「ぼくは、日本人なんだ。」 とアメリカで気づいたイジメ
Be honest and raise your hand. Who doesn't like ○○?
正直に手を挙げて。○○のこと、好きじゃない人。
○○はぼくの名前です。
もう25年ほど前、1990年代半ばの話なので全て時効です。
夕ご飯を済ませて、宿題をしようとデスクに座った時、電話がなりました。
イスラエル人の友達からでした。
どうでもいいですが、当時携帯をまだ誰も持っていない時代なので、「電話」です。しかも無駄にデカイ。笑
(イスラエル人)「○○、ちょっと話したいことがある。」
I have something I want to tell you.
(ぼく)なに?
What is it?
学校の先生も一人の人間
わたしは、アメリカのとある町で学生生活を送っていました。
カレッジに進学してまだ1学期目。他の生徒は皆ネイティブの中、まだまだ授業に付いていくだけでヘトヘトになってしまう程度の英語力しかありませんでした。
その、"まだまだ英語力" を補うため、好きな時にだけ授業を受けられるスタイルの英語学校にも籍を置いていました。移民の方々がアメリカ社会に出る前にトレーニングを受けるようなイメージの学校です。
ぼくは週に3度、1回につき2時間ほどのクラスに通っていました。
先生の名前は、仮にカレンにしましょう。カレンは日本に住んだ経験もあり、先生だけあって世界、とりわけアジア情勢に興味津々の女性でした。
Karen was very energetic, entertaining, and always interested in knowing cultural differences. She lived in Japan before, so she was curios especially about relations between Japan and Asia.
韓国人、中国人、ベトナム人に日本人。中にはイランやウズベキスタンからの方もいました。生徒の半分くらいはアジア人だったと記憶しています。
ぼくに親切に電話をかけてきたイスラエル人も、同じクラスにいた生徒です。
会話の授業では、カレンが舵を取りながら、考え方の違いや、各国の文化の違いを比較して学び、ただ英会話の練習をするだけではない経験をたくさん得ることができました。
カレンの明るい性格もあり、クラスメートの距離は少しずつ縮まり、心を許すようになっていきました。
そうなっているように思っていました。
ぼくは。
I thought that everyone was getting closer.
事件はぼくがいない日に起こった。
これは90年代半ばにぼくに起こった話です。インターネットもまだ普及していなく、誰も携帯も持っておらず、人権問題への意識も薄い、そんな時代に起こったことです。大げさに聞こえるかも知れませんが、今よりもっともっと戦争のことをひきづっている時代だったんです。
ぼくがカレッジの課題に追われ、その日クラスに行くことができなかった。
(以下、イスラエル人より。)
アジア人の心の内側にまで自分の興味の手を伸ばしたかったカレンは、クラスで唯一の日本人であるぼくが、クラスでどのように思われているのか気になった。
カレンはその日、クラスみんなのためになる話題を持ちかけるのではなく、自分自身の興味を爆発させた。
そして、みんなに、聞いた。
Do you like ○○? Please raise your hand if you dislike ○○.
○○のこと、みんな好き?キラいだったら手を挙げてみて。
会話のクラスのネタに、人の好き嫌い、しかもその人がいない時に話題にすると言うのは、現代のアメリカ、いや世界中どこにいっても許されないこと。
カレンの常識メーターが一時的に壊れていたのかも知れません。
そして、
速攻で手を挙げた人たちがいました。
とある国籍の生徒が5人ほどいたのですが、その全員。
皆、女性です。(悲)
展開に疑問を感じた残りの生徒は、アクションを取らなかったそうです。
カレンはさらに、その学生たちがなぜぼくに特別な感情(恋愛ではなく 笑)を抱くのかまで深掘りしたそうです。
戦争のイメージとか、そういうことでしょう。
内容まで、ぼくは聞きたくありませんでした。
おおよそ察することができました。
そして学校に行けなくなった。
日本人って世界的には珍しいくらいのレベルで、 "人の目を気にする人種" です。
ぼくも例外にはなれず。
事情はどうあれ、ぼくはそのクラスに戻ることはできませんでした。
まだ若く、キズつきやすかったんですかね。笑
ぼくのことをキライと公言する複数の女子たちがいるクラス。(again 悲)
別に黙ってればいいことを根掘り葉掘りして、人種問題というかなり繊細な部分を会話のネタとして使う先生のクラス。
戻れませんでした。
"dislike" という言葉を初めて心で学びました。
外国に住んでいると、レベルに差はあれど、人種同士の何かしらの壁を感じることは必ずあります。
この事件から、ぼくは自分の内側とよく話をするようになりました。
I am Japanese.
「ぼくは日本人なんだ」