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Episode 19: 木樽熟成ビール〜時のいたずら〜

現代のビールは、一般的にはステンレスやアルミの樽で発酵・熟成が行なわれる場合がほとんどであろう。19世紀以前は、樽と言えば木製で、前回扱ったブレタノマイセスなどを含む微生物やバクテリアが棲息することもあり、ビールの劣化の原因ともなっていた。

これに比べるとステンレスの樽には微生物が棲み着くこともなく、使用後はキレイに洗浄することも可能で、計画通りに安定した発酵や熟成を実現することができるのである。これにより、ビールそのものの品質も飛躍的に向上したと言える。

ところが、現代のクラフトビールにおいては、あえて使用済みの木樽などにビールを詰めて熟成させ、独特な風味や香りをビールに添加して、付加価値を高めたものが存在するのである。いわゆるバレルエイジド・ビールである。正式なスタイル名は木片および木樽熟成ビールという。

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生産量の少ないものが多く、リリースされる年によっても特徴が変化することもあるので、欲しいと思ってもなかなか手に入らないものも多い。そんなマニア垂涎の希少ビールの世界を覗いてみることにしよう。

木樽熟成の意味するところ

ビールは基本的に生鮮食品だと思っていただきたい。スーパーマーケットや量販店で冷蔵ケースの外に缶ビールやボトルビールが無造作に積み上げられているのを見ると、心が痛むことがある。肉や魚にもこんな仕打ちをするのかよ、とさえ、思うこともある。

ビールはタンクから瓶や缶に詰められた瞬間から劣化が始まると言っていい。いくら保管の環境を整えたとしても、時間とともに酸化が進み、その影響はフレーバーや香りに現れる。

もちろん、ホップを大量に添加したり、あるいはアルコール度数を上げることで、ある程度劣化を防ぐことはできるが、それとて万能ではない。時間はビールに残酷な運命を与えるのである。

では、なぜ、長期熟成などということを行なうのか?

それは熟成によってフレーバーの角がとれて丸みを帯び、場合によっては紹興酒を思わせるような独特の熟成香が生じる場合もあるからである。ホップの苦味は減退するが、逆に麦芽由来の甘みが強調され、熟成によるフレーバーが強められることで、酸化の兆候もある程度マスクされ、より複雑な味わいに進化することもあるのだ。

こうした長期熟成はステンレスの樽でも可能であるが、木樽で熟成するとどのようなことが起こるか?もちろん、前述の通り、木に棲み着いた微生物により、特有のファンキーなフレーバーが生じることもあるし、度が過ぎると単なる汚染にしか感じられない場合もある。

ところが、木樽でうまく熟成したビールには、樽が持つ香りが与えられることがあるのだ。木材そのものの香りもあるし、木に含まれるリグニンバニリンと呼ばれる成分によりバニラのような香りが与えられる場合もある。

さらには、ウイスキーなどの蒸留酒やワインなどを貯蔵していた使用済みの木樽を用いて熟成させることで、それら、もともと樽に貯蔵されていた酒の個性をビールに与えることもできるのである。

例えば、木樽からはタンニン由来の渋み成分も抽出される。本来、できたてのビールにはタンニンはほとんど含まれておらず、渋みはビールの酸化のバロメータであると考えられる。しかし、例えば、ピノ・ノワールシャルドネなどのワイン樽で熟成したビールの場合、ビールであるのに、まるでワインを思わせるような渋みが長所として現れる可能性もあるのだ。

ただし、木樽の一つ一つにも個性があるし、木樽に潜んでいる微生物の働きも完全にコントロールすることはできない。そのため、同じ銘柄でも年によって味わいが大きく異なることもある。まさに一期一会のビールであると言える。

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そういう意味では、ワインやウイスキーと同様、作られた年、さらには同じ年でも使用された樽によって個性の違うビールが出来上がる。そのため、ウイスキーと同じように、木樽熟成されたビールをブレンディングして、思い通りの味わいを作り出す、などということにチャレンジするブルワリーも出てくるのではないかと考えられる。

樽の個性

先ほど、木樽熟成によって、樽そのものの香りや、その樽にもともと入っていた酒の香りが与えられるという話をした。この話題をもう少し掘り下げてみよう。

まずは木樽そのものの香りについてである。

ウイスキーやテキーラなどの蒸留酒、ワインなどの貯蔵にはオーク(ナラ)の木材で作られた木樽が用いられる。

もっともよく使われているのが北米産のホワイトオークで、スコッチウイスキー、バーボン、シェリー、ワインなど幅広い種類の酒の貯蔵に使われている。バニリンが多く含まれ、バニラ香やカラメル、蜂蜜などの香りが与えられる場合もある。

