東北自動車道⑦利根川ー館林市
※独自のバスガイド台本をまとめてみました。
バスガイドの皆様と共有してみたいと思い投稿しております。
表現や情報の誤り、新しい情報を見つけましたらご指導ご鞭撻ください。
利根川
さてお車は、ゆったりと流れる利根川を渡って参ります。
利根川は「坂東太郎」と呼ばれる日本三大暴れ川の一つです。
三大暴れ川 坂東太郎は
九州筑後川の「筑紫次郎」、四国を流れる吉野川の「四国三郎」の兄貴分として親しまれてきました。
古くより何度も洪水が起こり度重なる治水工事が行われ現在の姿になりました。
長さ
その長さは322㎞で信濃川の367Kmに次いで日本で二番目に長い河川です。
流域面積
また川の規模を表す流域面積は1万6800K㎡で日本最大でございます。
水源
利根川は群馬県北部の三国山脈に源を発し群馬県を流れそして千葉県と茨城県の境を東へ向かって流れ銚子から太平洋に注いでおります。
支流
この利根川へは片品川(かたしな)、吾妻川(あづま)、烏川(からす)、神流川(かんな)、渡良瀬川(わたらせ)、鬼怒川(きぬ)、など多くの支流が流れ込んでおります。
群馬県
利根川を渡りまして群馬県に入って参りました。
群馬県の県の形は鶴が舞っている姿に似ていると言われております。
北部から南西部にかけて両翼を広げ、草津町や嬬恋村が尾羽、桐生市、伊勢崎市を付け根に東へ長くのびる東南部が首と頭にあたります。
この東北自動車道は鶴の頭にあたる部分を南北に横切っております。
東北自動車道における群馬県区間はほんの短い間で8㎞しかございません。
邑楽郡明和町 おうらぐんめいわまち
利根川を渡り群馬県明和町に入りました。
群馬県東南部に位置し、県内で最も都心から近い自治体とされております。
由来
町名の由来は、「明朗で平和な村に」という想いから新村名として「明和村」と名付けられました。1998年に同じ名前で町制に施行されました。
館林市
お車は館林市の東端を北へと進んでおりまして高速道路の左側が館林市となっております。
最近では夏の気温の高さでニュースでも耳にするようになった館林市は館林城の城下町として発展した所です。
今から2万年前に人びとが住み始めた事が確認されております。
上毛かるたで「ツル舞う形」と例えられた群馬県のツルの頭の部分に位置します。
工業
工業としても発展しまして伝統ある製粉、醤油醸造、製麺、製糸などが行われております。
小麦粉のフラワーやパスタのママ―で知られる日清製粉ウェルナの前身館林製粉もこちらで生まれました。
1873(明治6)年創業の正田醤油は平成の上皇后美智子さまのご実家としても知られております。
観光
ツツジの名勝・つつじが岡公園
全国的に有名な分福茶釜の物語で知られる茂林寺
女性初の宇宙飛行士 「向井千秋記念子ども科学館」
製粉ミュージアムなどの観光地がございます。
館林城
現在の館林市市役所は館林城の跡地にございます。
歴史
築城の時期については諸説ありますが室町時代
に赤井氏が築き狐が尾を曳いて縄張りしたという伝説から「尾曳城」とも呼ばれる難攻不落の城です。
江戸時代に入りますと館林は利根川を押さえる東北方面への要所として栄え
さらに徳川綱吉が五代将軍になってからは立派なお城へ発展していきました。
その後、綱吉の長男徳丸が2歳の時に城主になりましたが三年後5歳の時に亡くなってしまいお城も廃止されてしまいました。
宝永4年(1707年)六代将軍徳川家宣の弟松平清武は館林城は規模を縮小して再建しました。
現在は城址の大部分が工場や学校になっておりまして
三の丸跡の復元城門や一部残った土塁がわずかに残っております。
茂林寺(もりんじ)
ただいま走行しております館林市南部に「文福茶釜の伝説」で知られる“茂林寺”がございます。
お寺としましては室町時代1426年に創建された曹洞宗の寺院です。
総門から山門に続く参道の両側に文福茶釜のお寺にちなんで21体の信楽焼の狸像並び参拝客を出迎えてくれるます。
さらに山門をくぐると東武鉄道より寄贈された巨大なタヌキ像もございます。
また、茂林寺には「文福茶釜」が寺の宝として大切に保存されております。
その茶釜は周囲1.2m重さ11.3㎏容積21.8ℓという巨大な茶釜です。
境内には他にも信楽焼の狸が置かれており
日本各地の狸グッズや狸の剥製が多くが展示された「狸コレクション」も人気を集めています。
文福茶釜の伝説
それでは茂林寺に伝わる「文福茶釜」の伝説をお話いたしましょう。
茂林寺の七代目の住職の時です。
茂林寺で数千人もの人が集まる大法要が行われることになりました・
けれどもそんなにも大勢の人を接待する茶釜がありません、、。
お坊さんたちが困っていると守鶴(しゅかく)という人莉乃お坊さんが一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきました。
いよいよ大法要がはじまると守鶴はこの茶釜でお湯を沸かしお客さんに出すますが不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。
人々が不思議に思っておりますと守鶴は、
この茶釜は福を分け与えるので「分福茶釜」というのです。
この茶釜の湯で喉を潤す者は、
開運出世・寿命長久等、八つの功徳
を授かります。と言いました。
その後、守鶴和尚が熟睡していている姿を見た小坊主たちが「和尚の手足に毛が生え、尾が付いていた」と噂するようにななり
自分の正体を見破られてしまった守鶴は狢の姿となり、どこかへ去っていってしまいました。
後にこのお話は、明治・大正期の作家、巌谷小波(いわやさざなみ)氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。
茂林寺の宝物として保存されている文福茶釜はこの守鶴(しゅかく)が残していったものと伝えらえております。
つつじが丘公園
館林インターチェンジから車で数分の所に国の名勝であり日本の歴史公園100選にも選ばれている群馬県立「つつじが丘公園」がございます。
園内には約50種、1万株以上のつつじが植えられております。
歴史
古来からヤマツツジの自生する場所で、室町時代の書物にも「躑躅ヶ崎」の名が記されており館林城の歴代城主から現在まで手厚く保護・育成されてきました。
貴重なツツジ
・なんと樹齢800年を超えるとされる「ヤマツツジの巨樹群」は高さ5mもあるそうです。大きいツツジなんて、私たちのツツジのイメージとは異なりますね
・江戸時代、東京都大久保でつくられていた「江戸キリシマ」という品種がまとまって残されているのは全国でもつつじが岡公園くらいです。
また、公園を代表する品種、ヤマツツジ、オオヤマツツジの中から、特に花色の変異したものが、館林市オリジナル品種として登録されています。
・館林市出身の宇宙飛行士向井千秋さんがスペースシャトルに持参した種から育てた「宇宙ツツジ」もございます。
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