一瞬の1988 born
「ベー・エム・ベーっていつの話。ビー・エム・ダブリュー」
1988年秋のダメ出しは、いまじゃシャレにもならない。
1990年代直前、一瞬の喧騒と狂乱。なんだろう、そうバブルだね。あのころを境にベー・エム・ベーからビー・エム・ダブリューに呼び名が変わったみたい。六本木カローラっていう言い方もあったよね。
車の名前なんかどうでもよくって。何が言いたいかというと、その日ボクがフラれたという事実。
なぜそんなことをおぼえているのかって。
答えは簡単です。となりのトトロなんて映画を見る羽目になったから。“名作じゃない”。そういうだろうね、ほとんどの人は。でも僕にはアレがいい映画だなんて思えない。苦手なんだジブリの世界は。彼女のことが好きだったから。いや微妙に違うな。僕じゃなく向こう(つまり僕を振った女がという意味だが)こそ、僕のコトを好きなんだと思い込んでいた。そう多分これだ。振り幅が大きいとダメージも深くなる。メジャーリーガーが中学生相手に投げて痛打されるようなもんだ。ちょっと違うかな。とにかく再起不能に陥ったことは事実だ。
それまでの自信が足元から崩れ落ちた。これがヘロドトスならなんかうまい言い回しで歴史に残るような名言を吐いてくれるのかもしれない。
あいにくギリシャ人的センスとは無縁な僕はかろうじてこう言うだけ。「あのバカ女が」なんとすでに差別用語だ。それ以上にみじめだよね。1988年のみじめはとてもシンプル。今は名前、いや顔さえ思い出せない彼女のことを。
それともう一つの出来事。だから僕にとって1988は忘れられない数字なんだ。
あの頃僕らのお気に入りといえば、戸塚だった。なぜそんな辺鄙なトコにいりびたってたかって。そう理由がある。世間では悪どいことで有名な不動産屋(そのくせ人はいいんだけどね)の息子。つまり飯塚くんのお父上がこの都市型リゾート施設(懐かしい響きだね)の設立関係者だったから。直訳すると近隣配布用の無料チケットが自由に使えたというわけ。途中からそれもフリーパスに。(もちろん周囲に気づかれないほどの謙虚さはあったけれど)そんなわけでその夏、ぼくらは殆どの時間をドーヴィル横浜に振り分けていた。
プールエリアへ向かうアプローチには篝火なんかも焚かれていた。あれはひょっとしてタヒチとかポリネシアのあたりをイメージしてたのかね。
あの頃を知らない人のために言っておくと80年代終わりのゴルフクラブとか、スポーツジムは信じられないくらい金のかかる存在だった。そうバブルだね。とにかくゴルフが好きとか、スポーツ、筋トレをライフスタイルになんていうより、一種のステータスや社交の場的に思われていたことも確かだ。今から見るとそれってどうなのってところだけど、施設だけは立派だった。なにしろお金がかかっていたからね。で、そういうところにはおじさんたちに混ざってなぜか若くてきれいな子がやってくる。そういるんだよ。わかるよね僕たちがドーヴィルを遊び場に選んでたわけが。誤解のないようにいっておくとドーヴィルはよそに比べるとバブル全開の施設じゃなかったし、おかしぃ聞こえるかもしれないけど、メンバーや他の利用者も含めて客筋はよかった。それも僕たちをドーヴィル好きにさせた理由のひとつだ。
さて肝心の1988を忘れられないものにした、もうひとつの出来事については、おいおいということで。
バックグラウンドはここまで。ここからが話の本題だ。
「ねえこの間さ渋谷でもここまではいないよね。ってキレイな女の子見つけたんだけどさ、その話聞きたい人いる」タクシンがつまらなそうにつぶやいた。
こいつは興奮してる時に限ってどうでもいいような口調になる。なのに女の趣味はいい。結論。ここは拝聴しておく価値がある。
「いくつくらい?どこの学校?中学は?髪は?長い、短い。僕短めがいいんだけど。身長どのくらい?ブランド好きそう?サイズは?」
軽量級のチャンピオン候補並みの早さで⁇??の波状攻撃を仕掛けたのは、もちろんシュージ。手は早いがミスのパーセンテージも高いやつ。通称トリガーハピーのシュージ。別名ミニッツメンとも。
えっ、トリガーハピーやミニッツメンってなに?って聞く。そこはchatgpなんとかにでも聞いてくださいな。
「学校はねぇ誠女の1年目。だから16か。身長は165cm弱ってとこかな。サイズは未確認だけど多分でいうと87×58×88見当、髪はブルネットだな」
「いいじゃん、男はいるの」
「あのレベルだと歩いてるだけでよってきちゃうでしょ。だっけどそれ気にするとこ?」
「誠女はオレまずいわ。被っちゃう」
「あれフミリコとまだ続いてたの」
「ブルネットってハーフですか」
「家どこよ、どこの駅」
「渋谷のどのへん。どこで見たのさ」
「誠女ってさレズが多いんだって。知ってた」
まぁうるさいこと、うるさいこと。こういう話になるとどうしてオスガキってバカ丸出しになるんだろ。もっともおじさんになってもそのあたりはあまり成長してないみたいだけど。
一応説明しておくと誠女というのは、誠美女子大附属高等学校のこと。超名門までは行かないけどそこそこに高いレベルで知られる仏教系の学校だ。偏差値は60弱くらい。お嬢様学校というレベルは超えてるね。つまり、僕たちバカ高生の向上心?いってみればハンター心をそそるには十分すぎるターゲット。
「うん、キミたちにはちょっと荷が重いかもだね。どうクラッシュ覚悟でいってみる」
後に“踊る色事師”の尊名で知られるようになる西片が余裕をかました。こいつは絶対に一番手ではいかない。かといって様子見やデータ収集のためでもない。単にジンクスなのだが勝率はいいみたいだ。あまりにも手際が良いので以前聞いてみた。するとやつはこう応えた。勤勉と優しさ、平等と不平等の使い分け。何だ??
どういうことって聞いたらこんな答えが返ってきた。
「考えるな!感じろ!」わかったことは一つだけ。やつがブルース・リーのファンだということ。これだけは感じたね。
西片に釣られるように竹園が手を上げた。「皆さんご決心がつかないようで、じゃおいらが行こうかね」予想外、ノーマークの男がエントリーだ。ただこの竹園。理数系が得意ということで知性派を気取っているが、所詮ただの山猿。センスとか情緒、心の機微などとは無縁の輩。
「いくら賭ける。おれはこっちにペプシ1本」指でバツじるしを作りながら小森がいった。
「オレはコーク5本、同じくアウトに」谷沢が続いた。
「ダメダメ、先着順なんかじゃないんだからそれじゃ賭けにならないでしょ」冷静だねタクシン。でも君の言うとおりだ。
「誰か受けるやついない。いないんならなしだ」
一応、説明しておくとペプシは1000円、コークは100円だ。今聞けばバカみたいだし、めんどくさいだろ。若さってそんなもんだ。
今でも覚えてる、あの日を境に僕たちが竹園を見る目は変わった。そうとも僕らは人間が成長する瞬間ってのを生まれて初めて自分達の目で目撃することになったんだ。もし、男竹園・一代記なんて一冊が遠い未来に出版されるとしたら、その最も重要な成長の1シーン。著者はボクたちのなかのだれか。one of us,これはもう疑う余地はないだろうね。