【家族の生活史】子どもが生まれてから、父を探したんですよね。「自分のことを愛してるか」を、どうしても聞きたくて。
家族の生活史は、「家族」をテーマに生活史的な方法で話を聞き、まとめたものです。プライバシーの観点から、内容を一部変更している場合もあります。
永遠のテーマですよね、私にとって家族って。
なんか、「与えられるはずのものが与えられなかった」って気持ちがあるので。今思えば多分、物心ついたときから普通ではなかった。当時はそれが普通だったんですけど。
たとえば私は、両親が離婚して、物心ついた時から父がいなかったんですけど、「普通だったらどうだったんだろう」とか。ふとしたきっかけがあったときに、思ってしまうんですよね。「隣の芝生は青い」というか。「もしも」で仮定して、頭が勝手に暴走してしまうことがあります。
−−家族はどういう関係だったんですか?
まず、父は幼稚園のときに浮気相手の家に引っ越して、もういなくて。お母さんは、父の両親の家で暮らしてたんですよ。だから、お母さんが1番つらかったと思うんですけど。
−−父親は出て行ったけど、義両親の家でお母さんが住んでた?
そうです。で、私はおじいちゃんおばあちゃんに可愛がってもらってたんです。でも、母は結構つらくあたられてたみたいで。父の職場は母や祖父母はわかっていたので、父方の祖父母は父を無理に連れ戻さなかったんだと思います。母はひたすら父が戻るのを待っていました。
そういう環境にいたんですけど、父がもう帰ってこないっていうことで、母は父に見切りをつけて離婚して。東京の母の実家に帰ってきたんですよ。私が9歳のときかな。
そこからはけっこう厳しい環境でしたね。両親はかけ落ちで結婚してたんで。母方のおばあちゃんは(母を)許せなかったんですよね、多分。
私、弟がいるんですけど。癇癪持ちだったので、悪いことをするとおばあちゃんとおじいちゃんに押さえつけられて、手にお線香をあてられる。私はそれを見てなきゃいけなくて。
−−ああ。
それが普通だったんです。誰も助けてくれなかった。
私が結婚して家を出て、子どもを持ったときに、私に不具合が起こった。その原因をたどっていくと、どうやら、虐待っていうものがあると。私の、生まれたときに与えられた家族の話はそこまで。
で、今は、自分で選んだ家族と一緒にいるんですけど、これも、あんまりうまくいってる状態ではなくって。いや、うまくいってる状態ではないっていうわけではないんですけど。やっぱり、なんだろうな…
私が21歳、旦那さんが19歳で結婚したんですね。子どももすぐ生まれて、お互いにストレスをぶつける相手がお互いしかいなくて、どなったりとか、手が出たりとかっていうのがあって。で、シェルターに逃げたんですよね。でも、結局戻ってきたんですけど。今も「家族ではいよう」って思って、共に暮らしています。
−−いまおっしゃった「家族」って、どういう意味あいなのですか?
共に生活をして…共に悩みを話し…同じ釜の飯を食べ…まぁ、終着点に向かって歩く。ただ、「夫婦」とは私はちがうかな、と思っていますね。
家族になにかピンチになるようなことが起きたときに、助けに行く覚悟があるというか。子どもはもう自立してるので、彼は彼なんですけど。やっぱり子どもになにかあったときには一丸となって助ける相手が、旦那さんっていう存在ですね。
−−それと夫婦っていうのは、ちょっと違う?
違うと思います。うまく自分でも咀嚼をできてないんですけど…うーん……私、記憶をなくしてるんですよね。一時期の。旦那さんと結婚したときの記憶が抜けてるんです。
私、解離性障害っていうのがあって。自分を守るために、一部の記憶がなくなるっていうものらしいんですけど、それだったみたいで。でも、私は覚えてないんですよ。「記憶をなくした」っていう感覚もなくて、ただ、周りが「おかしい」と。
で、病院に行ったら、先生が「解離性健忘(註:心的外傷や強いストレスによって、重要な情報が思い出せなくなる記憶障害)だ」っていう診断がくだって。本人は別に、苦労したっていう感覚はないんです。
今でも、どこからどこまで(状態が)戻ったかっていうのは、あんまり(わからない)。なくした感覚がないから、戻った感覚もあまりない。ただ、ひどいときはぼーっとするというか、自分が自分じゃないような感覚がずっとありましたね。
だから、記憶をなくした原因の相手を愛せるかというと……。
−−ああ……
そしたら、夫婦っていうのは、「愛」みたいなものがあるっていうような感覚が?
イメージですね。でも、それもわからないんです。愛し合ってる親の姿を見なかったので。私にとっては、愛は漫画やテレビや映画の中のお話。
−−漫画とかテレビとかで、夫婦は愛しあってるイメージがあるけど、ご自身はそういう感じじゃない?
昔はたしかにそうだったんだと思うんですけど。うーん…なんていうんでしょうね。試されてる気がします。試練的な。
−−試されてる?
変な話していいですか?(笑)別に宗教じゃないんですけど。
神様が人生に、なにか課題を与えてるんだとしたら、私にとっては、「孤独」や「愛」がテーマなんだと思うんですよね。だから、死ぬ間際に答えを出さなきゃいけない、課題のひとつのような気がして。
−−神様から、孤独や愛について、試されてるみたいな。
そんな感じがします。ふふふ。わかんないですけど。それが課題なんだとしたら、向き合っていかなきゃいけない気がします。
−−じゃあ、これまでも孤独とか愛っていうテーマと向き合ってきた?
