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都バス06系統四ノ橋下車14
「なに、あれ?あれ州次さんだよね?失礼なヤツ。田舎もんはあれだからやだ」さっきの緊張感とは無縁な声。ひょっとすると男より女の方が度胸が有るのかもしれない。
一応追っ手を気にしながら、仙台坂へ向かい、裏道を通って有栖川公園へ。ボクのご幼少時の遊び場だ。東京には整備された公園ばかりで緑が無いなんて言う人がいるけど、港区には意外と緑が多い。
白金台の自然教育園とまではいかなくてもこの有栖川公園だって、一歩中に入ると都心とは思えないほど樹木が密集している。ちょっと前には、園内を飛ぶ蛍の鑑賞会があったくらいだ。自治大学の前から公園に入った。都立中央図書館を横目に広場から、暗闇の道を下った。花火目的以外で夜の公園に入ったことがなかったけど、目が慣れてくるとあちこちに人がいる。
大人の世界って奥が深い。途中の四阿を通り過ぎるとすぐ下に池をまたぐように橋が架かっていた。このあたりまでくると木下坂を走る車の騒音が聞こえてくる。木下坂は、六本木からダイレクトに明治通へ抜ける都内の裏道のひとつだ。
遠目に橋が見えてきたけど、そこに州次さんの姿は無かった。替わりに妙に姿勢のいい男が一人橋の中央に立っていた。男は、古ぼけた靴とスーツを除けば、マトリックスのエージェントスミスに似ていなくもなかった。
「こんどは何?州次さんいないジャン」男に危険な雰囲気は無かったけど、妙に周囲を気にしてる風だった。気になるね。それにこんな時間に意味もなく公園にいるのも変な話だ。
「とりあえず、関係ありませんみたいな顔して行ってみようよ。州次さんどっかから見てるかもしれないし」
「若くて、礼儀しらずなカップルって感じでいってみよっか」俺の腕にぶら下がるように、身体を預けたエイミーと俺はノーテンキな馬鹿ップルみたいにだらしない足取りで橋へと向かった。
「見てるよアイツ」小声でエイミーがささやいた。ボクだって気づいてる。あきれたような表情。ンッ、この人、スゲーお爺さんじゃないか。思った時、お爺さんが声を掛けてきた。
「ケイシーさんって、あんたかい?」
「ハッ?エッ、イヤ、あのそうですけど」
「イヤなのかそうなのか、ちゃんと言わんとわからんしょ。したから、あんたがケイシーさんなのかい」北海道弁、州次さんやうちのお祖父ちゃんと一緒。
「アッ、ハイ、お晩でした」調子がいいというか主体性がないというか、こっちもついつい北海道弁になっていた。不器用って人は言うけど、ボクってこういうとこは結構器用みたい。
「はい、お晩でした。やっぱりそうかい。ワシ、州次の爺で、井上マスオといいます」
「エッ、マスオさん?」エイミーはサザエさんの、マスオさんを連想したのだろう。ちょっと笑いが入った口振りで言った。エイミーに気づいたマスオさんは驚いたような表情を見せた。
「めんこい外人のお嬢さんでしょや。彼女さんかい?」皺の間からのぞいている目は優しい光を湛えていた。なんかこのお祖父さん癒し系。
「外人に見えちゃいますか。でも私、日本人ですよ。本名は坂谷エミリ。お母さんはアメリカ人だけど。日本生まれの日本育ち、そんじょそこらの金髪ネーちゃんよりもずっと日本人なんですよ。だから安心してくださいね」ボクの気持ちはエイミーにも伝わったみたいだ。どこか言葉遣いも違っている。
「州次さん、どこなんですか」
「それさ、州次ちょっと隠れてねばならんの。変な奴らに追われとるから。それで私に、あんたら迎えに行けちゅってよこしたの。これでね」。気の毒そうな表情のマスオさんの片手には携帯電話が握られていた。ブラックスーツに携帯電話。最近の、おジーちゃんって結構ファッショナブル。
悪いも何もあるわけがない。ボクたちは最初からそのつもりだ。エイミーに顔を向けると彼女もうなづいた。
「したら行くかい。なんもすぐそこだ。したけど東京は建物と道路ばっかりだと思っとったけど、この公園は見事なもんでないかい。いやいやジーちゃんびっくらしたわ。蝉も鳴いてるし、さっきなんか蛍だって飛んでたしょ」
優しい笑みを見せながらエイミーが答えた「あの蛍、この公園で飼育してるんですよ。野生の蛍なんて、残念だけどもう都心じゃ見られないんです。でも東京は私の故郷だから」最後の方は少し声が小さくなっていた。
「あんた、エミリさんか。自分の故郷を好きな人間に悪い人はいないっちゅうしょ。心の中に故郷持ってない人間だば、爺ちゃん可哀想にしか見えんもんな。州次はどうだべな」ボクもエイミーも答えなかった。