この他、ヨーロッパのワインやブランデーにはフレンチオークコモンオークで作られた木樽が用いられることが多い。近年、日本のウイスキーが注目を集めるようになったこともあり、日本固有のミズナラ材で作られた木樽も世界的な注目を集めている。

また、これらの樽は、内部に焼き(チャーリング)を与えることで、さらなる香気成分を生成している。焼き方やその程度によっても生成される香りの種類や強さが変わるため、木樽づくりの技術はまさに職人芸であるとも言えるだろう。

一方、日本酒の貯蔵には杉樽が使用される場合も多い。日本のクラフトビールの中には、杉樽で熟成させることで、まるで杉の酒桝で飲んでいるかのように、ほのかな杉の香りがビールに与えられたものも存在する。

木樽そのものの香りがビールに与えられるだけでも十分に面白いのだが、さらに興味深いのは他の酒を貯蔵していた使用済みの木樽を用いることで与えられる香りである。具体的には、もともとその樽で貯蔵されていたウイスキーやバーボン、ワイン、テキーラなどの香りがビールに与えられるようになる。

ビールのような香りのウイスキーやワイン、ビールのような日本酒、というものにはほとんど出会ったことはないが、ウイスキーやワイン、日本酒を貯蔵していた木樽を再利用することで、これらの酒の香りを身にまとったビールを作ることは可能である。このような意味でも、ビールがもつ類まれな多様性を感じてもらえるのではないだろうか?

さて、ビールのような香りのウイスキーなどはない、と書いたが、実はこれは嘘である

ウイスキーの貯蔵に使われたオーク樽でIPAのようなビールを熟成させてビールを作り、そのIPAの熟成に用いた樽を再度、ウイスキー蒸留所へフィードバックしてIPA樽で熟成させたウイスキーも作られていたりするのである。これにより、ウイスキーには苦味やホップ香など、本来、あるはずのない新しい香りが与えられることになる。まさに多様性の連鎖である。

熟成プロセスと同様、話はそう単純ではないというわけだ。

熟成に適したスタイル

どんなビアスタイルでも木樽で熟成させれば好ましい変化が得られるかというと、そうとは限らない。例えば、ピルスナーケルシュなどのアルコール度数が5%程度あるいはそれ以下で、かつ淡色のビールは熟成には向かない。

比較的低温で焙燥された淡色のピルスナー麦芽を用いたこれらのビールは、酸化が進むにつれて独特の酸化臭(T-2-N)を生じることが知られている。もともと麦芽由来の甘みも強くないため、熟成してホップ香や苦味が減退し、ボディも軽くなってくると、特徴のない薄っぺらいビールになってしまうことが少なくない。

一方、冒頭にも述べたとおり、ホップを大量に使用したIPAのようなスタイルや、バーレイワインインペリアルスタウト(このスタイルについては別の回で紹介する)などといったハイアルコールビールは木樽での長期熟成にも適している。(下写真はファウンダーズ醸造所のKBS(Kentucky Breakfast Stout))

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ホッピーなビールの場合、ホップアロマこそ時間とともに減退するが、苦味が柔らかくなり、熟成により複雑な風味が加えられ、できたてのビールとは違ったキャラクターが現れてくるだろう。

ハイアルコールビールでは、フルーティーなエステル香や、いわゆるアルコーリックなアロマが感じられるものも少なくないが、これらに加え、木樽由来のスモーキーな香りやバニラのような香りが加えられ、まさにスコッチやブランデーを思わせるような風味を醸し出してくれる。木樽とビールのマリアージュとでも言おうか。

また、酸味のあるサワーエールなどの場合は、酸味の角がとれて、よりまろやかで深い味わいのビールに仕上がることもある。それゆえ、ランビックアウトブラインを始めとするサワーエールでは伝統的に熟成が行なわれてきたとも言える。

もともとブレタノマイセスなどの微生物由来の香りをもつビール、例えば、上のランビックや各種サワーエールの他、ブレットビール、ベルギーのセゾンなども木樽熟成に向いているだろう。樽に潜んでいる微生物がさらなる変化をもたらしてくれるに違いない。

