思ったことを素直に伝える大事さをある国のクラスメイトから教わった話

vol.66
こんにちは。
今日から3連休ですね。
私は前半の3連休は心と体を休める休息期間にしたいと思います。

今日は自己を形成した昔の出来事を少しお話しします。
遡ること15年!?
当時大学1年生ですね。
生まれて初めて日本を出て、海外留学というものを経験しました。
期間は約1ヶ月
場所はカナダのヴィクトリア
(バンクーバー近くの小さな島で、田舎です。)
それはそれはとても平和で良い場所でした。
初めての海外でしたが、日本シックにはならなかったほど。

初めての英語生活、初めての異国文化に触れてとにかく毎日が新鮮だったことを覚えてます。
はじめはバスの降り方(紐を引っ張る式)には衝撃を受けました。笑
そして授業は英語という共通言語で世界が通じ合える、一つになってるという感覚を強く感じて、英語を話すことの楽しさ、歓びを初めて覚えました。
毎日が新鮮で、毎日が楽しい。
そんな日々を過ごしている最中で、私の中に衝撃が走った出来事がありました。
それは、特段事件というイベントが起きたわけではないのですが
授業を受けている中でやたらと聞こえる周りの声です。
「どうしてこれは〇〇なの?」
「ちょっと待って、これはどういう意味?」
「これは正しい?これは?」
…どうして?どうして?と事あるごとに聞いている生徒がいました。
彼女は確か南米の方の国だったかと思います。(コロンビア?)
空気を読んで、何も発言しない私、
対して、自分のわからないところを一つ一つ解消していくコロンビア人
しかも授業中に隣の生徒と何やら学んだことの意味を確認しあったりして、とにかく周りのことなんてお構いなしにコミュニケーションをとり続けます。
これには私も衝撃を受けました。
まだ若干10代
少し前まで受験勉強をやっていた私に
周りの時間を止めてまで質問し続けるということは流石に出来ない行動でした。
でも彼女(おそらく同い年くらい)はそれが当たり前に出来ていました。
腹落ちして納得がいくまで先生とコミュニケーション取り続けていました。しかも授業中に。

今振り返ると、少し強引かもしれませんが、これくらいコミュニケーションを取るのって本当に大切だなと感じます。
そして、この子がいたから、私の今が形成されている気がしてます。
この生活を1ヶ月もしていたので、私も終盤は躊躇なく自分から臆せず発言や質問をすることが出来ていました。
この頃トレーニングした成果が、今の私。

国民性という言葉はあまり好きではないけど、
日本にずっといたらこの経験は出来なかったと思うし
異文化を知れて、あの子に出会えたから今の自分が大切にしている事が躊躇なく出来ていて
あの頃の出会い・経験に感謝だなと今でも思います。

残念ながら英語をペラペラに話して通訳になる夢は途絶えてしまい
今は英語が全く話せなくなりましたが、
あの時私の想いに投資してくれた家族からのプレゼント(海外留学)は
今でも大切な価値観となって、生き続けています。

ありがとう、両親とおじいちゃんおばあちゃん。

それでは本日も素敵な一日をお過ごしください。

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