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都バス06系統四ノ橋下車1

昨日に続いて、以前途中まで書いた小説もどきの別バージョンです。改めて見てみると表現的に無理があるところが多々あるけど、とりあえず御愛嬌ってことでよろしくです。

以下本編となります。

 言葉は重宝なツールだけど、魔法使いの呪文で変わるほど、人生はドラマチックじゃない。だから、例外に出会えたら、神様の気まぐれに感謝するほどの価値はある。

 恵比寿、渋谷、そして六本木。中学生だった数年までのテリトリーはざっとこんなところだ。高校に入学してからは少しだけ行動半径が広がった。池尻大橋、秋葉原、池袋。なぜか新宿には縁が薄い。銀座にはあまり興味がない。極めて健全な高校生。もし高校生がテレビなんかのマスメディアに登場する得体のしれない怪物みたいに思っているなら、多分それはあなたが高校時代を忘れるほど大人になってしまったせいなのかもしれない。

 それにしても自転車で行ける距離に集中していたエリアが広がったのはなかなか面白い。これって、ちょっと意味は違うかもしれないけどジャンルとしては東京デビューに分類してもいいよね。
 誰だって、きっと自分の生まれた街は好きだと思う。もし、あなたがこの意見に反対するなら、それはそれで結構。
 でも、小さかった頃を思い出して欲しい。自分の育った街に忘れられない思い出のひとつやふたつはあるはずだ。

 港区白金3丁目、住所を言うと誰もがこう受ける、シロガネーゼ(死語だね)!高級住宅地!お金持ち!。みんなテレビやネットの情報が大好きなんだね。でも、それはとんでもない勘違い。
 嘘だと思うなら、ウチの近所、四の橋商店街を歩いてみるといい。どこにでもあるような紳士服店。青果店、魚屋、酒屋、薬局、コンビニ、葬儀屋、電気店、クリーニング、ベーカリー、今風の床屋さん、おばさま向けの洋品店に街の不動産屋。フレンチやイタリアンの店、おしゃれなパティスリーも有るけど、違和感なく共存している。


ちなみに以前あった床屋には、生前あのスローモーなキックとそれより少しだけ速い水平チョップで、年間数百試合に勝利した、あの日本の大巨人が通っていたらしい。まっ、俺の認識としてはすでに歴史上の出来事なんですけど。周辺の住民は、白金アドレスの奇数街区1、3、5丁目のことをこう呼ぶ。“坂下”ってね。

この街が好きか?と聞かれれば多分好きだよと答えるだろう。どこと比べてと言われても。まだいやな思い出を自分の中に飼うほど長くは生きていない。そう答えるしかない。悪いね、これでなかなか面倒な性格をしているんだ。

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