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ぼくらがネコをすきな理由

ボクが小学生だった頃、我が家の愛犬は一般庶民の家庭には
不釣り合いなほど大きな秋田犬だった。
彼の背中で得意げな表情している小さなボクの写真は
まだ実家のどこかに残っているはずだ。
彼の他界後も一緒に暮らす動物といえばやはり犬ばかり。
だから、猫好きな自分なんて1mmだって想像することなどできなかった。
それがねどうなの。世の中に魔法ってものがあるとしたら、
それを正しく行使している唯一の生物、
それが多分なんというか猫なんだろうね。

ミート・ミー・アット 店先

おどろくほど昭和感の強いそのやきとん屋が気に入っていた。
煙の充満する店内で客の足の間を器用に避けながら歩いていく小さな影。
そのころあの店には、いつだって子猫たちの姿があった。
一匹の恋多き母猫が生んだ20数匹もの子どもたちは、
その殆どが常連たちの家のコとして貰われていった。

そして最期に生まれた子どもたちの一匹はうちのコになった。
「お母さんがでかけてる間に連れってっちゃってくださいね」
手渡されたしっぽの短いそのコは腕の中で大きくあくびをした。
チビのくせにもう歯が生え揃ってるんだねこいつらは。
ボクはぼんやりとそんなことを考えていた。
新しい家族が気に入ってくれるといいのだけど。
そうじゃなけりゃお互いにちょっとね。
心のなかでそうつぶやいたボクを、彼女は不思議そう目で見上げていた。
あれからもう20年ですよ。ウチのコとのおつきあい。
実家がやきとん屋さんだっていうのに肉類は一切ダメ。
その代わり魚となったらどこにいたって飛んでくる。
正しい日本の猫だよ、ホントに。
タイトルにはぼくらがネコをすきな理由と書いたが反省だな。
理由なんかない、無条件にカワイイが正解。

同居人はネコそれとも

それでも一応タイトルに沿うべきかな、ということで
頑張って考えてみたら「程よい距離感」が浮かんできた。
ボクのイメージではルームメイト、いやいっそ感覚としてはルームシェア的な。
ジャマにならないといったら失礼かもしれないが、それもある。
それなのにいつもそばにいてくれる。
これはなかなか素敵な日常じゃないか。

男性の方に忠告です。
もしあなたが独身のひとり暮らしでいつか結婚したいと思っているなら
ネコといっしょに暮らすのは少し考えたほうがいいかもしれません。
その理由をここでは書きません。
ネコと女性は似ているとよくいわれますが、
コミュニケーションの手段が違いますからね。
距離感だって想像以上に異なります。
ネコとの同居に慣れすぎるとアレってなるかもですよ。

ねぇニャンコ。キミのことランニングメイトっていってもいいよね

ネコはルームメイトと書いたが、
メイト絡みであることを思い出した。
アメリカの大統領選挙戦では副大統領候補のことを
ランニングメイトと呼ぶそうだ。
文字通り大統領候補とアメリカ全土を
めぐりながら戦う盟友といったニュアンスだという。

このランニングメイト正確には副大統領に限らない。で、ここからが本題。
大統領には原則としてコネや情実人事などはもってのほかなのだが、
ランニングメイトに同級生を選ぶことについては批判が少ないのだそうだ。
家族以上に大統領のことを知っている人間が
一人くらいは側近にいてもいいじゃないか。
そんな考えなのだろう。
アメリカの大学にはフラタニティとかソロリティ
と呼ばれる学生寮がある。
そこで感受性の強い4年間をいっしょに暮らした仲間は
確かに家族以上の存在なのかもしれない。
ウチのネコさんはボクたち夫婦にとって
一生を共に過ごす言葉通りのランニングメイト。
あと、どれくらいの時間かはわからないが、
できるだけ長く、良き隣人でありたいと願っている。
さてさっきからご自分の食器の前で
じっとこっちを見つめている彼女のために
お夜食でも用意しようか。

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