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散漫な記憶を拾い集めて こぼれ3

今日は滋野さんの次男ロジェ滋野氏のお話をと言う前に、
ふと思い出したことなどを。

えぇ〜その昔、素晴らしきヒコーキ野郎という映画がありまして。監督はイギリスの名匠ケン・アナキン。ちなみにスター・ウォーズに登場するアナキン・スカイウォーカーの名前は、このケン・アナキン監督に由来するそうです。

で、この素晴らしきヒコーキ野郎。どんな映画かといいますと、時代は第一次世界大戦の少し前。そう複葉機同士の空戦でレンガを投げ合ったり、決闘よろしくすれ違いざまに互いに拳銃を打ち合ったりと中世騎士道を思わせる最後の時代です。ある新聞社がロンドン・パリ間の飛行機レース開催をぶち上げたと思ってください。参加するのはイギリス、フランスを筆頭に、ドイツ、イタリア、アメリカ等、1910年当時の世界の列強。日本にも声がかかります。

その声に応じたのは役名ヤマモトこと、日本の誇る昭和の大スター石原裕次郎さん。初登場シーンは、なぜか巨大な凧にくくりつけられて宙を舞っているシーンでした。内容はシリアスとは無縁のドタバタ映画。スラプスティックコメディとでも呼べばいいのでしょうか。各国の国民性をカリカチュアライズしたような喜劇です。口の悪い向きには名優の無駄遣いといわれそうですが、コスパとか、タイパばかりを追求するよりゆとりがあっていい感じじゃありませんかね。

で、この映画に日本人が登場する理由のひとつに、滋野さんの存在があるのではと思うのです。

いや、制作が1964年だから先の東京オリンピックの関係だろう、と言われてしまえばそれまでですが、滋野さんインスパイア説、ボクは信じたいですね。ちなみに素晴らしき〜が人気だったのか、1969年には飛行機から自動車に素材を変えて、モンテカルロラリーという同じパターンの映画も作られています。こちらには日本人はでていません。

もうひとつちなみにですが、昨日のジャック滋野氏の項で触れたジョージ川口さん。別名「ほら吹きジョージ」といえば有名なのが米軍キャンプで演奏し、ギャラにB29や駆逐艦をもらったとか、ギャンブルの形に芝公園をもらったけど、翌日には負けて手放したなんてのもありましたね。
その中にベトナム戦争真っ最中の彼の地から脱出で、乗り込んだジェット戦闘機のロットが流れ弾を受け即死。仕方がないので自分が代わって操縦し嘉手納基地まで飛んだというのがあります。この話もそんなほら話かと思っていましたが、ジョージさん少なくとも飛行機の操縦に関しては、全くの素人ではないようです。
それどころか、満州時代には満州飛行学校から陸軍航空士官学校へと進み、終戦時には陸軍少年飛行兵だったというリアルな空の男でもあったのです。
一方ジャック滋野氏も横浜高等工業学校(現:横浜国立大学)の航空工学科卒業でかつてはパイロット志望。となれば、ジョージとジャックの二人、ジャズの話題だけじゃなく、飛行機の話題でも盛り上がっていたはず。
とか書いていたら、また遅くなってしまった。ということでロジェ滋野氏のお話はまたこの次に。

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