【家族の生活史】火葬場で、「もっとできることはあったのかもしれないな」と、ちょっと思ったりはした。
本記事は、精神障害のある方を家族に持つ方の体験をもとに作成しています。ただし、これはあくまで個人の体験談であり、障害の症状や経験、周囲への影響、家族の関わり方は多様です。語り手の言葉には、個人の経験や感情に基づく表現が含まれており、必ずしも一般的な見解や医学的な事実を反映しているわけではありません。
本記事をお読みいただく際には、個々の状況や背景の違いを尊重する視点をもって受け止めていただければ幸いです。
母が統合失調症だったんですけど、ちょっと様子がおかしくなってるのを小学生の時に見ていたこともあって。中高大と、母に恐怖心を持っていました。
今になってみて、これからパートナーとの関係性をどうしようかと考えるときに、もともとの自分の家族の経験があるから、「ああなっちゃったらどうしよう」と。
女性だったら、「産む/産まない」みたいなことを考えるタイミングがあると思うんですけど、「母」っていうものに、自分の中で引っかかるものがあるなって。なってしまったら戻れないし。「自分の母と同じようになったら嫌だな」っていう感覚を、なんとなく持っています。
-- いまは結婚はされておらず、今後どうしようかなと考えてらっしゃる、という状況ですか?
はい。私は、事実婚でいいんじゃないのかなとは思っているんですけど。でも、「今のパートナーは法律婚をしたいんだろうな」っていう印象があります。私が住んでいる場所で、パートナーシップ宣誓制度があるので、そういうものを使ってもいいんじゃないのかなとは思っているんですけど。
でも、もしかしたら相手は「法律婚で」っていう気持ちがあるかもしれないので、話し合いとか、いろんなことに時間がかかりそうだなとは思っています。もしかしたらお別れしなきゃいけないかもしれないし。
あんまり自分の考えが凝り固まりすぎてると、一緒にいれないこともある。それって他の相手ともそういうことが起こるかもなと思うと、むずかしいですね。
-- 他の人っていうのは、例えば、相手が変わっても…
相手が変わっても、私の考え方が変わってないと思うので。名前を変えないとか、事実婚でいたいとか、子どもは産まないとか。そういったことをよしとしてくれる方と出会えるかどうかも、ちょっとわからない。
今いる方とはずっといたいなとは思ってるので、できれば話し合いをしていく必要があるなとは思うんですけど。でも、それでむずかしかったら、「それぞれの人生を生きたほうがいいね」ってなるんだろうなと思ってます。
-- ちょっと話が戻ってしまうんですが、お母さんはもともと産後うつだったと。
はい。母は精神障害の障害者手帳を持っていたんですけど、その更新の手続きを私がした時があって。診断書をあらためて見たときに、産後うつの話だったりとか、定期的に通院してたことが書いてあったんです。
その事実にショックを受けて。産後うつになって、最終的に重度の精神障害になったと知ったときに、「私を産まなかったほうがよかったんじゃない?」って思っちゃったんですよね。
それから、なおさら結婚は怖いと思うようになりました。もしかしたら相手から拒絶されるかもしれないから、自分の家族の話を相手にすることも怖いし。あと、出産をすることで産後うつになって、どんどん悪くなるっていう状態を見ていたので。
それを家族で支え合えたかっていうと、そういうことは難しくて。私はそれを目の前で見て、拒絶したというか。怖くなって、家の中で全然会話しなくなりました。
父は病院に一緒に行ったり、いろんなことはしてたんですけど、途中から、病院に行きたくなくなっちゃったりしてて。母がおかしなことを言っちゃったりとか、電話を何回もかけてくるのがストレスになってきてたから、避けるようになってきてた。
そこで「みんなで支え合って、頑張ってなおしていこうな」っていう感じだったら、もしかしたら(母親の状態が)良くなった可能性もあると思うんですけど。そのときの私たちには難しくて。
自分が母と同じように産後うつになるとか、産後じゃなくてもうつになるかもしれない。そう思うと、ちょっと出産に踏み込むのはむずかしいよな、って思ったりします。
-- 話せる範囲で聞きたいんですが、具体的にお母さんはどのような状態だったんですか?
