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日記 0809〜0818

0809
 1日中、文章を考えていたように思う。教会が年に何度か刊行している文集みたいなものへ、「教会と私」というテーマで書いてみませんかと、声をかけられていた。700文字程度。仕事では事実のみをまくし立てるように書くことは慣れたものになったけれど、情緒的な文章、しかもこんな日記とは違い、形式ばったものは、学生時代の感想文に近い。また特定の人の目に触れると分かっているので、多方面に気遣いつつ、自分が書いたとしたい文章の落としどころを見つけるのは、大変な作業だった。 18:01、隣駅へと歩いて向かう。印刷会社の横は、紙かインクか分からない、熱された匂いが漂う。水色と灰色の夕方が蒸している。雨が降る予報。同居人のリクエストで、焼き肉を予約した。待ち時間のうちに、編み物をしたい。車と譲り合いする度に、こんなことしなくてもいいのに、といつも分かっていて、譲り合おうとする。あとは、恩師への手紙も一通り書き終えた。縫う編むNさんへの手紙も、読み返しても良い感じになっていた。お腹が壊れるのを覚悟で、道中にアイスコーヒーを飲みに喫茶店に入るつもり。
 19:47、隣駅へと向かう。喫茶店のマスターと馴染みの若い客らのお喋りが花咲いており、いい意味で静かに編み物が進められた。客が自分と、カウンター真隣のお姉さんの二人に残っても、マスターとお姉さんはお喋りを続けていた。飲み終わりに合わせて、ちゃんとお腹を下した。
 焼き肉までの道中、言葉に残したくないくらいには最悪の通り魔に合い、かなり引きずりながらその後を過ごした。焼き肉は食べ放題にして、カラオケに直行した、ずっと大声で歌った。通り魔に刺されたことなんて、一生忘れられたら良いのに。

0810
 服に関する偉人が、白い靴下を履くべきと強い思想を持っている。ライブ会場で、服が好きな同居人と服が好きなその友人が客席側でスポットライトを浴びていて、同居人はいつものヘンテコ舞踏を舞っている、という未来の予知夢を見る。夢から醒めて、同居人に、あなたの介護をすることになったら出来ると言い放ったりした、という夢。
 土曜、出勤。終点方向が空港に至る電車では、キャリーを転がす人たち。
 家の床に横になった。21時に最寄り駅に着いたので、町中華でビール、唐揚げ、餃子、冷やし中華。荒川沿いを散歩した。同居人と仲が良い。

0811
 洗濯物を干す朝。コーヒーを淹れて、昨日同僚Sに奢られた、大福1つを半分にして食べる。午前中のうちから、編み物が出来る。先に出発していく同居人は、窮地に立たされたような顔をしている。カマキリは、扉を開けるとどこかに消えていた。
 電車に乗って、寝たり起きたりしながら過ごしている時間が、どうしようもない。
 実家に帰った。母が作った、ボーコーという、ベトナム料理を食べる。夕方からの四半日間、堂々巡りをしながらも、要件を話した。疲労した。母の問題のようで、私自身の問題として返ってくる話だから。胃が痛い、お腹も壊した。私の実家は、半年後にはなくなるようだ。

0812
 寝苦しく、起きたらまだ4時。煎餅のような煎餅布団。エアコンもない部屋。ここで暮らしていたのか。
 朝食に玄米、サバのみりん干し、梅干し、味噌汁、カインチュア(鯛、トマト、セロリをタマリンドウで味付けたスープ。ベトナム料理)を食べる。朝から母は仕事に出る。あと何度か分からない実家の鍵を閉めて、自宅に帰る。
 帰宅、少し仕度し、同居人とNさんの予定に参加させてもらった。母との邂逅でかなり疲弊していたけれど、せっかくこちらまで来てくれるので、会いたかった。スパイスカレー屋さんと、自宅に来てもらい一休み、お喋りをした。帰りの夕方頃に、河川敷へ行くと、向日葵畑になっていることを初めて知った。同居人と買い物して帰った。
 これからの住む場所、住み方、自分の家族のことを話し合った。

