声を失くしたカナリア
「Rock’n’Roll」という衝撃
歌うことが好きだと感じたのはいつ頃だろう。はっきりとはしないが、それはおそらく中学生ごろだと記憶している。
中学3年生に学年が変わり新しいクラスメイトとどうやって関係を築こうかと模索している中、それまでゲームとファンタジーにしか興味のなかった少年に新しい友達が与えてくれたのが「Rock’n’Roll 」という衝撃だった。
それまでもテレビから流れてくる歌はそれなりに聴いていたし、兄の影響で少し大人の音楽も知ってはいた。けれどもその年の4月に最後のライブを行なっていたBOΦWYの音楽は、今まで聴いたどの音よりもオタク少年の心に深く突き刺さった。
その真っ赤な薔薇の棘のような、ナイフで深く鋭く切れた傷のような、それでいて痛みを伴わないRock’n’Rollの魔法は、それまでの自分の中の全てを根底からひっくり返すような衝撃で、その後の生き方に大きな影響を与え続けることになる。そして気がつけば人前で歌うようになっていた。
その後の音楽との関わりについてはまた別の機会に譲るとして、ここでは今の気持ちを書き留めておく。
歌う場所を失う
今年の2月、8年間所属したバンドから脱退した。理由はバンドでよくある音楽性の違いというやつで、自ら下した決断ではあるが、しかしそれは同時に歌う場所を失うということである。もうあのメンバーと一緒に音を出すことはない。そしてそれは、もう人前で歌うことをしないという決断でもあった。
新しいバンドを組むことは可能だが、また1から関係を構築しながらバンドが壊れないように気を使って...ということが難しいと思えた。せっかく新しくできたバンド仲間をまた失うのではないかと考えると、少し、いやかなり臆病になる。なのでバンドをもう一度という気持ちにはなれない。
もともとカラオケが好きではないこともあり、結果、人前で歌う機会は無くなる。となれば練習することもなくなるので、歌うのに必要な喉の筋肉などは衰えていく。腹筋も然り。脱退から半年以上が経過した今は声が全く出ない。
我慢してバンドを続け、歌い続けるという選択もあったかもしれない。しかし歌いたくもない歌を唄うストレスは半端ではなく、その歌詞に込められた想いやメッセージを届けようと自分なりに頑張ったことを否定されているような気分にもなった。オリジナルではなく、誰かの曲を借りての活動ではあったけれど、それでも伝えたい何かを大事にしていた。それが少ないながらも自分と関わってくれて、ライブに足を運んでくれた人への精一杯の感謝だと思っていた。この先は感謝を返したくても叶わないのだけれど。
声を失ったカナリアは役割を奪われ飛び立つこともない。目と耳と口を塞ぎ、膝を抱え、ただじっと時間が過ぎるのを待つだけなのかもしれない...。