足長さま 手長さま
海勝院って、この村にあるの?
さあ……ああ、そうそう足長の海勝院といっていましたわ
何だい、その足長というのは……?
隣村の名なんです、ほんとにこのへんの村、変な名前ばかりですわね 鬼首だの 足長だの……五里ほど向こうには手長村というのもあるんですって
横溝正史『夜歩く』より
私が読書の時間を持てるようになったのは、最近のことで、皆さんが思春期までに読み終えた作品をかなりの大人になってから読んでいます。そして多くのひとが登場人物に自身を投影するところをなぜか私は登場する場所へ行ってみたくなるのです。
横溝正史『夜歩く』に名前があがる足長村、手長村、作中では村名がでるだけで全く重要な場所ではないのですが、どんな村なのだろう、気になる。その村の名に関係するであろう神社が、あまり遠くないところにある、とにかく行ってみよう。
信州の諏訪にある、足長神社、古くから鎮座している、この土地特有の御柱もしっかり立っています。彫刻は大隅流、拝殿正面には打ち手の小槌に、宝珠、隠笠にみえるものも、これは宝づくしなのでしょうか、めでたいものたちが並ぶ彫刻は初めてみる。竜や鶴などの生き物と違い、威圧感はなく華やかな賑わいを感じる。
足長さまは市の中心部からは少し離れた場所にあり、まことに静かに落ち着けるところ、鳥たちの囀りが響き渡り、姿も現してくれた、その後の静寂、詣でているのは私ひとりきり。
もう一方の手長神社は上諏訪駅の近くにあります。断層崖の200段の石段を上がっていった先。息があがる、休み休み、春の野の花や傍らの石などを観察しながら、こころ軽やかに石段を上がっていく。
諏訪のでんせつ、民話によると、足長さまと手長さまはとても仲が良く、協力しあって、諏訪の土地を栄えさせた、とある。手長神社の御由緒によれば、手長さまは足長さまの妃神で奇稲田姫を手撫で足撫でして養育したとも記してある。
異様に長い手、足のせいで妖怪のように思われた記述もある足長さま、手長さま。古くからの信仰が伝わる土地では、とても親しまれ崇敬されてきた。その長い手足で子どもらを撫で慈しむことはなんと愛情深いことか、これらを合わせ考えてみると『夜歩く』で表現されていた「ほんとにこのへんの村、変な名前ばかりですわね」は何かしら目に見えぬちからのあるものの名を付けた村であり、実は大切なひとを安心して託すことのできる村だったのではないかしら、と勝手に妄想をふくらませてしまった。
このように横溝作品には、信州に実在する場所が名を変えるなどして登場する。横溝正史が結核の療養のために諏訪で暮らしていたことはあまり知られていない。
いちど諏訪に住んだことのある私にとっては、あの場所もこの場所も小説のなかに登場することになる。
読了後、私はきっとこの場所ではないかと思ったところへ出掛けてみる。その場の空気を思い切り吸い込む、創作の意欲が掻き立てられるのを感じる、そんな特別な楽しみかたをしている。その楽しみは作者からの贈り物なのだろうと思う、さらに作品の世界が深まっていく、そして、また本が読みたくなる。年齢を重ねても、こころ熱くなることができる私がいる。
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