「ほめるBar」をやるなかで気づいた「ほめる」の3階層
「ほめるBar」の取り組みも、だんだんと知られるようになってきて、「やってくれませんか?」っていうお声がけもいただくようになってきました。
(ほめるBarってなんだ? って方はこちらのnoteをどうぞ)
先日「ほめる遠征」したのは、北陸は山中温泉。様々な生き方を実践するゲストを迎え、多様な生き方について考えるトーク&交流イベント「生き方見本市HOKURIKU」が行われている舞台です。
今回、この「生き方見本市HOKURIKU」のスタッフである緒方 康浩さん、篠崎 健治さんに「きてー!」と声をかけてもらい、生き方見本市のアフターコンテンツとして「ほめ方見本市」を開催させていただきました。
(余談ですが、小学校の時から地図帳を見て「山中温泉って場所があるんだ!いつか行きたい!」と思っていたので、20年来の悲願がかなったのでした。ほめてみるものですなぁ!)
夜9時くらいから、旅館「お花見久兵衛」を舞台に飲んだり食べたりしながら講義&ワークを行うということで、「これはみんな酔っ払ってワークどころじゃないんでは?」と心配していましたが、それは杞憂に終わりまして。30人くらいの方が、がっつりほめあいました。
今日はその内容を少し、特に「ほめるの3階層」についてご紹介します。
いい「ほめる」とは
まずお話したのは、いい「ほめ」とは何かということ。ただ「ほめる」と言っても、やり方によっては相手を傷つけたり、よくない影響を及ぼすこともあります。
なので、相手にとっても自分にとってもポジティブな影響を与える「ほめ」を意識したいところ。そこで参考になるのが「ジョハリの窓」という考え方の枠組みです。
この「ジョハリの窓」でいうところの「開放の窓」、つまり自分が知っていて、かつ他人も知っている部分を、対話を通して広げていくことに繋がるのがいい「ほめ」じゃないか、と僕は思っています。
端的にいえば、「それまで気づいていなかった自分の素敵なところに、対話を通して気づくことができ、自分を好きになることできる」のが、いい「ほめ」なんだろう、ということです。
「ほめる」の3階層
そうしたいい「ほめ」を実践するためには、3つの階層を意識する必要があると思っています。それは、下から「人間観」「態度」「方法」です。
誰かをほめようと思うと、つい方法を知りたくなってしまうのですが、それ以前に「ほめる」の根底にある「人間観」や、「態度」をしっかり意識することが大事だと思うのです。
「ほめる人間観」については、以前noteに書きましたが、「人は一人ひとりが、かけがえのない、価値ある存在である」と心から信じること。そうした人間観を持つと、それは相手にまなざしや言動、雰囲気などを通して伝わります。
どんなとってつけたような言葉より、そうした人間観を持っていること相手の自己肯定感を上げるのです。そのあたりは「クィア・アイ」を観るとすんごくわかります。
ほめる態度については、さしあたり次の3つかなと。
・相手の考えや意見を尊重する(否定をしない)。
・身体を耳にして、全身で傾聴する。
・自分自身の心や状態に気づいている。
最初の2つはわかりやすいですね。「でもこうでしょ?」「それは違うよ」などと言わない。あいづちをうったり、しっかり相手を見たりしながら全身で聴く。
3つめは難しいのですが、ほめていると「自分を良く見せよう」とか、「相手より上に立ってやろう」とかいう気持ちが湧いてくることもあります。そうした気持ちや考えがあると、話を聴いて分からないことがあるのに「ウンウン」と聞き流してしまうことも。
でもそうではなく、「良く見せよう」「上に立ってやろう」という気持ちに気づいたたうえで、「すみません、今の言葉についてもう少し説明してもらえますか?」と聞き返すなど、真摯に相手と向き合う態度が大切です。(真摯でない態度は、相手は敏感に気づくんですよね。)
こうした「人間観」「態度」があって、はじめて具体的な方法が活きてくる。ほめる方法については、以前noteにまとめました。
「ほめるBar」をやるにあたっては、こうした「人間観」「態度」「方法」を意識しながら僕は取り組んでいます。
ほめることに関しては確立された方法論があるわけでもないので、常にこうした考え方や方法はブラッシュアップしていこうと思っていますし、「ほめるBar」だけでなく、そうした考え方や方法についてのワークショップや研修も、ありがたいことに機会をいただくことが増えてきました。
今後も、「ほめるBar」やワークショップなどを通じて「ほめる」ことを文化にしていく取り組みを続けていきたいと思います。なにかご一緒させていただけることがあれば、ぜひご連絡ください。(あと、誰か僕のこともほめてくれたらめちゃくちゃ喜びます。)
サポートがきましたって通知、ドキドキします。