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選挙ビラでの「代筆」の問題点? 湖南市政治倫理審査会にかかる案件について

※勢いで書きました。あとで修正したり消したりするかもです。

1月28日の湖南市の政治倫理審査会を傍聴してきました。これは、昨年市議からなされた調査請求にかかるもので、対象は森淳議員と大島正秀議員の行為となっております。請求者は、以下の議員です。

赤祖父裕美議員、細川ゆかり議員、副田悦子議員、川波忠臣議員、松井圭子議員、中土翔太議員、柴田栄一議員

情報公開請求で得た調査請求書は以下のようなものです。請求者の自筆部分は隠してあります。

このうち森議員の、いわゆる「なりすまし」問題について、思うことがあり、以下で記します。

どんな「問題」?

この「問題」は、2021年の市議選で、森氏が配布した選挙ビラに、生田邦夫市長の写真・推薦文・署名が掲載されていたものの、この内容について市長は確認していなかった、という「問題」です。要するに森氏が、生田氏の推薦文を「代筆」した、というわけです。

このビラの該当部分は次のようなものです。

(これは新聞にも掲載されたものなので、報道・研究目的で、ここでも引用可能だと理解しています。)

新聞報道によると、森氏の説明は、「事前に生田氏に、推薦文を得たい旨を伝え、推薦文を代筆し、それを生田氏に見せて了承を得たと考えた」という趣旨のものです。生田氏は、「推薦文の内容は覚えていない」「必要なら私を使ってほしいと、市議全員に伝えていた。内容をよく確認せず、誇張された表現として市民へのメッセージになってしまった。選挙に関わることで責任があり、反省している」と述べたそうです。(京都新聞、中日新聞による)

「別に問題ないのでは?」という見解も

これに対して、次のような意見がありそうです。

「いや、市長って忙しいでしょうに。重要な役職の人が自分で書いていなくても、代筆されたものを了承して本人が書いたことにするのは、よくあることだし、別によいのでは?」

実際、産経新聞の記事の論調はそのようなものでしたし、1月28日の政倫審の中でも、委員から、これに近い考えが示されていました。

ルールにもとづく責任の分散化

これについて、私の考えは次のようなものなのです。

例えば、市役所内で事務職員が、市長名で文書を作成して発する、ということは通常業務として行われているようです。

この場合、市長というのは機関名なのです。市役所内には、事務分掌のルールがありまして。「誰・どの部署が何をしてよいか」がルールとして存在し、それに応じた責任の体系が組まれています。また、それに対応して、場合によっては市長は懲戒権限を行使できます。

政治的な責任の所在

これに対して、市長と市議候補との間には、普通、特段にこうしたルールはありません。

事務の分掌というようなルールがない領域で、政治的なメッセージを発する際に、市長が代筆を許して確認しないなら、つまり「白紙委任」してしまうなら、どうなるでしょうか。その内容に誰が責任を持つのかわからなくなります。

選挙でのメッセージでそれが生じるなら、有権者が騙されうることになります。

それだけではなく、市長名の、(事務分掌によらない)政治的なメッセージのすべてが疑わしいと解されていくでしょう。そうすると、例えば、市長が政治家として「この件は国に強く要望する」という文書を出しても、それは相手にされなくなりうる、ということです。だって誰かが勝手に書いただけかもしれないですから。

要するに、政治的な責任があいまいになり、それは他者を欺き、信頼を損ね、自治体として政治的な力を落とすことになるでしょう。

例:私が次のような選挙ビラをつくったら?

架空のものですが例を挙げます。生田氏の説明のとおりなら、私が市議であった場合、市議選で以下のようなビラを作成し、配布できてしまいます。○○さんという市長がいると仮定しています。

ここで、次の赤字の部分のように、政治家としての市長の方針を書くことができてしまいます。

この部分の言明に誰が責任を負うでしょうか。。

もし市長がこれに責任を負うのであれば、市議選のビラで市長に「命令」ができることになってしまいます。

他方で、市長がこれに責任を負わないのであれば、この言明を信じた有権者は全くの裏切りだと感じるでしょう。虚偽の情報にもとづいて選挙が実施されたということになります。

これが、政治的な責任があいまいになるということです。

私は、これは好ましくない、と思います。

「誰」の政治倫理の問題か?

今般の政治倫理審査会では、森氏の行為に対して調査請求がかかっております。

しかし私の考えでは生田氏の「政治的メッセージの白紙委任」という行為も、審査に値すると思われるのです。

森氏・生田氏の説明が事実なら、森氏は一応本人の了承を得ていると考えたことになります。これに対して、生田氏が内容を確認せずに了承してしまったことは、ルールによらずに政治的な責任を曖昧化してしまい、有権者や関係するアクターとの信頼関係を毀損しうる行為だと思われます。

1月28日の政倫審では、生田氏には聴取をしなくてよいという話になっていました。これは、森氏の行為が調査対象であり、また、生田氏はすでに別の場で反省の意を示している、ということが理由となっているようです。

私は、生田氏の「白紙委任」について、政治倫理審査会がどういう見解を示すのかの方に、興味がありましたが、それは実現しないようで、残念です。生田氏の行為に調査請求がかからなかったのが、やや不可解でもあります。

まとめ

政治家が、ルールにもとづく事務分掌と関係のないところで、政治的な言動の「白紙委任」をしてしまうと、政治的な責任が曖昧化し、それは他者を欺き、信頼を損ねることになりえます。またその政治体(自治体など)の力を落とすことにつながりうるものです。こうした観点から、政治家の政治的メッセージの「白紙委任」は、好ましくない、と考えます。

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