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渕正信、著書「王道ブルース」を語る(後編) 「幻のモハメド・アリ対ジャンボ鶴田。その前哨戦に『アリ対渕正信』!?

渕正信インタビュー(後編)

幻の「モハメド・アリ対ジャンボ鶴田」
その前哨戦に「アリ対渕正信」!?

 渕正信の著書「王道ブルース」が好評だ。発売2週間で重版が決定し「ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんの本当の関係が分かった」「ジャンボ鶴田さんの実像が分かった」など、様々な反響を読んでいる。
 インタビューの後編では「王道ブルース」に書き切れなかった「幻のモハメド・アリ対ジャンボ鶴田の前に、アリ対渕正信」の話など、秘蔵エピソードが飛び出した!

「王道ブルース」を手にする渕正信さん。


――「王道ブルース」の中に「幻のモハメド・アリ対ジャンボ鶴田」の話が出てきますね。そんなことがあったのかと驚きました。
「そういう話を知っている人も少なくなってしまったんだよね。この本を書いた動機の一つには、馬場さんが亡くなった後、あることないこと言われることが多くなった。『馬場さんはこうだった、ああだった』といっても、馬場さんに直接聞いたと思えない話も多い。だから『俺が馬場さんから聞いたのはこうですよ』と残しておく必要もあるなと思った」

――なるほど。
「話を戻すと、本の中に『アリ対ジャンボ鶴田』という構想があったことを書いたけど、本に書いていない話として『渕とアリをやらせよう』という話があったんだよ」

――ええ! 渕さんがモハメド・アリと対戦!?
「そう(笑)。本に書いたように、1976年6月にアントニオ猪木さんがモハメド・アリと対戦する前年に、当時の日本レスリング協会の八田会長から馬場さんに『鶴田とアリをやらせてはどうか』という話が来た。その話は、馬場さんが『鶴田とはやらせられない』と断って消滅してしまった」

――そうでしたね。アメリカのプロモーターと親交の深い馬場さんが「アリ招聘のリスクを考慮して断ったのだろう」と渕さんはお書きになっていましたね。
「それで、これは後で鶴田さんから聞いた話だけど、八田会長からは『アリはプロレスが大好きでよくテレビで見ているけど、プロレスの試合をした経験はない。だから、鶴田とやる前に渕あたりと乱取り(スパーリング)をやらせたらどうだ』という提案があったというんだよ」

――ええー! もし『アリ対鶴田』が実現していたら、その前に『アリ対渕正信』があった。
「そう。『アリ対鶴田』が無くなったから、俺とアリのスパーリングの話も無くなったけど、あとで鶴田さんに『実は、俺とアリの試合が決まったら、その前にアリと渕でスパーリングをやらせよう、という話があったんだよ』と聞かされた時は、武者震いがしたよね(笑)」

――当時の「カリスマ」アリと渕さんがリングで対峙してた可能性があったんですね。でもアリ対鶴田が消滅して、渕さんはアリとは一度も会えずに。
「いや、実を言うとアリには一度会ったんだよ」
――えええ!


1976年6月、京王プラザホテルで
モハメド・アリに会う

「1976年6月にアリと猪木さんが試合をするんだけど、前座でイランのコシティの演武がおこなわれたんだよね。その前座に出場するメンバーの面倒を当時、全日本プロレスの道場でコーチをしていたコシロ・バジリ(のちのアイアン・シーク)が見ていた。それで、アリが来日した時、バジリが『コシティのメンバーに会いにホテルに行くから、渕も行くか?』って言い出したんだよ」

――それは行きますよね。
「うん(笑)。それで、バジリと一緒にアリの宿泊している京王プラザホテルに行ったんだよ。アリが滞在しているフロアには、アリ軍団(アリのセコンドや関係者)が大勢いて、もちろん部外者は立ち入り禁止。だけど、バジリは『俺はいいんだ』ってどんどん中に進んでいくものだから、俺も後ろに付いていって中に入ってしまった(笑)」

――立ち入り禁止なのに(笑)。
「そのうちバジリの姿を見失ってしまって。辺りを見回したら、ちょうどフレッド・ブラッシーがいてね」

――「銀髪鬼」ブラッシー。アリがセコンドとして連れてきていましたね。
「俺もプロレスファンだから、ブラッシーの奥さんが日本人で、北九州の小倉出身だと知っていた。だから、ブラッシーに挨拶して『私はジャイアント馬場の弟子で、奥さんと同じ郷里の出身です』と話したら、興味を示してくれて。そうしたら、向こうからアリがブラッシーを探して近づいてきたんだよ」