0813
 一歩も外に出ずに、ただ休んだ。夜ご飯は豚こまの辛味噌炒め。

0814
 右の犬歯あたりの上下噛み合わせ、2本が順番に抜ける夢。最近、また食いしばっている。
 三連休明け、酷く億劫で、怯えている。

0815
 屋外のような施設の中で、大きく2つほどの青少年たちの忍者的組織が争っている。多分に漏れず、飛んだり跳ねたり走ったりして、ただ逃げ、避けている。この空間から、ゲームから、逃げ出す道を探しているけれど、更に俊敏な相手組織に包囲されている。射撃がいくつか放たれる。上手く逃げ出せる道があるはずと、希望的な夢。

0816
 8月も半ばを超えたとは思い難い。台風が近づいていて、上りも下りもがらんとした電車。遅延もしていないが、果たして帰宅できるのかは、分からない。サンダルで出た。
 退勤。台風は、橙と茶の夕方を連れてきたようだ。見たこともない空の間にいる。当たり前に、ケンタッキーフライドチキンなどは閉まっている。10分と揺られる間に、酷い雨に変わって、重たい紫色になった。
 辛いラーメンにネギや半熟卵を乗せ、冷やしキュウリ、ファミチキなど、好き放題の食べ物を食べた。明日の朝も、台風を眺めながら出ることだろう。

0817
 いい天気のよう。シャッター雨戸を降ろしていたので、リビングが暗かった。直ぐに仕事を終わらせて、高校の友人に会いに行く予定。
 解散した。集合地点から、互いに自宅まで徒歩40分のところに住んでいる。遠いようで、近い距離にいる。一人暮らしを始めた友人Kが、明るいネガティブなのだと自称していて、もう10年来にもなる仲でも、まだ他人の未知数を思い知る。串揚げを多数、酒は5杯ほどは、サイコロを振って3杯ほどの値段になったようだった。共に大島に行った、旅の記憶を話した時に、日本や海外を旅してきた友人が、五本の指に入る旅だった、と言ってくれたのが、嬉しい気持ちになった。帰ったら、明日歌う予定の歌を、声に出したいと思っている。

0818
 気分を高揚させるのに、音楽を頼ることもなくなっていたけれど、今日はそうじゃないよう。Salyuや、YUKIや、数分のうちのさざなみの、押しては返す抑揚に耳を澄ましていて、こういう感情に傾倒しすぎることを、いつのまにか恐れていたのだと思う。いつの間に、中野駅で、総武線に乗り合わせる。今日は曇りと聞いてきたけど、案外晴れているようで、日傘を持ってこなかったのを後悔する。音楽に感傷的になるのも、良い体験なので、忘れないように思い出したい。電車も人が少なくて、街が見渡せる、広い所にいる気分のおかげもある。
 風呂に入って、横になった。10時から13時まで、音楽仲間Nさんと、彼の曲を録音をした。平凡に歌ってしまって、いつも殻を割りたい内側のような気持ちが残る。居酒屋で、またとりとめなく話して15時に解散した。料理研究家から得た思想のこと、音楽、映画など。下北沢に移動して、ジャズ喫茶で背もたれもない椅子に座って、爆音のジャズを耳にしながらもウトウトと編み物をした。同居人は遅れて来るので、手芸師匠のNさんと先に合流して、洞窟のようなバーに入る。お喋り、同居人も合流、お喋り。Nさんは大きな塔のランプを引っ越し土産にプレゼントをしてくれた。その後21時までカラオケ。最後の予定、21時から同居人の友人が出演するライブハウスへ。後ろの外国人が、「シークレットミーティングみたい」「お伽噺を思い出す」と曲間にコメントをするのが面白かった。淡々と手作り音楽を真剣にしていくことは、それだけで尊いものだった。メンバーへと、少しの感想を伝えられる。生活の実体は、何にでもなる。日記にも、音楽にも。マグネットを買う。疲れで帰ることにする。帰路は同居人と反省会をした。予定の複雑さにレベル付けする。

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 塔のランプを照らしたら綺麗で、嬉しかった。

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