟などは「よし!元気になったらねーちゃんの家族も一緒にみんなで温泉にでも行こう」と母を元気づけるように言いました。
「いいわね」
「そうね!たのしみね」
でもみんなそれができないことはよくわかっていたのです。
みんなが帰った後は母は疲れてグッタリしていました。
往診にいらしたお医者さまからもうあと何日ももたないかもしれないと言われ、私たち姉弟と妹の三人は母のいる実家に泊まり込むことになりました。
食べ物は食べられなくても、好きな飲み物を飲ませたり、痛いところをさすったり、三人で交代に世話をしながら、むかし家族みんなで行った旅行の思い出話などをしてなるべく楽しい雰囲気にしようとがんばりました。
そんな日が三日ほど続いたある夜、母の夢を見たのです。
母は元気だったころのままの姿で、ニコニコと笑って立っていました。
そして、「三人で仲良く、元気でがんばってね。お父さんが来てくれたからわたしはだいじょうぶよ」と言って手を振ってくれたの です。
見ると遠くのボウっとした霧の中から男の人が母の方に歩いてくるのです。
その男の人にはなんとなく見覚えがあります。
近づいてくるにしたがって、その男の人の姿ははっきりしてきました。
そしてその人は病院で見たあのおかっぱ頭の女の子に手をひかれているではありませんか。
その男の人はとうの昔に亡くなったはずの父だったのです。
「お父さん!」
そうです。その男の人は父でした。
なくなったころの若い父でした。
父の手を引いてきたおかっぱ頭の女の子は父の手をはなすとその手を母の手とつながせました。
二人はうれしそうに顔を見合わせてから、こちらの方を向いて、一度うなづくとあとは後ろを向いて歩いていってしまいました。
私は追いかけて行こうとするのですが、どうしても足が動かせず、とうとう二人は見えなくなってしまいました。
そこで「ハッ!」として目がさめました。
窓の外はなんとなく明るくなってきていましたので、もうすぐ夜があけるころだとわかりました。
私はベッドに寝ている母の手を取りました。
手は何かをにぎっているような形をしていました。
私には母がもう亡くなったことがわかりました。
横を見ると妹と弟もそばに立っていました。
「お母さん、お父さんと会えて嬉しそうだったね」と弟が言うと、
「そうね。お父さんの顔、久しぶりに見たわ」と妹が言ったのです。
とても自然な会話の後で、三人同時に叫びました。
「えー、なんで!」
だって三人とも同じ夢を見ていなければ成り立たない会話だからです。
三人は顔を見合わせてしばらく呆然としていました。
結局、父が迎えに来てくれて、母は最後に三人に夢の中でお別れを言ってくれたのだということになりました。
それでも納得できない不思議すぎるできごとでした。
でも、弟と妹の夢の中ではあのおかっぱ頭の女の子は見えていなかったらしく、一言も言っていませんでした。
母は満足そうにほほえんでなくなっていました。
翌日からお医者さまが来たり、葬儀屋さんが来たり親戚の人が来たりで、慌ただしく過ごしてから、私は自分の家に帰りました。
母が亡くなって悲しいのですが、私にはうれしさもありました。 最後に見た母の笑顔が忘れられず、私だけが見たおかっぱ頭の女の子が母を父のそばにみちびいてくれたことがうれしか ったのです。
こうして母を看取った後、私はまたもとの生活に戻りました。
第六話 《完》