そう思います。うん、ずっと。
私、子どもが生まれてから、父を探したんですよね。戸籍をたどって。「自分のことを愛してるか」っていうのをどうしても聞きたくて。
そしたら、父にはそのときには3番目の奥さんがいて。父は「合わせる顔がない」って言ったけど、その奥さんが「会ってあげてほしい」って言ってくれて。
割と父とは今、良好な関係なんです。だけど、母とは会えてなくて。私は会いたいんですけど、会ってくれないっていう。
−−お子さんができたときに、父さんと会いたいと思ったのはなぜだったんですか?
私は子どものことをすごく愛しているので、「私はなんて思われてたんだろう?」って思ったんです。父との記憶が一切ないので。
−−そうか。それで、実際どういう会話があったんですか?
父は「自分が悪かった」ってすごく思っていて。母のことは一切悪く言わなかった。すごく、私のなかでは腑に落ちたというか。もちろん、「愛していた」っていう言葉も言ってくれたし。
私が結婚して記憶をなくしたとき、すごくつらかったんですよね。大変な状況だったんですけど。そんななかで、父は向き合ってくれた。私の主治医に話を聞いて支えてくれようとしてくれました。
−−お父さんと話すことによって、なにか変化はありましたか?
ありましたね。やっぱり、「ずっと守ってもらえる人が欲しかったんだな」って、すごく思いました。ものすごく大変だったので、記憶がないとき。「私が子どもを守る」って思っているのと同時に、「私も親に守られたい」って思ってた。
−−そうか。それに、その父親と話したときに気づけたと。その後、生きやすさみたいなものは変わっていきましたか?
私は今、絵を仕事にしてるんですけど、絵が私を救ってくれたっていうのと、犬の存在が大きかったかもしれない(笑)
−−へえー! それぞれ聞きたいですね。
絵は、結婚するためにそれまで描いたものを捨てたらしいんですよね。その当時の記憶はあまりないんですけど。ゲーム会社に就職が決まってたけど、なんか(そのときに絵を描くのを)辞めたとかって、親が言ってましたね。
−−なるほど。それで、その絵が救ってくれたっていうのは…
私の、なんだろう……「言語だ」って思いました。うまく言えないことを、絵は出してくれる。自分の心を放出する手段。言葉が話せない人は、筆談だったり、手話だったりするかもしれないけど、私には絵なんだって思ったんです。
私、出版社や企業に依頼されて絵を描くイラストレーターと、自分で絵を描いて販売する作家をやってるんですけど、私の絵を好きで買ってくれる人もやっぱりいてくれて。その人が、「すごく優しいけど、どこか孤独を感じる」って言ってくれたんです。「温かくて、寂しくて、涙が出る」って。
そのときに、その人の心を通して、私の心がわかったっていうか。「そうなのか、私はこういうものを求めてるんだ」って。
−−こういうものっていうのは…
愛とか、優しさとか。そういうものが欲しいんじゃないかって。「ほしいほしい」って思いながら描いてるんじゃないかな、それが出ちゃってるんじゃないかなと(笑)
−−そうか。あと、犬の話も聞きたいです。
はい。出会ってしまったんですよね。(結婚して子どもができたあと、子どもを連れて家からシェルターに)逃げてしまって、子どもにもだいぶつらい思いさせてしまったので、犬を飼ったんですよね。コーギーを。そしたら、その子がすごく大人しくて、優しくて。
私、一時期、こたつに潜って朝から晩まですごす、「こたつむり期」があったんです。
−−こたつむり?
あの、かたつむりみたいに、こたつに…(笑)
−−あー、それで「こたつむり」ですね(笑)
はい。なんか、朝から晩までそれしかできないっていう時期があったんですけど、そんなときにも犬は、朝から晩まで私のすぐそばにいて、お尻くっつけて寝てくれる。
「私、今までこれほど誰かに救われたことなかった」って思って。毎日、私が涙を流しながら、生きるためにリストカットしてたときも、怒るでもなく、さわぐでもなく、そばにいてくれた。それが、なんかこう、救われたなって。
−−生きるためにリストカットをしていた。それはいつのことですか?
結婚してからですね。昔のことが原因だってわかるちょっと前ぐらいから、たぶん始まって。「自分に価値がない」って思ってたので、「自分で自分のことを傷つけてやろう」って思ってたんですよね。生きるために。
で、先生に「切らない期間を長くしていきましょう」って言われたんです。今も終わってるのかどうなのかはわからないけれども。ここ10年ぐらい切ってないっていうのは、自分の中で誇れることです。
−−なるほど。ちなみに、犬を飼い始めた時期っていうのは…
シェルターから戻ってから少ししたときに。1番ひどいときにずっとそばにいてくれたのは犬なんです。
−−そういうことか。そのわんちゃんは、どういう存在なんですか?
なんですかね。私にとっては、相棒であり…なんだろう……。愛しい。ほんとに。私が愛することを学んだのは、その子からだって思ってます。だから、「子離れしなきゃ」とも思えたし。
−−「愛することを学べた」っていうのは?
無条件に愛を与えてくれたから。「これが愛だ」って思って、「私も子どもに対してそうしよう」って思いました。
−−そういうことか。それが「子離れしよう」っていうことと、どうつながるんですか?
「とにかく早く子どもから手を離さなければ」って思って。「私のようには絶対させない」って。
−−ご自身は、手を離されなかったみたいな感覚があった?
なにかにがんじがらめというか。反抗期もなかったので。子どもに反抗期が来たら、1人の人間としてちゃんと扱おうと思って。そういう気持ちを持てたのは、犬のおかげだと思ってます。
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