「クィア・アイ in Japan」を観て、僕は泣きながらほめ方を反省した。
「ほめるBar」をやってると、ほめ方を教えてほしいとよく言われる。
「ほめるBar」ってなんやねん! という方のために補足すると、「ほめるBar」は、自分のことを好きになれない人が「ほめる人」に話を聞いてもらい、あなたの素敵なところを一緒に見つけることで、自分のことをちょっと好きになるという企画である。
「ほめるBar」をやっていて気づいたのだけど、世の中には「ほめられたい」という方がいる一方で、「ほめたい」という方もたくさんいるらしい。「ほめるBar」には、「上手なほめ方を教えてほしい!」という方がたくさんくるのだ。
「上手なほめ方」…。正直僕も教えてほしい。
今でこそそれなりに、どんな方が来てもほめることができるような「型」のようなものができあがりつつあるといえば、たしかにそうなのだけども。
けれど、所詮はほめることに関してはアマチュアなのだ。
以前、目の前の人をどうほめようか迷いに迷った挙句、「えー……好きです!」と、初対面の方に謎の告白をしてしまい、「……いや、山中さん。それはほめじゃないでしょ」と諭されたこともある。あれは「やっちまった感」があって、今でも思い出すとそこそこ恥ずかしい。
「上手にほめるヒント」は、僕らに聞くよりよっぽど「クィア・アイ」をみた方が得ることができると思う。
「クィア・アイ」は、それぞれが専門分野のエキスパートであるゲイの5人組「ファブ5」が、一般人に会いに行き、彼らを変身させるというリアリティーショー。2019年にはスペシャルシーズンが日本を舞台に制作され、Netflixで公開されて話題になっている。
ちなみに僕は、昨日夕飯を食べながら「クィア・アイ in Japan」を観て、不覚にも泣いてしまった。しかも冒頭3分で。食べていたうどんも心なしかしょっぱくなってしまった。
「ファブ5」と出会うまで、自分のことを好きじゃなかった方が、5人と接するなかでみるみる表情が明るくなり、自分のことを好きになっていく。その姿に触れて、観ているこちらまで自分のことを好きになれるような気がしてくる。
なにしろ「ファブ5」の立ち居振る舞いからは、「心から目の前の人の存在を肯定している」という心持ちが溢れ出ている。そばにいて、まっすぐ目を見据えて、ときには手を優しく握りながら「あなたは素敵なの!」と諭すそのまなざしからは、「目の前の人が素敵な存在であることを本気で信じている」ということが伝わってくるのだ。もう、ビンビンに。
「クィア・アイ in Japan」を観て泣きながら、僕は少し反省した。ほめるBarをやるなかで、どうしたら相手を上手にほめられるだろうと、テクニックに走ろうとしていなかったか、と。
テクニックじゃないのだ、ほめは。「ファブ5」から伝わるのは、テクニックよりもまず、全身で相手の存在を肯定するということ。小手先のテクニックより「目の前の人が素敵な存在であることを本気で信じる」っていう心持ちのほうが、ずっと相手を肯定することができる。
だって、目の前の人がいくら美辞麗句をつかってほめてくれても、本気で自分のことを素敵だと思っていなかったら、伝わるじゃないですか。気持ちのこもってないほめ言葉は、逆に相手の感情を損なうこともある。
だから、心の中に「ファブ5」を。そしたら、僕らは少しほめ上手になれるかもしれない。
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