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競技スポーツのみに浸る生活は危ない。
「授業と部活の両立が大変です。」
先日大学の後輩から「授業と部活の両立が大変」と聞きました。彼は1年生で、時間割を見てみるとかなりパツパツな状態。
確かにこれはキツい。
僕自身が大学に入ったばかりのことを思い出しても、やはりほとんど毎日授業が詰まっていました。
授業が終わると直ぐに練習場に向かい、力強いハンドボールをする先輩たちに混じって、慣れない状況の中で練習をしていた記憶がありますね。
正直大変な毎日だったし、相談してくれた彼自身、たとえオンラインでの授業が多かったとしても課題に追われてしまったり。
なかなかハンドボールに集中することは難しいのかも知れません。
今日はそんな状況にどう向き合っていけばいいのかを僕の経験をもとに考えてみました。
ハンドボールだけやってて良いよ。
では、ハンドボールだけやって良いよ。と言われたらハンドボールに集中することは出来るでしょうか?四六時中うまくなるために考えを巡らせ、ひとときも欠かさずハンドボールが上達するための行動を取り続ける。
これはこれで難しくないですか?笑
以前の記事の中で「ハンドボールはあくまで非日常、日常生活が充実していないと非日常は成立しない。」と書きました。
一日中ハンドボールのことだけ考えていいよ、と言われたらなんだか出来る気がしますが、1週間ずっとハンドボールのことを考えろ。と言われたらかなりしんどい人が多いのではないでしょうか。
ましてや、チームに所属する3年、あるいは4年間、ずっとハンドボールのことを考えることは不可能に近いことだと僕は思っています。
学校に行って授業を受ける、友達と話して刺激を貰う、友達と美味しいご飯を食べに行く、ときにはカラオケに行って遊ぶ。
そんな日常があってこそ、本当の意味でハンドボールをする機会、費やす時間に意味を見出すことができるような気がします。
そう考えたら課題に追われて忙しい日々も、ハンドボールをより魅力的に感じるための「乗り越えるべき壁」と感じられるようになるかもしれませんね。
スポーツしかしない生活を辞めた。
そんな僕自身は、高校でハンドボールばかりやっていて、勉強を頑張った記憶はありません。
全てはハンドボールのために過ごした3年間で学んだことはたくさんありました。しかし同時にとても狭い世界で生活をしていたなとも思います。
先日銘苅さんがこんな記事を書かれていてとても勉強になりました。
まさにその通りだと思いました。
今までの自分のキャパシティを越えて何かを学ぶ、経験することで価値観が変わっていき、敷いては自分自身を変えるきっかけを掴むことが出来るようになる。
そう考えたら、今まで行ったことのない環境に行ってみることや、会ったことのない人に会ってみることは自分の世界を広げてくれる可能性を秘めているということです。
自分の好きなこと、好きな分野に止まることは専門性が深くなる一方で、自分が何処に向かっているのか、また何処にいるのかがわからなくなる危険性を孕んでいます。
ハンドボールしかしない日々を通してそう感じました。
移動距離≒経験の数 それらが人間の深さに関わる。
多少の失敗は何の問題もありません。
後輩くんは体育の授業で怪我をして、部活に出れなくなり、トレーナーさんに怒られたそうです。おばかさんですが、それもまた一つの経験。彼の価値観を変えてくれる経験になったことは間違いありません。
その馬鹿げた怪我も、新しい世界に足を踏み入れていくための大切な第一歩なのかもしれないよ。
後輩くん、そんなところで許してくだいな。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
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本日もお疲れ様でした!
筑波大男子ハンドボール部 森永 浩壽
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