これらを反映して、現在のビアスタイル・ガイドラインでは、木樽熟成ビールとして次のようなスタイルが定義されている。

まず、アルコール度数が6.3%以下の「木片および木樽熟成ビール」、それに度数が6.3%よりも高い「木片および木樽熟成ストロングビール」である。アルコール度数が高いもののうち、スタウトという黒ビールがベースになっているものは特に「木片および木樽熟成ストロングスタウト」という別のスタイルで定義される。

さらに、サワービールはアルコール度数に関係なく、フルーツを使っているかどうかで二つのスタイルに分けられており、それぞれ「木片および木樽熟成サワービール」「フルーツ入り木片および木樽熟成サワービール」に分類される。

すべてのスタイル名に使われている「木片および」という枕詞に疑問を持つ人がいるかも知れない。これはビールを木樽に詰める代わりに、木樽のかけらや木のチップをビールに漬け込むことで、木の成分をビール内に抽出させる製法があるからである。樽で熟成させるには広い貯蔵スペースが必要だが、木片を使うのなら小さなタンク、小さな醸造所でも気軽に作ることが可能となるのだ。

時間をかけて作られるビール、しかも微生物などの働きにより完全なコントロールが難しいビールは、失敗した時の損失も大きい。しかし、だからこそ、ブルワーにとってはチャレンジしたくなるスタイルでもあり、アイディアと腕の見せどころに違いない。一方、ビールファンにとっては、完成までの長い時間の流れに思いをはせながらじっくりを味わうべき、アーティスティックな逸品と言えるのではないだろうか。

代表的銘柄

《木片および木樽熟成ビール》
  Crooked Stave Vieille(米国)

  栃木マイクロブルワリー・ひのき風呂(栃木県/IBC2021銅賞*)

《木片および木樽熟成ストロングビール》
  Firestone Walker Tequila Barrel Sunrise(米国)
  南信州ビール・IPA -Komagatake Cask Fermented-(長野県/JGBA2021銀賞**)
  ヤッホーブルーイング・バレルフカミダス(長野県)

《木片および木樽熟成ストロングスタウト》
  Founders KBS(米国)
  Surly Darkness Barrel-Aged 2021(米国)
  Belching Beaver All in Barrel Aged Imperial Stout(米国)
  Anglo Japanese Brewing・King Kong Knee Drop(長野県/IBC2021銀賞*)
  箕面ビール・Barrel Aged Imperial Stout 2021(大阪府)

《木片および木樽熟成サワービール》
  Oxbow Cletus(米国)
  Far Yeast Brewing・Off Trail Hops and Dreams(山梨県)

《フルーツ入り木片および木樽熟成サワービール》
  Almanac Barrel-Aged Peach Sournova(米国)
  Cascade Brewing Pear Therapy(米国)
  The Lost Abbey The Sacrament(米国)
  桷志田 木樽熟成ゆずサワー(鹿児島県/JGBA2021金賞**)


* IBC: International Beer Cup
** JGBA: Japan Great Beer Awards

木樽熟成ビールは大量生産には向いていないため、多くのブルワリーでは限定醸造品としてリリースされることが多い。また、年によってキャラクターが一定になるとも限らないため、ワインのように生産年を刻んで出荷されるものも少なくない。

お気に入りのブルワリーが木樽熟成ビールをリリースしたら、ぜひ2本入手してみてほしい。一つは買った時点で、もう一つは1年またはそれ以上経ってから味わってみよう。さらなるキャラクターの変化も楽しめるはずである。

冒頭でビールは生鮮食品と書いたが、あえて時間をかけてから楽しむビールもあるのだ。言わば、保存食品としてのビール。これもまた多様性という他ない。

さらに知りたい方に…

さて,このようなビアスタイルについてもっとよく知りたいという方には、拙訳の『コンプリート・ビア・コース:真のビア・ギークになるための12講』(楽工社)がオススメ。米国のジャーナリスト、ジョシュア・M・バーンステインの手による『The Complete Beer Course』の日本語版だ。80を超えるビアスタイルについてその歴史や特徴が多彩な図版とともに紹介されている他、ちょっとマニアックなトリビアも散りばめられている。300ページを超える大著ながら、オールカラーで読みやすく、ビール片手にゆっくりとページをめくるのは素晴らしい体験となることだろう。1回か2回飲みに行くくらいのコストで一生モノの知識が手に入ること間違いなしだ。(本記事のビール写真も同書からの転載である。)

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