私は、私としてしか、書けない。
「私」としてのアウトプットに制約がかかる可能性を感知してから、3週間程が経った。
生物としての活性が、すこぶる悪くなったことが否めない。
そして、気付く。
私は、私としてしか、表せないし、著せない。
「セルフブランディング」などいう、自分を事業化するスタイルを当て込んだ瞬間に、私はきっと私でなくなってしまう。
自分の中から自然に湧き出る泉を失ってしまうと、その泉は、清く正しく美しく均質化された水道水と化してしまう。
それなら湧き出さない方がマシである。
私は、明確に定められた基準の元に品質管理された水道水ではなく、不純物や時にはよくわかんないものも浮いて流れてくるような、でも誰かの渇きを癒したり、五感を楽しませるような、小道に流れる湧水でありたい。
飲んだ人のお腹を悪意により壊す存在にはなりたくないけど、口をひねればどこからでも出るものでは在りたくない。
静かな闘いは、続く。
書く・描くことに使わせていただきます。 もっといいものを届けられるよう、精進します!