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「家族ってなんなん?」問題を、「みんな違ってみんないい」論を超えて考えてみる。

先日宇多田ヒカルさんの「歌姫ってなんなん」というツイートが話題になりました。

それにならっていえば、わたくし、「家族ってなんなん」って、最近考えています。

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最近は「家族」をテーマにした記事やイベントがすごく増えた気がする。今週だけでも、僕が知る限り4つ、家族がテーマのイベントがあって、さながら2019年は「家族元年」の様相を呈してました(それは言い過ぎか)。

昨日もこんなイベントがあって、僕もちらっと参加してきました。

にじいろかぞく代表であり、同性パートナーと実子・継子の5人家族で暮らしている小野春さんの「法律上、家族は定義はない」という言葉が象徴的なように、ゲストのお三方の話を聞いていると、「家族ってなんなん」って考えさせられる、密度のみっちり詰まった濃密な2時間。お腹いっぱい(料理も美味しかった)。

「家族ってなんなん」という問いに対して、「100人100通り、みんな違ってみんないいのですよ」というのは簡単だし、そうだよなぁと思うのだけど、それだと議論がおしまいになってしまうので、ここは僕の専門である「ナラティブ」に引きつけて考えると、「家族とは物語である」といえるのかと思います。

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ナラティブ・アプローチでは(というかその根っこにある社会構成主義という考え方では)、わたしたちの外にものごとが客観的に存在しているのではなく、わたしたち自身が言葉を頼りに現実を認識し、自分の生きる世界を構成していると考えます。ややこしやですね。

めっちゃざっくり言ってしまえば、「世界はわたしたちが言葉を通じてつくりだす物語である」ということでしょうか。

その逆が本質主義で、「ものごとっていうのは時代が変わっても変化することのない,普遍的で絶対的なものだ」という考え方。

で、そう考えると最近の「家族」に関する議論の盛り上がりは、「家族ってこういうものだよね」っていう本質主義的な考え方から、「家族って、わたしたちが対話の中でつくっていくものだよね」っていう社会構成主義的な考え方に少しずつシフトしていっているということなのかなと思うのです。

その意味では、昨日のイベントのゲストである、法律婚に近い事実婚をされた編集者兼ジャーナリストの江口晋太朗さんがおこなったという「パートナーと契約書をつくる」ということは、まさに対話を通じて「家族」という物語をつくりあげていくプロセスなんだろうなと思います。僕も結婚したらやろうかな。

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「家族」に関するイベントや記事が増えてきたのは、「家族」のロールモデルがサザエさん一家や野原家だけじゃなく、多様になるのでとてもありがたいなぁと思っていて。

ただ、「みんな違ってみんないい」的なハラオチをしてしまうと、じゃあ自分が「家族」をつくる当事者になった時に、「あれ、あの人の同じようにしたのにうまくいかない!」ってなっちゃうかもしれません。

だからこそ、いろんな「家族」の事例に触れるだけじゃなく、対話をすることを通じて、自分たちなりの「家族」という物語をつくっていく。その終わりのないプロセスに、根気強く取り組んでいくことが大事なのだろうと思います。たいへんだけど。

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2/24(日)に、まさに「家族」についてみんなで対話することができるイベントを渋谷ヒカリエで開催します。ぜひご参加ください。



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山中 散歩/生き方編集者
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