――アリが!!
「ブラッシーは『彼はババのボーイ(弟子)で…』と俺のことをアリに説明してくれて。そうしたらアリは俺の前に立つと、顔の前に手の平をパッと出してきたから、とっさに俺も手の平を合わせたらまったく手の大きさが同じだった。アリは『セイム、サイズ!』と言うと、ブラッシーを連れて行ってしまった」

――向かい合った時、どんな感じか覚えていますか?
「背は俺よりも少し大きくて、顔が小さくてね。とてもコンディションが良さそうだな、と思ったのを覚えているよ」

――当時の日本人で渕さんのように大きくて(183㎝)、体格のいい人も珍しいから、アリからすれば「何者だろう?」と思ったのでしょうね。ツーショットは撮れなかったんですか?
「ないんだよ。誰か周囲にいたら撮っておいてほしかったけど(苦笑)。『王道ブルース』の中に使ったカール・ゴッチさんとの写真は、東京スポーツのカメラマンが撮ってくれたものだけど、さすがにアリ軍団が大勢いる中に新聞社のカメラマンはいなかったよね」

――そうだったんですね。
「それからしばらく待っていたけど、バジリが全然戻ってこないから、1人で目白の合宿所に帰った。同部屋だった鶴田さんに『アリに会いました』と話したら『へえ~』って」

――貴重なエピソードですね。
「まだまだそういう話がたくさんあるから、まず『王道ブルース』を買って読んで貰って(笑)、ぜひ続編を出したいね」

注:このインタビュー後編がYahooニュースに掲載されると「アリとの試合なんてあるわけがない」「ファンタジーと受け取る」等々、否定的なコメントが多かった。
ちょっと待ってほしい。否定する前に「王道ブルース」を読むべきだろう。

当時の日本レスリング協会八田会長はどこから「アリ戦」の話を持ってきたのか。八田会長と馬場さん、鶴田さんとの関係性、そして鶴田さんと渕さんの関係性を「王道ブルース」を読んで理解すれば、この話が荒唐無稽な話ではないことが分かるはず。
「王道ブルース」を読みもせずに「そんなの、あるわけがない」と完全否定されるのは不本意だし、とても残念だった。


「王道ブルース」徳間書店刊


なぜか全日本プロレスに超大型が集まってくる。
いい試合をしているし、このまま盛り上げてほしい

――渕さんが現在の全日本プロレスに期待することは?
「これが不思議なことに、全日本プロレスには超大型レスラーが集まってくるんだよね。諏訪魔(188㎝、120kg)と石川修司(195㎝、130kg)を筆頭に、宮原健斗が186㎝、ジェイク・リーも192㎝あるんだよ」

――国内でこれほど大きなレスラーが集まっている団体はないですね。
「そうなんだよ。ジャイアント馬場さんが作った全日本プロレスの伝統は受け継がれていると思うし、レスラーの体格と体力でいえば、馬場さん、鶴田さん、スタン・ハンセン、ブルーザー・ブロディがしのぎを削った昔の状況に引けを取らない。試合を見ても頑張っていい試合をしているんだよ。『超大型レスラーが激突する大迫力の全日本プロレス』に対してファンの期待も大きいしね。またジュニアヘビー級の選手たちも頑張っていい試合をしているから。コロナの影響を受けてプロレス界も大変だけど、現在のようないい試合を続けて、もっともっと盛り上げていってほしいね」

――最後に「バトル・ニュース」読者に向けたメッセージをお願いします。
「『王道ブルース』という自分の半生記を出せたことがとても嬉しいよね。初めてこうやって本として残るものを書いて、俺もとうとう本を出せる身分になったのかと(笑)。初めて明かした話や、プロレス界では定説になっていることも『実際にはこうだったんですよ』と俺が直接見聞きしたことを書いたから、読み応えはあるんじゃないかなと思う。ただね、まだまだ書き尽くしていないんだよね。さっきのアリと会った話もそうだけど、書いているうちに『ああいうこともあったな』と思い出したことが次々と出てくる。やはり50年近くプロレスをやってきたから、とても1冊では収まらないんだよな(笑)」

――やはり続編を出さなくてはいけないですね。
「そのためには『王道ブルース』をもっと売らなくてはいけないからね。全日本プロレスと出版社にもっと頑張って貰いたいし(笑)、俺もまだまだ頑張りますよ」

(了)




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