都バス06系統四ノ橋下車6
その日の我が家の晩飯の最大の話題は当然この事件。のはずだったけど、振り込め詐欺から札幌のお祖父ちゃんお祖母ちゃんも心配と話が移ったかと思ったら、学校帰りにそんな話ばかりしてるから帰りが遅くなるんだということになり、いつの間にかボクの成績とか生活態度とか、お母さんのターゲットはいつも通り。ここは一度撤退して、お父さんに期待を掛けることにしたいところだ。どうも母親っていうのは、社会的なことよりも子どもの日常生活や勉強なんかが気になる生き物のようだ。
一度、話の方向を決めると。まるでミサイルにロックオンされたようにこっちの逃げる方角にしっかりと攻撃を仕掛けてくる。お母さんにしろ、クラスの女の子にしろ、どうして女の人はこういう時に頭が働くんだろう。ボクにはとても真似できない。
さらに攻撃が厳しくなるところにラクラが絶妙のアシストを出してくれた。我が家で一番強いのはもちろんお母さん。そして彼女の唯一の弱点が、この大きく美しい瞳をもった動物だ。
彼女が一声「ミャ~オ」と不満をもらせば、どんなに忙しくとも従わないものはいない。事実上、我が家のファーストレディ。アメリカの例を見たって分かるだろう。大統領だってファーストレディに逆らうことはできない。スペードのA。いやレディだからハートのAか。どっちにしろ我が家における最強のカードであることに代わりはない。
ボクはアシストに感謝(もちろん心の中でだけど)しながら、自分の部屋に転身した。脱出成功!。その後は一生懸命勉強に励みましたとも。
教訓その壱“子どもが真面目に勉強しているのを妨げる母親はいない”これは古来から変わらぬ日本の母と息子の伝統のようだ。
11時過ぎ機嫌のいい声と共に玄関のドアが開いた。これでもう部屋をでても大丈夫。お母さんの新しいターゲットは、そんな事実にも気づかず、いつものように帰宅した。予知能力がないのは認めるが、我が父は学習能力にも欠けるようだ。「最初はまず、家庭内の状況を感じることから始めろって!!」
予想通り、30分ほどしてからお父さんがボクの部屋へやってきた。帰宅時の上機嫌とは一変、疲れたような顔をしていた。まったく親子そろって、やってることは変わらない。
「よっ調子はどうだ。しっかり遊んでるか」
「うん、あのさ、今日学校で聞いたんだけど、石田っているじゃん。あいつのお祖母さんが振り込め詐欺にあったんだって」
「被害額は大きかったのか」
いつもには似合わず真剣な様子で聞いてきた。ボクは昼間の話に若干の脚色を加えて説明した。話をじっと聞いていたお父さんは意外なことを話し始めた。
「今だから言うけどな。一昨年だったかな。お祖父ちゃんとこも振り込め詐欺じゃないけど、老人相手の詐欺紛いにあったみたいなんだ。」
「札幌の?」
「あんたのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんで現存してる人ったら、あの人たち以外にないでしょうが」馬鹿なことを聞いた。確かにお母さんの方は二人ともボクが生まれる前に亡くなっている。
「まぁそれはそれとして(どうして大人はこんなおかしな常套句を使うんだろ。会話のリズムというやつかな)どうやらリフォーム詐欺ってやつみたいなんだよな。去年、出張のついでに見てきたんだけど、項目としちゃあ屋根の修理なんだよね。それが素人の俺から見ても300万円もする仕事とは思えないんだよな。本人たちは業者がとっても親切だったって喜んでるけど」
「詐欺かもしれないって言っちゃたの」
「それは言えないよね。本人たちは危険な屋根を修理してもらって良かったって思ってるわけだから。その気持ちを傷つけることはできないだろ」
それはとてもよく分かる。自分では正しい選択をした思っていたのが、後から間違い、しかも騙されていたのだと知ったら、ちょっとやりきれないと思う。自分のことがイヤになることだってあるだろう。詐欺と決まった訳じゃないけど、どうもこういう気持ちを裏切られるみたいなのが一番いやなんだ。
「とくに歳を取ると老人性鬱病といって、ちょっとしたきっかけでひとつ自信を失うと、生き方や考え方まで否定的になるケースが少なくないって話も聞くからね。対応には注意が必要だ」
「鬱病ってくらいだから落ち込むの。そうなるとどうなるの」
「簡単に言えば、脳が萎縮し始める。いや実際には老人の脳が萎縮するのは仕方のないことだけど。萎縮の速度が速まるといったらいいのかな」
「自分のことを否定することで、脳の活動が抑えられ、使わなかった部分がどんどん退化するっていうこと」
「うん、そうだな自分のことを否定するってのはいいすぎかもしれないな。医学的なことはよくわからないけど、人間の脳はいろいろな刺激を与えることで活発化するらしい。つまり鍛えれば有る程度は萎縮もおさえられるわけだ。それが使わないとどうなる。筋肉のことを考えてごらん」
この理屈は、筋肉男のボクにはとても分かりやすかった。それにしても。そうか決して人ごとってわけじゃないんだ。僕たち家族にとっても身近な問題なんだ。