はっきり「もう無理かも」って思ってしまった出来事は、母の妄想で、隣の家の人とうちの父が浮気してると思いこんで、隣の家に文句を言いに行っちゃったんですよね。それを父が止めに行ってた。
あとは、目の前で「もう死にたい」って言って、包丁を出してきて、それを父が止めてた。その日の晩がいちばん状態がよくなかったので、次の日に病院に連れていって、すぐ入院してもらって。
面会に行ったときも、母の怒りが強くて、父に対して、めちゃくちゃいろんなことを言って、暴れそうになってて、「これはまずいね」と病院の方が病棟の裏口から私たちを出ていかせてくれる、みたいなことがあったんです。
目の前で包丁を振り回したり、隣の家に行っちゃったりっていう光景が、自分のなかで焼き付いている気がしますね。「自分はそうはならないだろうな」とは思いつつも、可能性として、なくはないかもしれないと思うと、ちょっと怖い。
-- それで、Uさんが27歳のときにお母さんが…
そうですね。母は精神病院に入院してたんですけど。出血があって、総合病院に転院したんです。そのときに癌だってことがわかって、そのまま入院してたんですけど、3ヶ月くらいで亡くなって。亡くなったときは、私は離れて住んでいて、父が病院に行ってたんですけど、私は癌だっていうことも知らなくて。父は、母が癌だっていうことを私に黙ってたんです。
それで、母が死にそうな時に、私に連絡をしてきて。「実は癌だったんだよね。もうちょっとまずい状態だから来て」みたいな。結局、母が亡くなった後に、私が病院について。連絡を受けた日に亡くなったんです。
あとでちゃんと話を聞いたら、私は母は退院してると思ってたんですけど、退院はしてなくて。肺炎になって免疫力が落ちてたから、そのまま入院をして、そしたら腸閉塞と肺炎をこじらせて……みたいな説明をそこで受けて。「それ、もっと早く言えばよかったのに」と思ったんです。亡くなった後に、いろんな話を聞いたから。
私が母にあまり触れたがらないっていうところもあったので、たぶん父が、面倒をかけないようになのか、余計な心配をかけないようになのか、言わなかった。
-- それは、Uさん的には言ってほしかった?
言っても治らなかったとは思うし、会いには行かなかったかもしれないんですけど。火葬場で、「もっとできることはあったのかもしれないな」と、ちょっと思ったりはしました。結局ずっと拒絶はしてたけど、もしかしたらなにかできることがあったかもしれないって。
小さい頃は母のことが好きだったんですけど、怖い部分だったり、嫌な部分を見て、拒絶してるところがあったから。ちゃんと向き合えなくて、ずっと逃げてたんでしょうね。今話しながら、そうだったかもなって思いました。
--「何かできることが」っていうのは、その病気に対してっていうよりも、関係性にたいして?
はい。もしかしたら、できることがあったかもしれない。ちゃんと向き合って、コミュニケーションが取れてたら、もしかしたら、母の状態が良くなってた可能性もあるのかな、とか。
結局、いろんなことがうまくいかなくなった結果、統合失調症になったり、体の病気になったのかもしれないとも思うし。いろんなことが連鎖してたのかなって、なんとなく思っちゃいますね。ちょっと難しいです。今となってはわからないので。
こういった事例の方がいらっしゃるのかはわからないんですけど、たとえば母が精神病だったから「母になるのが怖い」とか、「家族がわからない」っていう方が他にもいらっしゃったら、その方はどういうふうに向き合ってたのかは、すごく気になりますね。私はわからなくて、ずっと避けてたので。
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