脳内の引き出しから、花火
2014年、友人2人と温泉に行った。
湯の山にあるアクアイグニスという複合施設。
社会人3年目の私たちは、いっちょ前に仕事と恋愛の悩みを抱えて、稼いだお金を行きたい所に行きたい人と使った。私は海外への憧れがなく、日帰りか一泊で行ける距離が主な行動範囲だった。
アクアイグニスDAYは友人Aの誕生日が近かったので、友人Bと事前にヴィレッジヴァンガードへ買い物に行った。最高にくだらなくてかわいいものをたくさん買って渡した。何を話しても爆笑して、竹を見ながらお風呂に入り、ちょっといいかき氷を食べて、休憩所という名の畳の部屋でリアルに寝た。
友人A・Bがゴロゴロ寝ている間、私は隣のフロアに移動した。そこには四角いBOXに足が生えたような、本棚と机が一体化したものがポツポツ置いてあった。
これ、いい。これ最高。家に欲しい。職場にも欲しい。人目を気にせず本が読める最高のMYスペースじゃないか。誰が考えたんだ。ありがとう。
『四角くん』は複数いて、それぞれBOXの中の色が違った。なるほど性格が違うのか。中には本が置いてあるけれど、全て無地のカバーがしてあるので開いてみないとどんな本かわからない。
憎いことをするやないか。知りたければここに座って本を開いてみろと。ふふふ、わかりました開いてみましょう。このスペースを作った作者の思惑どおりに四角くんを渡り歩いた。
たくさんの本を開いた。いろんな本があったと思う。
でも私は、一冊の本を開いた時の衝撃がすごくて、正直他を全て忘れた。
それは写真集で、『花火』というタイトルだった。
少し大きくて薄めな本。
適当なところでパッと開く。
そこには、ページいっぱいに花火がドーンと打ち上がっていた。
花火を見上げる人々の後ろ姿の中に、母が見える。おばあちゃんが見える。気がする。
ゆっくりと、ページをめくる。最後まで見て、また最初に戻る。何度も繰り返した。
この本は、いつか買わなければ。そう思って本の写真を撮った。本の最後の、発行日とか印刷所とかが書かれているページも撮った。
次の日からまた忙しい日々に戻り、そのうち花火のことも忘れてしまった。
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友人A・Bは結婚して引っ越した。国を超え遠く離れた私たちは今でもzoomで集まって話している。
仕事が忙しくなり、結婚と離婚を経て、私はすっかり本を読まなくなっていた。オードリー若林さんのエッセイ『ナナメの夕暮れ』で本の面白さを思い出しすぎたのをきっかけに、また読むようになった。
そういえば、ずっと前に欲しいと思った本があったな…と膨大な写真を遡った。何代か前のケータイで撮影した画像の中にやっと見つけた。
川内倫子さんの、花火という写真集。
迷わず購入した。
そして家に届いてすぐ、本棚にしまった。なんだかすぐ読むものではないなと思った。
花火は本棚から私を見守り続け、2023年を迎えた。この本をアクアイグニスで知ってから9年が経っていた。
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桜が満開になり、私は風邪をひいた。
何日か微熱が続き、ドッと高熱になりやっと下がった。体力が衰えてフワフワする体でふと、本棚から花火を取り出した。
ページをめくるたびに、脳内の引き出しがガラッと開けられる。
七夕祭りの蒸し暑さ。屋台の煙。交通整理のだるそうなおっちゃん。花火の光と音のズレ。少し怖くて圧倒的な景色。いつ帰ろうか、いやまだ見ていようか。人混みの中で会いたくない人に会ってしまったあの感じ。お姉ちゃんのスカート。お母さんが呼ぶ声。お父さんの背中。元旦那さんの汗ばむ手。友人ときゅうり。猫のミミ。
花火は天国みたいだ。花火は天変地異みたいだ。花火は宇宙人みたいだ。
ガラッ。ガラッ。いつの記憶かわからない感覚が飛び出してくる。
体温が伝わってくる写真だった。花火だけでなく、花火を見に行く途中の道やどんな場所でどんな服装でどんなポーズで誰と見ているのかがたくさん映っていて、なぜか胸がきゅーっとした。花火と全然関係ない記憶もたくさん思い出した。大切に本棚にしまった。
コロナ禍になり、もう何年も花火を見に行ってないことに気づいた。
今年はどこかへ見に行こうか。でも会いたくない人に会ってしまうとアレだから、遠くから見れるところで。
そう姉に言うと、「まずは風邪治して桜見に行きな」と言われた。