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私小説ならしょうがない。。。 三浦哲郎「忍ぶ川」

三浦哲郎『忍ぶ川』について。

三浦哲郎は、1931年生まれの八戸市出身の作家です。劇団四季によってミュージカル化された児童文学『ユタとふしぎな仲間たち』でこの作者のことを知っている方も多いと思いますが、彼の代表作の多くは、実生活からの素材を再構成して書かれた私小説で、今回紹介する『忍ぶ川』もその一つです。

『忍ぶ川』は、第44回芥川龍之介賞を受賞しており、数ある受賞作の中でも根強い人気を誇る名作です。
作者自身が志乃と言う女性に出会い、結婚するまでが描かれているだけなのですが、登場人物みんなの好感度が高く、いい具合でキュンキュンする恋愛小説になっています。また日本語も美しく、ふとしたきっかけで再読したくなる唯一無二の魅力を持っています。

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ただ一つ欠点なのは、男性むけのファンタジーと言っても良いんじゃないかと言うくらい、彼女が主人公をどのように好きになっていくかがほとんど描かれていないところですね。フィクションなら、「そんなうまくいかへんでー。」と思うのですが、私小説(事実)なので文句は言えないですね。かなり美化しているのではないかと邪推してしまいます。

三浦哲郎は六人兄弟の三男として生まれますが、二人の兄は失踪、二人の姉は自殺しており、彼はその原因が家系に流れる血にあると考え、同じ血が流れる自分自身を監視するためにノートを書き留め始めます。そのような事もあり、彼の作品の多くは私小説になっているのだと思われます。彼の家系の話は『忍ぶ川』でも少し触れられていますが、長編『白夜を旅する人々』で詳しく描かれています。こちらも素晴らしい作品です。

音楽にも、私小説ならぬ“私音楽”のようなものはないかと考えたところ、ベルリオーズ『幻想交響曲』(失恋に絶望しアヘンを吸った芸術家の物語)が思い浮かびましたが、アヘンの影響による幻覚のような描写が多く、非常に個人的な作品なのですが、“私音楽”とは呼べないかな。。。とも思います。

音楽の表現は抽象的が故に、理性の道具とも言える言葉では表せないことを表現する事に適していると思います。それが故にすごく勿体ぶった、思わせぶりな事がテーマになった作品が少なくないように思います。(特にロマン派)
実際に、詩や文学と音楽を融合させた標題音楽である交響詩には、ギリシャ神話やシェイクスピア、ユゴーの詩などをテーマにしたものが多いように思います。

ところで、自作に一曲だけ“私音楽”と呼んでもいいんじゃないか!と言える作品があります。それは、10年ほど前の大学3年生の時に作曲した『Calling』と言うオーケストラのための作品なのですが、作曲当時の僕は上記のような思わせぶりな音楽が嫌でたまらなく、ものすごく個人的かつ、たわいのないことを音楽にしようと思いこの作品を書きました。
曲は、当時付き合っていた彼女(今の奥さん←これ重要)との電話での会話を描写した音楽になっています。

このような音楽を書くために、夜型から朝型に変えたり、運動したりと芸術家みたいなことはやらないようにしたことを思い出します。(今でもこの習慣は続いています。)
下に、当時書いたプログラムノートを掲載しましたので、是非お聴きください!

この曲は、一本の電話から始まる物語です。
音楽は、3つの部分に分かれており、最初の部分では電話が延々と鳴り続けます。
中間部では、男女が電話越しに会話を始めます。
最後の部分では、二人の会話が成り立たなくなってゆきます。
登場人物は、電話で会話している男性と女性。女性はぺちゃくちゃ喋ったり、わめいたり、ときどき泣いたり、男性は基本的に黙っています。会話を通して二人の感情が次第に交錯してゆきます。
ただそれだけなのですが、こういう日常(?)を芸術音楽として表現できたらいいなと思い、この曲を書きました。
具体的な感情や情景を音に変えてゆく作業は、骨が折れる作業でしたが、すごく楽しい時間でもありました。



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