戯言秘抄 またその先
約束の5月28日は、ここ数日の走り梅雨を思わせる雨空とは打って変わり、一足早い猛暑日となった。
「まったく四万六千日には、まだ日が遠いってぇのにお暑いことでございます。さてお約束の手すさび、とくとご覧いただきましょうか」と、ポスターケースにかけた京円の手がふと止まり、見据えるように私に目が向けられた。
「もし旦那、お顔色が悪いようですが、どうかしましたかい」
言われるまでもなく、奇妙な違和感を感じていた。言葉の使い方を知らぬ輩よ。と笑われるかもしれないが、それは奇妙な違和感としか表現できないものだった。あの時の飄々としてどこかするりとこちらの懐に入り込んでくるような稚気は感じられなかった。
今目の前にいる京円は、以前私の前に現れ、あの絵を見せた京円と同じ人物だろうか。顔も、表情も、服装、いや背丈や体付き。どこかと問われて違いをこうこうと説明することはできない。だが今目の前にいる男は、あきらかにまとっている雰囲気が違う。そもそも私は本当に京円という人物にあったのか。それすらよく思い出せない。まるで人間ですらない別の生き物のように見えてきた。
「さて、それではご覧いただきましょうかね」京円ははなぜか私から目をそらすような仕草で画帳開いた。どういう仕掛けなのだろう。画帳を開くに連れてどこからか明かりが漏れだした。
「これは…」思わず声が出た。まるで心臓を直接掴まれたような感覚に続き、悪寒が背筋を貫くように全身に広がった。そこに描かれていたのは、やはり彼女には違いなかった。連作という言葉にも違いはない。
「サムネイルってやつでしてね。アメリカ人ってのは妙な言い方をするもんでやすな。親指の爪だなんてね」
「サムネイルくらい知ってるさ。それよりなぜなんだ。なぜこんな悪趣味を」
連作と称するその絵が以前見せられた絵と違っているのはそのどれでもが、生きた彼女ではなく、彼女(に見える)の死体だということだ。九相図という言葉が一番近いと思う。九相図とは屋外にうち捨てられた死体が朽ちていく経過を九段階にわけて描いた仏教絵画だ。
名前の通り、死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九枚目にはばらばらの白骨ないしは埋葬された様子が描かれる。
「京円。これがそのまま事実だなんていうんじゃないだろうな。なにを考えてる、なぜ見せる」
不意に京円の顔からあの皮肉っぽさが消えた。代わりになにか悲しそうな目つきで画帳を見つめている。
「私に近づいてきたのはお前の意志なのか。それともだれかに」
どっちにしろ私に彼女の死体をみせてどうなる(そもそも彼女は死んではいないはずだ)。しかもさっき見た絵は明らかに、私が一番良く知っているあの頃の彼女だ。もう10年いや20年は会っていない。でも、彼女が生きていることは知っている。だから、事実であるはずはないのだ。
「忘れなすったんですかい旦那」
「忘れた?なにを」
「あたしはともかく、奥様のことまで」
どういうことだ、何をいっている。いや迂闊な受け答えをしてはいけない、私の中のだれかがささやいた。
「あの日はそれはもう絵に書いたような夏でしたねぇ」
なにを言い出すんだ?
「13年前の夏ですよ。あたしにおごってくれたじゃないですか。『コチュウハイ』あれはいい酒でしたねぇ」
壺中杯?頭の中になぜか3文字の漢字が浮かんだ。思い出したわけではない。むしろ唐突に浮かんだイメージに戸惑っていたというのが正直なところだ。なんだこれは!待て落ち着くんだ。平静を装って問いかけた。
「聞き慣れない名前だな。響きからすると日本酒か、いや中国のそれかな」
「こいつは重症だ。事情を知らなければ人違いかと思っても仕方がないじゃござんせんか。やれやれ手間のかかる旦那だ」
手をひらひらと動かしながらのセリフはいよいよ芝居がかってきた。
「どうしようと言うんだ。なにを仕掛けようとしている。こっちだって暇な身体じゃないんだ。失礼させてもらうよ」
「興味の無いフリはおよしなせぇ。なにも旦那をどうこうしようなんて、いやそれどころか親切心から言ってるんで。ご恩返しですよ」