村上春樹さんの「壁と卵」のスピーチから考える、「その仕事、誰のためにやっとんねん!」問題
その仕事、誰のためにやっとんねん!
と、自分につっこみたくなる時があります。そのさきに誰かの顔が想像できる仕事には、魂がこめられる。逆に想像できない仕事には魂がこもらない。
そんな感じ、わかりませんか?
なんだけど、日々の作業に忙殺されると、つい「誰のためにやっとんねん!」状態になってしまうんですよね。人間だもの。
「壁と卵」とは
そんな時、いつも思い出して勇気付けられるのが、村上春樹さんがエルサレム賞授賞式で行った、「壁と卵」のスピーチです。
その中でも、パンチラインが次の文章。
高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ。しかも、たとえ壁がどんなに正しくて、卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つのです。
ここでいう「壁」と「卵」とはなにか。
村上春樹さんは、当時のガザ地区の状況もふまえて、
「ある場合においては、それはあまりに単純で明白です。爆撃機、戦車、ロケット砲、白リン弾が、その高く堅い壁です。卵は、それによって、蹂躙され、焼かれ、撃たれる非武装市民です」
といいつつ、「これで全てというわけではありません」と続けます。
こんなふうに考えてみてください。私たちのそれぞれが、多かれ少なかれ、1個の卵なのだと。
私たちのそれぞれは、脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂です。これは、私にとっても当てはまりますし、皆さん方のそれぞれにとってもあてはまります。
そして、私たちそれぞれは、程度の差こそあれ、高く堅い壁に直面しているのです。壁には名前があります。「システム」です。
システムは、私たちを守るべきものです。しかし、時には、それ自身が生命を帯び、私たちを殺し、私たちに他者を殺させることがあります。冷たく、効率的に、システマティックに。
ユニークでかけがえのない魂としての「わたしたち=卵」と、そんな「わたしたち」を守るはずであり、しかし時には殺し、殺させるものともなる「システム=壁」。
こうした区別をふまえると、「卵がどんなに間違っていようとも、私は卵の側に立つ」という言葉の輪郭がみえてきます。
「壁=システム」のために働いていないか
日々仕事をしていて、「誰のためにやっとんねん!」と思うとき、よくよく考えてみるとその仕事は「システムが持続するため」のものだったりします。
持続可能性が声高に叫ばれていますし、システムが持続することはそれ自体悪いことじゃありません。僕らを守るためのシステムであれば、それは持続した方がいい。
でも、時には僕らや誰かを損なうシステムの存続のために、仕事をしてしまっていないか、と思う時もあるのです。
例えば、僕が関わっている人材業界でいえば、人材市場というシステムに労働力を供給するために働いている、という状況ことが起こり得ます。
でも、見田宗介さんが『まなざしの地獄』で喝破したように、その「労働力」と呼んでいる存在は、「脆い殻の中に閉じ込められた、ユニークでかけがえのない魂」、つまり「卵」なのです。
そのシステムとしての労働市場(壁)にぶつかり、卵としての個人が割れてしまいそうになるような状況は、あちこちで起きています。
そうした状況のなかで、キャリアを支援する立場にいる僕は、「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立」っていたいと、強く思うのです。
そして、村上春樹さんが小説という形の物語を立ち上げることでその「壁」に対抗しているように、「物語」に「壁」と立ち向かうヒントがある気がしています。その辺りはまたいつか。
卵に寄り添うためには、タフであれ
「高く、堅い壁と、それに当たって砕ける卵があれば、私は常に卵の側に立つ」って、生半可なことじゃないんですよね。まず、自分が壁にぶつかって砕けてしまってはいけない。
その点、僕はまだしょっちゅう砕けそうになってるので、タフにならんとなぁ、と思っています。具体的には、物語(ナラティブ)が生まれる場をつくる力を磨くこと、心身ともに健康であること。
そんなわけで、今日もモリッと頑張りましょう。
*******
ソーシャルグッドなお仕事情報をお届けする「グリーンズ 求人」、LINE@をはじめました! 公式LINE@を友達に追加すれば、ソーシャルデザインに関する求人情報や求人に関するイベント情報が直接手元に届きます。
ソーシャルな仕事に関心がある方は、以下のページからぜひご登録を◎