単純だけど残酷な自分の居場所の見つけ方
いや、態度!態度が全然違う!!
今日は、「コーチとして手配してもらっていたU-17の男子チームを1ヶ月で辞めて、地元のクラブチームに選手として所属することになった途端、僕のプレーを見て周囲にいた人たちの反応が変わった」という話をしていきますね。
これでもかというくらいに、変わりました。
初日の練習で、得意のウィングシュートをお見舞いして、でかいだけの太ったDFをノータッチで抜きました。
やれることはやったなー。と思っていた練習のあと。
「おーー!こーじゅ!!君がそんな素晴らしいプレーヤーだったなんて知らなかったよ!」
もちろんデンマークの同年代のスーパースターたちと比べられていないことは百も承知でしたが、どれだけできないやつだと思ってたんだよ。笑
おそらくみくびられていたんだろうな。と思います。
そのとき嬉しかった反面、残酷な世界だな。と悟りました。
大人しそうで大して喋れもしない日本人に、手取り足取り教えてくれるのは最初の2週間までなんでしょうね。
そこから先は自分でなんとかしなさい。無理なら帰るんだよ。2週間を過ぎたあたりからそう言われているように感じた記憶があります。
銘苅さんのブログじゃないけど、自分の居場所は自分で切り拓いて行かなきゃいけないんだと実感した瞬間でもありました。
↑銘苅さんの記事
持たざる者には与えられない
「急にやってきた日本人に優しくしてくれるデンマーク人は凄い。」
最初はただ何も深く考えずに、そんな風に思っていました。
みんなが勝手に優しくしてくれるものだと感じていました。
甘い、甘すぎる。もちろんそんなことはありませんでした。
デンマークでの生活が始まって1ヶ月が過ぎようとしていた頃、コーチングを学ぶことに専念しようと思っていたため、自分でプレーすることは考えていませんでした。
しかしデンマーク人からすると、大して語学が堪能なわけでもなく、ハンドボールの実力もわからない、小さい日本人に「優しく教える」義理は当然ないわけです。
留学当初、僕への対応は少々素っ気無いというか、困ったことがあったら聞いてね。くらいの感じでした。まあそれでも優しすぎるくらいですが。笑
英語ならなんとか理解できていたトレーニング内容も、イングリッシュスピーカーの居ない練習はデンマーク語で展開されました。
そのおかげで、トレーニングの意図を理解することは出来ず、メニュー内容をただメモする日々が続くことになります。
このままではいけないと思い、自分自身でプレーしながらコーチングを学ぶため地元Ikastのクラブチームに入ることにしました。
そのチームのことは1番初めの記事で紹介してあるのでぜひそちらも。
そのクラブのトレーニングに参加した1番最初の日。
冒頭で話したような出来事がありました。
その後シーズンが終わる3月まで、チームの中で自分の役割を見つけ、全うしました。
ウィングシュートは狭い角度でもどんどん飛び込み、速攻では相手に少しでも隙があればその隙をつく。
気がつけば1シーズンで131点取っていました。
所属していた3rd div.はそこまでレベルが高い訳ではありませんでしたが、チームによってはいい選手が何人もいて、簡単には勝てないリーグでした。
得点シーンを集めたビデオでも作れればよかったんですが、ビデオを撮ってくれる人がいなかったので、皆さんに出場シーンをお見せできないのがとても残念です。
日を追うごとに、共同生活を送っている友人の中に僕の話が広まり、コーチ陣の中でも話題に出してもらっていたのか、同じIkastの違うカテゴリーのコーチにも認識してもらっていました。
おかげで後半の生活では、いろんなカテゴリーのチームのトレーニングを見学させてもらえるようになっていて、
「今度ウィングショットを教えてあげてよ!」
なんて超うれしいことをいってくれるコーチもいました。
笑顔が自然と出るし、なんの気負いもなく話しかけることができていました。なんだか不思議でした。新しい自分に出会ったような。
「あーー!日本からきてる子ね!」といってように声をかけてくれるのが嬉しいんですほんとに。こんな遠い地で僕の「個」が認知されてるってなんとも言えない喜びを感じるものです。
そうやって自分の居場所を見つけてなんとか生きていたという。今日はそんなゆるい話でした。
今日はこれくらいで!
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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本日もお疲れ様でした!
筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